明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



拙著が届いたメールはいただくが、読む前にとり急ぎお礼を、という人が多く、読後の感想が存外聞こえてこない。ご近所のアルコール消毒友達のよしみで買っていただいた方など、朗読を聴いたので読まないで済む、なんて本音を漏らされる方は別にすれば気になるところである。私としては観たことのない書籍に、なんと評してよいか判らないのだ、と良いように解釈しているのだが。そこに『小説推理』“今月のベストブック”幻想と怪奇に、東雅夫さんに書評を書いていただいた。力を入れたところを的確に取り上げてもらうことほど嬉しいことはないが、さらに私ならでは、と試みた部分を“思わず呵々大笑い”と評してもらったところがまた嬉しい。なにしろ感心されるくらいなら呆れられたいと願う私は、江戸川乱歩を手掛けて以来、笑いというのは重要な位置をしめている。 そもそも男性というものは懸命に生きるほど自動的に哀しかったり可笑しかったりする奇妙な生き物で、私が男ばかり作っている理由はそこにある。女性制作に触手を動かされないのは、女性がそうではないからである。懸命に生きる女性に笑える要素などどこにもない。女性の噺家に無理があるのは当然のことであろう。女性の場合、そうとうな婆アに至って、ようやくちょっと可笑しい場合があるようである。

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一日  


数年ぶりに検査したクリニックは、生活改善をして数値を良くし、美人に褒められたい、という患者の心理を利用しているかのように医師が美人ばかりであった。駄目になって美人に叱られたいと通院する輩もいないとも限らないが。私はどちらかというような余計なことをここでいうつもりはないが、脅かされるなら美人の方が怖いことは間違いがない。あれから玄米を食べている。今は便利でレンジでチンであるが。そのおかげか、もともと通じが悪い方ではなかったが、毎朝、一本!それまで!的に、はっきり勝負をつけてから外出している。 作りかけの川端康成と内田百間が抽き出しからでてきた。三島で『潮騒もしくは真夏の死』を手掛けても川端で『伊豆の踊り子』を手掛けるはずもなく、『片腕』の、女から外して借りてきた腕をかき抱く川端の制作を考えていた。そんな有様でも、無表情で見開かれた猛禽類的目玉のままの川端は面白かろうと考えた訳である。内田百間では『ノラや』を考えていた。百間さえできれば始めるつもりでいて、ノラは本物の子猫を使うつもりで、近所で一応口では動物好き、といっている年金暮らしの人物がいるので、任せることも考えたが、こんな実のない男はおらず、女の尻ばかり追いかけており、猫なんて放ったらかしに決まっていて、可哀想なことになっていたろう。脇役で夏目漱石を登場させる予定でおり、それが今回、柳田國男の起用ににつながったはずである。こう書いていると、なんだか随分昔のことのようである。 某文化センターの職員と飲んで帰ると、風濤社の編集者から新小岩の書店から『貝の穴に河童の居る事』の注文が5冊入っており、著者割引で購入可ですが、というメールが着ていた。確かにアレを新小岩で5冊とは、どう考えたって母である。知人に差し上げるのはかまわないが、アレを貰って喜ぶ人にしてくれといっている。

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金沢の鏡花記念館に、間もなく河童の三郎や三郎と向かい合う柳田國男のプリントが展示される。学芸員の方から連絡をいただき、鏡花のプラチナプリントも1点追加されることになった。最近写真の古典技法、特に耐久性にすぐれたプラチナプリントを試みる人が増えたようであるが、“泉鏡花のプラチナプリント”と発音できるのは、この一点しかない。そういってしまえば、“泉鏡花のカラープリント”と指差せるのも私のプリントぐらいである。こういったことは大事なことだと私は考えている。あらためて見ると、怪人二十面相をあえてプラチナプリントにしているのも、二十面相のプラチナなどもう永久に作られることはなかろう、と一人ほくそ笑んでいたのは間違いがない。 先日、地元の文化センターで鏡花の朗読会を、スライド上映とともにおこなった。鏡花作品には皆さん馴染みがなく、鏡花作品の舞台となる深川を、ただ酔っぱらって踏み歩いているだけ、というのが残念である。と書いたが、地元の文化センターの職員でさえ知らないのだから話にならない。鏡花記念館職員のブログに書かれた“〈深川もの〉の聖地である汐見橋を渡って州崎をめざし、州崎神社で“津波警告の碑”を確認、長年の念願を10年越しで果たすことができたのです。”を見せて、「鏡花ファンにしたら聖地なんですぞ」。と昨日職員に話したばかりである。すると、これを書いたのは本日電話をいただいた方であった。私が先日、やはりブログに書いた碑にはたどりつけなかったそうである。電話しながらつい立ち上がって、このすぐ目の前にあるんです、といってしまった。私は『貝の穴に河童の居る事』で鏡花がモデルにした房総の神社で撮影したが、あまりに鏡花が書く通りなのに興奮し、下から上がってくる鏡花が見え、すれ違いざま道をあけたくなったほどである。ファンとはそうしたものである。深川に住み、酔っぱらって踏み歩いているだけなのは実に残念である。

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以前大阪まで活き人形展を観に行ったがことがある。出不精な私にしては今思うと信じられないが、かつての名工の仕事ぶりが観られて大変勉強になった。多くは見世物興行に使われた物であったが、しかしリアルといっても、“リアルな死体”が多く見受けられたのも事実であった。医学用に供される模型というならともかく、リアルであれば活きているか、というとそれは別な話であることが良く判った。私は作品を写真に撮る場合、実際の人物を撮影したかのように錯覚させるつもりは毛頭ない。だいたいそう見えてしまったら私は単に写真家で、人形制作者としての存在がなくなってしまう。それを判ってもらう為ではけっしてないが、必要がないので、粘土の質感は案外丸出しである。人には人とはこうなっているものである。という経験によって得た常識を持っている。そこを押さえると、粘土だろうとリアルに見えてしまう。こうなっているからには、これは人である。というように。 一方今回制作した河童の三郎は、なにしろ架空の生き物である。そもそも実在しないのであるから、どう作ろうと私の創作物だと判る所がすがすがしい。間違われるとしたら実物大に思われることくらいであろう。だがしかし。 先日、めったに会うことはないが、私が黒人のジャズシリーズを制作していた二十代の頃からの知人と会った。できたての『貝の穴に河童の居る事』を見せて、ひとしきり苦労話など披露をしていると、知人が表紙の河童をさして「誰が中に入ってるの?」といった。私は耳を疑ったが、入ってませんよ。私が作ったんですよ。というと「ああそうなんだ」。と答えたから冗談ではない。長年の知り合いといえども、私が彼の営業内容を詳しく把握していないように、彼も同様だと思えばそうなのであろうが・・・。『そっかー。誰かが中に入っていると思うパターンがあったかー』。

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先日のお祝いの会で、始めて鏡花に接した人がほとんどであったろうが、私としては鏡花ファンのあこがれの聖地であるところの深川を、皆さんただ酔っぱらって踏み歩いているだけ、というのがなんとも残念である。なにしろそこら中に『深川もの』に登場する場所がある。 私が越して来たのは二十代も最後の頃であった。何度か書いているが、たまたま『葛飾砂子』を読んでいたら、登場人物が門前仲町の方から船に乗って、こちらに向かってくるではないか。思わず窓の下を流れる川を覗き込む。鏡花の乗る船?を追って、夜中にマンションを飛び出し、目と鼻にある現在は震災や空襲でチビてしまって全文判読不可能な石碑をあらためて眺めた。『「おお、気味悪い。」と舷(ふなばた)を左へ坐りかわった縞の羽織は大いに悄気(しょげ)る。「とっさん、何だろう。」「これかね、寛政子年の津浪に死骸の固っていた処だ。」』間違いなく鏡花が船から見上げたことは間違いがなく、その碑には『長さ二百八十間余の所、家居(いえい)取払い空地となし置くものなり。』と刻まれていたのに、すっかり無視され現在は人家だらけで海岸線ははるかかなたである。 私にしても深川に住んでいながら『深川もの』でなく『房総もの』の『貝の穴に河童の居る事』とは、と思わなくもないが、東京大空襲ですっかり焼き払われており、この辺りを撮影し、当時の風情を表現することは不可能である。 夜T千穂へ。隣にはいつものように酔っぱらって鏡花ファンの聖地を汚しつづける63歳である。アバラ骨折中で比較的大人しい。その日、ヨロヨロ10メートルほど小走りしている所をムービーでとらえたが、前のめりになり、転ばないように耐えると自動的に走ってしまうのである。これでガードレールや薮や地面におでこから突撃する仕組みが解明された。私の検索キーワードにこの人物の頭文字が出ると友人から教えられ、できることなら頭文字も避けたいのであった。

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金沢の鏡花記念館に展示するプリントをお願いするため麻布十番の田村写真へ。人形を作って自ら撮影する立場からすると、実際のサイズより拡大される醍醐味というものがある。『貝の穴に河童の居る事』の場合、書籍のサイズからしてむしろ小さくなってしまうのはしかたがない。主人公の河童を中心に選ぶ。そこでまず表紙。そして当初表紙になるはずで格下げになったカットがA3に拡大された。始めて見たが、甲乙付けがたい迫力で思わず声を上げる。三郎は90センチ程度らしいが、実物大にしたらどうなることであろう。 私の創作行為というのは、イメージした物を頭から取り出し、やっぱり在ったと確認したい、というのが根本である。一度書いたが、今年に入って目の前に現れた物がイメージしていた物を超え始めている。こんなことは考えたこともなく、それがただ己がイメージの貧弱さを示しているようにも思われ、手放しで喜べないところではあるのだが。ごく最近の例でいうと、ただお調子者の哀れで醜い河童のつもりで制作を進めていたのに、三郎の想定外の真剣な眼差しに、キャラクターに微妙な方向転換を施すことになった。自分の作った物に教えられるという初の体験をした。 『貝の穴に河童の居る事』から上記の三郎2カットに河童と対面する柳田國男の灯ともしの翁。鏡花の盟友である柳田國男と河童の共演には、これ以上の共演の機会はなかろうと未だ自画自賛中である。それに大団円を迎えるクライマックスの全4カットに金沢で撮影した鏡花のモノクロ1カットを12月初旬まで展示の予定である。 田村さんが藤圭子が亡くなる1週間前に入手したアナログ版を聴く。なるほど天才なり。私はもともと演歌は好きでなかったし、特に盛り場演歌はお茶の間に流すべき物ではない、とさえ思っていた。まあこれは小学生に解ろうはずがない。そうこうしてT千穂に着いたのは10時過ぎ。出演者がいたので、さっそくプリントを披露。“平地人を戦慄せしめて”いるところに横からノコノコと陸河童のKさん。人の労作をスポーツ新聞みたいに持つんじゃない!

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表紙の河童の三郎は制作時に、ある有名なジャズアルバムのジャケットが頭の中にあったのは明白だ、と先日書いた。そのジャケットと三郎は、一見たいした隔たりがあるように思える。なので久しぶりにクイズにして、正解者にプレゼントも良いな。と考えていたが、出版のお祝いの時に、スライドで早々にバラしてしまった。後で考えると、このアルバムを知らないと面白くなかったろう。客筋からすると知っている人はほとんどいなかったに違いない。まったく反応がなかった。マックス・ローチの『ウイ・インシスト』である。当時の公民権運動を勇気付けたといわれる。いわゆる“プロパガンダジャズと称された問題作である。K本の常連席ではありません、といったらようやくウケた。 以前知人が一人でK本に飲みにいって、デイープサウスの黒人ばかりの店に一人で入った白人の気持ちだった、と訊いて大笑いしたが、実際はそんなことはなく、どんな未開の土地へもパンツを履かせにやってくる、白人の宣教師に怯えているような心優しい人ばかりである。その白人の気持ちだったといった人は、南青山で有名な店を経営している人物であるが、私が二十代で始めてその店に入った時、ただ商品の値段を尋ねただけなのに、何が気に入らないのか怒られているようであった。しかし現在、フェイスブックなど観る限りすっかり変身して、いつもニコニコしていて随分話が違う。やはりパンツを履かせられたくなかった口なのであろう。というわけでこの三郎。特に何を考えて制作したわけではなかったが、「俺にパンツを履かすなよ」。という三郎にしたかった。

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一日  


ようやく人心地ついて個人的な本の発送の準備をしている。発送でなく準備、というのが私らしい。その間もスライドとともに流した今拓哉さんの朗読を聴いている。鏡花は体言止めなど、様々な術を駆使し、鏡花独特の世界に読者を引きづり込む。 私は本を読んでいると、常に頭の中に映像が浮かび続ける。今“鏡花独特の世界に引きづり込む”と書いていたら黒紋付き姿の鏡花が河童のように。必死で嫌がる人間を沼に引きづり込む姿が浮かんでしまった。河童は人間の尻子玉を抜く、というが、それは水死体の肛門は、ぽっかりと開いているそうで、それが河童が尻子玉を抜いたせいだ、となったらしい。それはともかく。 鏡花には判りにくい表現も多く厄介ではあるが、それも引きづり込むためのツールであろう。訳の判らないうちに鏡花世界にはまってしまう。私は一度だけ友人等と四泊五日のツアーでニューヨークにいったことがある。もしもう一度来ることがあったら、濃縮のそばつゆを持参し、就寝の前に杯に一杯飲んで、この変な物ばかり喰う国を呪う気持ちを鎮めることにしようと思ったが。(その日はライブハウスでフライドチキンに透明なシロップが添えられていた)さらに長期滞在の場合は鏡花本を持参するべきだ、と考えたのを覚えている。周りの空気をたちどころに一変させ加湿してくれるであろう。 それにしても鏡花には縁がない、と思われるご近所の方々が、飲酒しながらに関わらず、ジッと一時間も画面に集中し朗読に聞き入ってくれたのは嬉しかった。もっともあれを聴いたおかげで読まないで済む、という不埒な輩もいたが。今回は録音であったが、これは是非生で聴いてみたいものである。私は事前にバージョン違いを聴いていたが、一息で長く語るほど迫力が増すのが判った。生であればさぞかし。

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出版に際して個展など催すべきだろうが、当ブログをお読みいただいている方はご存知のとおり、締め切りの土俵際で粘ったおかげで、出版後のことを考えている余裕はなかった。出版時期もギリギリまで決まらなかったのではしかたがない。しかしご近所の方々に、手足だけ、目と唇だけまで含めると9人も被写体として参加いただいている。取りあえずは皆さんに出版の報告をしたいと思っており、出演者のお一人がまとめ役を引き受けてくださった。会場は近所の古石場文化センター会議室。 昨晩から朗読に合わせて上映する画像データの整理でほとんど寝られず。会場に到着すると、お借りしたPCが会社用で、セキュリテイーが厳しくすんなり作動せず、代わりのPCが到着したのが開場直前。リハーサルが一度もできなかった。パワーポイントを使うはずが、私自身が理解しておらず、結局朗読に合わせてただ画像を送るだけとなった。おかげで前後の画像が見られないので、没カットもこの際、と2割ほど加えていたのが少々アダとなる。それにしても稽古の合間を縫って朗読を録音いただいた今拓哉さんが素晴らしく、私はこの鏡花作品を脚注なしで、画だけで判るよう制作したつもりであったが、そこに今さんの声での解釈が加わり、より立体的になった。痛恨事といえば上映時間一時間、なんと最後の1カットを残し、トイレが我慢できず、急遽横で控えていてくれたKさん(もちろんアレじゃなく)に託してトイレに立ってしまい、帰って来たら終わっていた。 第二部では、完成前と完成後の画像を比較し、私が一人、どう格闘していたかを見てもらった。その辺りは努力の跡は決して見せてはならず、現地へ出かけてただ撮ってきました、というように見えないといけないわけである。本日限定のメイキング画像に、こちらも喜んでいただけたようである。 そして仕事でお疲れであったところ、K本の女将さんが駆けつけてくれ、会場の盛り上がりも最高潮に達した。さらに今さんも稽古場から間に合った。数日前心臓手術を終えて参加できない、といっていたGさんが、来て良かった。と握手の手をなかなか離してくれなかったのが、また嬉しい。 その後、何故かこんな夜なのに関わらず、某所で区の土木課の人とブルースを演奏し、暗いフォークソングメドレーを4時半まで聴くはめになったことは長くなるので止めておく。

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今拓哉さんにお願いした朗読の録音は、本日も午前中頭から2回聴いてしまった。当初音楽があったほうが、と考えていたが、静かにじっくり聴いてもらったほうが今回の場合良いような気がして来た。鏡花に親しんだ人など皆無であろう。生涯最後の鏡花になる人も多いであろう。そのためにも、アルコールが沁みないうちにやったほうが良いというのが、集まっていただくメンバーをおおよそ知っている私の感想である。市ヶ谷の三島にはなりたくない。 稽古の空いた時間に録音してもらっているので、いくつにも別れている。それを編集しなければならないのだが、音の編集などやったことがない。期日も迫り、私が触ったことのないソフトで何かしようということ自体に無理がありそうである。何がなにやら判らないうちに、結局ご本人が編集までやってみてみる、ということに。申し訳がない。 書籍に使用した画像はたしか74カットだったと思うが、スライド上映用に、ボツになったカットを差し挟んでいたら90カット近くなった。午後から取りかかり、画像データのサイズ変更と順番にナンバーをふった。これで今さんのおかげで、本をくばって、ただ飲酒に耽るだけの会にならずに済んだわけである。 7日には店頭にならぶので表紙画像をアップした。帯には“この河童、鏡花に見せたかった!”どこかで聞いたことがあるような?同じ編集者の私の一冊目『乱歩 夜の夢こそまこと』は“こんな乱歩が見たかった!”確かに違うっちゃあ違うが。 サプライズというにはセコいが、帯の下には動物が一匹隠れている。

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午前中『貝の穴に河童の居る事』の朗読の録音をお願いしていた、舞台俳優の今拓哉さんが、稽古場にいくついでに、録音データを届けてくれた。忙しいのに有り難い。書き込みだらけの原稿を見てしまったし。読み込んでいる、という話も漏れ伝わって来ていた。お礼もそこそこにとっとと部屋にもどり聴く。そもそも今さんにお願いしようと思ったのは、様々な声色を使うのを時々耳にしていたからで。主人公の河童は勿論だが、年頃の娘や年増の女房、女顔のミミズクなど、徳川夢声に頼むより良いだろう。ページをめくりながら笑わずにいられないところや、女顔のミミズクが色っぽかったりさすがの表現力である。機会があれば生で聴いてみたい。ご近所のド素人の出演者の方々、レミゼ俳優に声の吹き替えされるのはどんな心持ちであろう。録音に合わせて上映するスライド用の画像をストーリー順に制作する。本とまったく同じにすることもない。この際、ボツになったカットも所々入れてみた。 ご近所限定のお祝いの会は、定員30人ほどで、できるだけご近所の方に来ていただきたいので、舞台となる神社の撮影に付き合ってくれた友人以外は誘わなかったが、区の文化センターで普段、講座や教室をやるような部屋を借りるので、パイプ椅子を増やせば融通はきく。十代からの付き合いである工芸の専門学校の友人も誘った。一人の先輩は「ネクタイ着用?」というので「当然そうですよ」。まさか、という答えを想像していたのだろう。絶句している。ひっかけた後、一日くらい放っておいて面白がりたいのだが、私にはそんな根性はない。 他にも方々に連絡したり本を発送したり。私はあれをやったりこれをやったりが苦手である。ようするに要領が悪い。なんでこの場面でギターを爪弾く?たいしたことをしないまま時間だけが経ち、二度と戻ってこない一日がまた終わる。

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夕方、近所にある『深川』編集部に『貝の穴に河童の居る事』を持っていく。隔月刊の地元のミニコミ誌だが、昔作家シリーズを6回だったか連載したことがある。永井荷風はまだしも村山槐多まで。2冊目の本はこの時の文章が元になっている。 風濤社のSに渡す物があり、ちょうど鏡花展をやっているので、通っているという千代田図書館に行く。近所の人達がやってくれる出版祝いの打ち合わせがあるので、さっとしか見ることができなかったが、大きなパネルの『貝の穴に河童の居る事』の出版年が昭和6年のところ9年になっていた。関東大震災で東京が被害にあい、それをきっかけに鏡花は旅に出て、それにもとづいた作品を何編も書く。その房総物の一編がこの作品である。柳田國男に演じてもらった鎮守の杜の翁は、油差しと灯心を携え、神社の灯籠に灯をともす役割である。その灯籠に昭和何年、と作られた年が刻まれていたが、それを鏡花がこの神社を訪れた年か出版年に換えたら面白いかな、と考えたが別に面白くないので結局消した。数字が覚えられない私が、それで覚えていた。 数日経つが、未だにちゃんと読んでいない。文章としては私ほどこの作品を熟読した人間はいないであろう。鏡花は己の世界に読者を引っ張り込む為に、あらゆる術を使う作家だと、嫌になるほど実感させられた。本作はそこに鏡花の幼児性とでもいうものがプラスされている。サインでも失敗すれば私の物として気安く読めるが、もったいなくてちゃんと開いて読んでいないのである。 8時閉店のK本に間に合う。たまたま紙袋に一冊入れていた。「何それ?」「ダイナマイトが入ってます」。中学生の頃だろうか、『ミュージックライフ』のゴシップ欄で読んだ、旅客機の中で二ューアルバムを鞄に入れたサンタナのメンバーが、酔っぱらってそう叫んで大騒ぎになったというの思い出していた。

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5時過ぎに風濤社のSが製本された『貝の穴に河童の居る事』を、とりあえず10数冊もっていく、というので、いつも打ち合わせで使うビジネスホテルの1Fで待ち合わせる。サインや為書きを書く筆ペンと、昔、自分で彫ったハンコをもっていく。 初対面。できるだけ完成作をイメージできるよう、色々作って見せてもらっていたので、思ったとおりの本になっていた。一冊目と二冊目は、物語のダイジェストであったり、過去に制作した12人の作家をまとめた物であったが、今回は一作まるごとなので収まってる感がある。 先日も書いたがSは出版社は違うが一冊目の『乱歩 夜の夢こそまこと』(パロル舎)の編集者でもある。当時完成近い原稿をパラパラめくりながら「なに思いっきりやってんだよ、という感じですね」。といったが、今日もほとんど同じようなことをう。“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”な私が作るのであるから結果的にそうなる。数冊にサインとハンコを押す。 私のイメージからすると、写真絵本というのが近いのだが、絵本というと自動的に子供向けということになるのだろうか?ベタベタと生臭い河童が主人公のわりにスッキリとした出来映えである。これはSのおかげといえよう。本は腐るほどあるが、類書はおそらくない。そんな本に関われるなんて編集者として幸せだろ?といってやったら、ビールで赤い顔して一応うなずいていた。今日は売れるか売れないかは別にして、と余計なことはいわなかった。 帰りに撮影に協力していただいた『鳥のいるカフェ』に進呈しT千穂へ。旅館の番頭役をやってもらったTさん他いたが、本を見るのは7日まで我慢してもらうことにしている。

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出版に際して近所の方々に集まっていただくのは9月7日である。いただいた出欠のメールを見ると出版祝賀会、祝う会、お祝いの会等々名称は適当である。できれば本が店頭にならぶ前に出演者、協力者の皆さんに本を渡したかったが、会場を探していて店頭に並ぶ当日になってしまった。もっとも幸か不幸かこの辺りの書店に並ぶはずもないので、先に書店で見てしまった、ということにはならない。 K本で良く顔を合わせるMさんは、作家の墓を訪ね歩くという風流な趣味をもっている。お誘いのメールを送ったら、その日は鏡花の命日ですね。という。エッ? 昨年『貝の穴に河童の居る事』の出版が決まった後、ツイッターで妙に鏡花が話題になっているな、と思ったら今年が生誕百四十周年だという。良いタイミングではないか。きっとそのために企画したと思う人が多いであろう。知っていて決めたことにしておこう、とブログに書いた覚えがあるが、それにしても店頭にならぶ日が鏡花の命日とは。Mさんも私が知っていてそうしたと思っていたようだが、当初の6日から7日になったのは印刷の都合だし、借りた施設も発売の前に、と思うと、その日しか空いていなかった。 今年はようやく母の誕生日を覚えたと思ったら10日間違えていた有様で、日にちに限ったことではないが、私の脳が数字を拒絶するようで、先天的な不調ではないか、と思わないでもないが、携帯の修理が終わって書類に日付とサインするときも、今年が何年だったか、うっかり忘れた芝居をすれば良いし、いっているほどには困ってはいない。限られた容量の我がハードデイスク。数字の分、空いた領域には、例えば幼稚園児以来プロレス中継で蓄積された男達の肉体のイメージが格納されていると思えば、残念な気はまったくしないのである。

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制作中のヒーローは筋肉隆々に変身する。私はプロレス好きの父のおかげで物心ついてから、つまり力道山時代から半裸の様々な状態の男達を毎週、穴の開くほど見続けたせいで、資料を参考にせず凡そ作れる。小学校の同級生がマッチ棒で作った案山子のような絵を描いている時に、すでに筋肉を描いていた。女の子は目の中に星を描いていた。海女のアキちゃんは黒目にやたら星が点在しキラキラしているが、あれは眼球の曲率の案配で周囲の光を写すせいであろうか。

小雨の中、今拓哉さんと待ち合わせ、朗読の録音をお願いしている『貝の穴に河童の居る事』の打ち合わせ。原稿にたくさんの書き込みがあり恐縮してしまう。セリフの不明な点など話し合う。鏡花は多少のことなら目をつぶり、リズムを優先するところがある。文字だけ追うとどうなんだろう、という点もあるが、岩波の解説でも首をかしげる解釈をしているくらいなので、多少のことは気にせず、あくまでリズムを最優先して読んでもらうようお願いした。 鏡花は生前、作風が時代遅れとなり、一時期仕事がなかったようだが、それでも自分の作風を守り通した。結局当時新しかったものは、現在読まれることも少なく、一方これ以上古くなりようがない鏡花は未だに芝居に映画に、さらに漫画へと生きている。そしてついにマイナーな『貝の穴に河童の居る事』をビジュアル化しようなどという私まで現れる始末である。“新”がついたとたん、翌日から古び始めるものであるが、そう考えると、ちっとも新しくないのに今までない。これが一番良いと私は考える。 時間がたち落ち着いてみると、制作中手こずるあまり鏡花に対し意地の悪い気分になり、潔癖性の鏡花の嫌う蠅を河童に止まらせ、鼻水まで垂らしてしまった。あの時は寝不足でクラクラしながら、書生風の私が鏡花先生宅を訪ね、風呂敷包みから取り出した拙著の、蠅がたかった河童を見て先生青ざめる。というシーンを想像しながら蠅をとまらせていた。少々大人気なかったが、もう印刷にまわってしまっているのであった。

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