明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



できるだけ誰も思いつかないような画を作りたい私が、たとえば『チャップリンと日本橋を歩く』というような、誰も思いつかないような?お題をいただいて表紙を制作しているのが 中央公論Adagioである。次号の特集人物は、街にただ佇ませても、さっぱり面白くない人物である。(と私は思う)おまけに特集される街が、その人物の家があるというだけで、邸内での撮影ならともかくピンとこない。仮に邸内で撮影できるとしても、生前何人ものカメラマンが撮影しているので、いまさら本人像まで作って、そんなものをなぞる気はない。 一つアイディアを思いついたのだが、撮影したい場所ができたばかりということもあり、いまだにロケハンの許可を求めている状態である。1カットのために場所を決めてから、それにあわせた造形をするという面倒なことをするので、時間が大分なくなってきている。 そもそもフリーペーパーというもの、通勤の数駅の間に読み終え、駅構内のゴミ箱へ捨てるものだ、という人も多いだろう。友人の中には、フリーペーパーなのに、やりすぎて、表紙がうっとおしいという人もいるのではないか、という意見もある。私としては捨てるにしても帰宅後にしてほしいし、地下鉄を利用しない家族にも読んでもらいたい。さらに、できることなら保存してほしい。となると、そうあっさりとするわけにもいかず、できればすくなくとも数秒間は、凝視せずにいられない表紙にしたいのである。そのために、いまだにロケハンの許可を待ち、ハラハラしているというわけである。

01/07~06/10の雑記
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