明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『甦る江戸川乱歩の世界展』のウィンドウに、大きめに伸ばした画像を展示するというのでデータを送ることになっていた。会場の様子が判らないので、4、5カットの中から選んでもらおうとデータを送っておいたが、レセプションには区長も来るので、とどうも相応しいイメージではなかったらしい。またこれかという気もするが、気球にブラ下がる乱歩になった。 これはあらかじめ遠近感を誇張して作っておいて、さらに広角レンズで撮った物で、のちに多用することになる撮影法(撮影効果のみを考慮して造形したものを使用)だが、当時思いついて撮ってみたが、プリントされた物を始めて見た時のことはよく覚えている。 この像は一方向からしか観られないので展示には向いていないが、作る前にこう撮ろうと決めているので、写らないところは非情?なまでに作らない。よって撮影後、首を引っこ抜いて捨ててしまうものも多い。平面と違って立体の場合、角度によって雰囲気が変わるので、こっちからもあっちからも撮っておこうと未練がましくなるのを避ける効果もある。私の場合、シャッターを切る回数が多いほど、結果は悪く、確信を持って少ないシャッター回数が基本である。特に自分で作った物を撮影するということは、シャッターチャンスも被写体にではなく自分の中にある。  そういえば気球の乱歩は、作ってしまえば本当の空を背景に撮れるわけで、実際、人形片手にカメラを手持ちで撮影した記憶があるのだが、採用したのは、紙に空の絵を描いて、適当なボードがなかったので、襖に画鋲で貼り、屋上へ持っていってわざわざ自然光で撮っている。なんでそんなことをしたのか‭忘れてしまったが、マコトを写すという意味の写真という言葉が嫌いで、マコトなど写してなるか、とファイトを燃やしてしまう私である。“夜の夢こそまこと”の江戸川乱歩ということが頭にあったことは間違いがないだろう。この噓くさいモノクロ写真は、以前乱歩邸に飾っていただいていて、その様子が雑誌の表紙になったことがあるが、編集者は実写だと思い込んでいたらしい。そんな馬鹿なと思うが、見え方は人それぞれである。

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