明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



向かいの小学校で、ボランティアでウサギの世話から、在校生の育てる菊からすべての植物の手入れをしているSさんが、校内で育てたゴーヤ、茄子、まとめてあると、緑の細縄を束ねたように見える、やたらと長いインゲンを、早朝ドアノブにかけておいてくれた。Sさんの作る野菜は、数十メートル先で採れた物だから鮮度抜群である。今年は育ちがいまひとつだそうだが、いつもいただくピーマンはパリパリでプラスチックのようである。 お湯を沸かしてお茶を飲む習慣がなく、ここのところ家では流水麺ばかり食べているのでガスを使わず、ガス会社から、そういうことなら供給停止にしていたほうが良いですよ、というハガキをもらうくらいで、料理を一切せず、野菜不足もはなはだしい。緑の濃い野菜をゴリゴリと頬張りたかったので、炒めすぎないようにして食べた。近所の立ち飲み屋の女の子からは、鶏が生まれて初めて生んだという卵を沢山もらった。放し飼いで、すぐ採らないとトンビやカラスに持っていかれるような環境で産まれたそうで、小ぶりだが殻がやたらと固い。というわけで、実に健康的な朝食であったが、その間もモニターから目が離せない。ゴーヤを食べている間に、せっかく浮かぶはずだったアイディアが、通り過ぎていってしまったらどうしようと考えてしまうのである。こういった欲深さ、諦めの悪さは、さいわい人の見ていない制作上のことなので良いようなもので、常にそうであったら問題である。そういう人間のことを私は「マムシにタコアシのような野郎だ」と眉をひそめたものである。本日、久しぶり会うはずだった高校時代の友人の精神科医が“嫌いなものには必ず自分の要素がある”といっていた。  『私が作っているのは誰でしょうクイズ』は締め切りまであと少し、というところでメールをいただいている。ないと予想した女性の正解者も一名。『御木本幸吉』ぐらいはあるかと思ったが、ここまでくると外す方がいない。反応がないな、と出したヒント“先っちょにドリル”がまずかった。先着10名様としておけば、もう少し珍回答をいただけたのではなかったか、と思うのある。

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