明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


知人と三島について話していると、作品は好きだがその人となり、特にスキャンダラスな面については、顔をしかめられるばかりで、こちらが話したいことに至らないことが多い。プロレス嫌いな人に、プロレスの味わいを伝えるくらい厄介なことである。 私は作家の作品世界を挿絵のように創作しているわけではなく、むしろその人となりを描くために作品世界を利用しているようなところがある。だから例えば江戸川乱歩を制作した時も、過激に表現することは、むしろ望む所であったが、乱歩自身が自作について、エロやグロが過ぎた、といって悩むような人であったから、それを踏まえて制作した。そして登場いただく御本人に、作品を見てもらってウケたいと夢想するのである。すでに亡くなった人物に対して奇妙なことのようだが、ウケるように喜ばれるように、と常に考えていると、作者、作品との間に、独特の空気が生まれるような気がしている。 私は三島作品を読むのが高校生になってから、と遅れた。それは小説とは別な世界、決して上手とはいえない演技の映画『からっ風野郎』『黒蜥蜴』。それにあの市ヶ谷での最後のせいである。しかしここに至ると、生前世間から失笑を買ったであろうことさえも、今の私には魅力に思えている。 失笑といえば、あまりに明快にしてあからさまな怪作。かつて偽名まで使い、わざわざ下手糞に書き、同性愛誌に掲載された『愛の処刑』がある。あれを読んで元某会の会員はどう思うのだろう。もっとも三島作品の傑作の一つ『憂国』は、『愛の処刑』の改作といえるのだろう。

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