明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島作品制作のため二・二六事件について調べながら、気分を盛り上げるため集めていた関係者直筆の書、例えば陸軍大将真崎甚三郎、戒厳司令官香椎浩平、マレーの虎山下奉文等々だが、今時軍人の書などというものは、歴史的な人物といえど入手しやすく、サイン本と同じく、本人が書いて触った、と考えるとなんとも興味深いものである。 個展の賑やかしに、一緒に展示するのも一興かと考えていたのだが、最近妙な方向に脱線をはじめている。興味の中心は、明治維新前後に時代に置いていかれ、各地でクーデターを起こした尊王攘夷派のラストサムライ達である。洋装の人間とすれ違うたび、懐から塩を取り出し自身にふりかけ清めるような旧い連中で、三島が晩年九州に取材した神風連(しんぷうれん)などはその典型である。廃刀令に反対し、刀だけで鉄砲に向かっていき、ほぼ全滅。サムライはそうじゃなくっちゃ。というわけである。親類に総裁の直系の子孫がいる超過激集団、水戸の天狗党なども嬉しい。明日にも届くのは天誅組総裁、藤本鉄石の掛け軸である。鉄石に天心独明流剣術を教えた花房厳雄の絵はすでに入手済である。さらに先日入手した某人物の書の箱書きは頭山満であった。こんな話は団塊の世代に対し、少々腹に一物がある私の世代は、妙に盛り上がるのである。すっかり三島と無関係になりつつあるが、コレクションというものは無駄であるほど燃えるものである。  私が奥さんにコレクションの存在をばらしたことを、未だに根に持っている幼馴染のTの歯ぎしりが聞こえてくるようだが、まさかすべて捨てられるとは思わなかった。奥さんニコニコ笑ってたし。無駄ということに関してさらにレベルアップした物を、すでに集め始めていることは絶対いわない。

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