昨年の個展『男の死』は本来、今年やるつもりだったのを開催したこともあり、想定していた作品をすべて作り切れなかったが、それでもバランスだけはとるつもりでいた。しかし『仮面の告白』が素材満載の作品であり、そのせいでバランスが取れなかった。『仮面の告白』に対し『憂国』にもっと重心をかけるつもりであった。 三島はどれか一つ、といったら『憂国』を読んで欲しいといっているが、これ一つといわれても私は素直に聞くことができない。というのも新潮社の全集に入った、60年に同性愛誌に変名を使って掲載された『愛の処刑』である。この体育教師と生徒の話を翌年、将校と妻の話に、文学性を高めて書き直されたのが『憂国』といってよいのだろう。『愛の処刑』は青年(作中は少年だが)に見られながら腹を切りたい、という願望がそのまま描かれた作品であり、『楯の会』の会員などはどう受け止めたのであろうか。7日に出る雑誌『紙の爆弾』のニッポン越境問答で、一水会の鈴木邦男さんとお話させていただいた際、新潮社版全42巻を読破された鈴木さんに伺ってみたかったが、聞いてはいけないような気がして伺えなかった。そこで阿佐ヶ谷ロフトAのトークライブの後の二次会で、意を決して伺ってみたが、意外にも特別どうということないようなお返事であった。私の中に『判りました。行っちゃっていいんですね?』とアンドレ対前田の時の前田日明のようなセリフが浮かんだ。私が手掛けるなら『憂国あるいは愛の処刑』ということになる。つまり当然2・26決起将校と、部下の兵との話ということになる。実はこれ一作のみで、『男の死』というタイトルで制作しても良いくらいの大ネタであろう。