明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ある人物を作る場合、写真資料の他に声が聴けるとイメージが膨らむ。西瓜をたたくようなもので、中身を知る手掛かりになる。九代目市川團十郎を制作した時、たまたま九代目直筆の瀑布図の掛け軸を入手した。制作中、常に壁にぶら下げていたが、こんな物を入手して、良い作品ができなければ馬鹿みたいだし、実在した人物なんだという実感を味わえ、後押しになった。 そうこうして直筆の書というものにも興味が湧いた。何を書いてあるのか判らないことがほとんどなのが情けないが、意味がわからずとも味わいがある。子供の頃やった書道をまた習ってみたいと思うくらいである。 そして2・26事件の皇道派の将校等の書を集めだした辺りから、方向がそれはじめた。天誅組というのもあるが、やはり明治9年以降に興味がある。大アジア主義の頭山満、昭和天皇に倫理を教えた杉浦重剛(箱書き頭山満)、黒龍会の内田良平、東條英樹に敵対し自決した中野正剛、血盟団の井上日昭をけしかけた野口日主上人等々。なんでこういうことになったかというと、一つには“あちら”方面の人物は昨今人気がないのか入手しやすいのである。頭山の書を前に、この人が孫文をバックアップした人物か、などと空想するのは、著作を読むのとはまったく別の感慨があり、良いものである。 いや私は決して“民族派”人形作家になろうというわけではなく。たまたまである。



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