明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



東京積雪4センチ。6年ぶりだという。この程度しか降らなくなってしまったのか。天気も良くなり、戒厳令下の帝都の撮影には出かけず。 『三島由紀夫「最後の独白」市ヶ谷自決と2・26』前田宏一著(毎日ワンズ)を読む。2005年に出たものだが、まったく知らなかった。著者は元週間ポストの記者である。事件の直前の11月17日、著者にとって最初で最後となったインタビューをしている。三島はスケジュールを調整し、25日以降の約束はしていないことになっているが、三島に写真撮影を頼むと、「そうだねぇ、二十五日はのっぴきならない用があるんだが、二日もあればカタがつくと思うから二十七日、朝のうちにお電話下さい。そのとき時間決めましょう」といったという。そして今でも三島は市ヶ谷から帰るつもりだったと考えており、目的は死することではなく、訴え、真実に気づかせることだったという。二十七日の約束をした著者ならではの感想であろう。 私にはそう思えないし、未だにニュース映像を見ては、自衛隊員の中から、一人でも二人でも「三島先生お供します」という隊員が現れたらどうするつもりだったんだ、とハラハラする。声届かず、もはやこれまで、と武士がきびすを返し自決する。というのが用意されたシナリオだったはずで、三島のあの場での“演技”からは私にはそれが透けて見える気がするのである。よって映画『MISHIMA』における名優緒方拳のバルコニーの必死の訴えかけは納得がいかない。 三島について書かれているのは第一章であり、後の章は2・26事件についてであり、特に先年発見された青年将校等が獄中で書いた遺書がそのまま掲載されている第三章の『血滾る遺書』が嬉しい。
七時に阿佐ヶ谷。『奇譚倶楽部』という店に『中央公論Adagio』全号を展示いただいているという。行く前に中央線が誇るブルースベーシスト谷口さんのお宅で手打ち蕎麦をご馳走になる。湯煎により70パーセントまで煮詰めるという蕎麦汁。思いっきりドロドロの蕎麦湯も堪能し、一緒に『奇譚倶楽部』へ。発行順に壁に額装されて並べられていた。 帰りの中央線。どうにもトイレに行きたくなり、限界で途中下車したのがたまたま市ヶ谷駅。 東京駅からタクシーでT屋に。先日酔って両乳を露出した女性客等とTVでザ・タイガースを観る。サリーがベースを弾いており、学校の先生になっていたピーがドラムを叩いていた。懐かしくは観たが長生きすると伝説にはならない、とつくづく。



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