明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

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子供の頃、頭に浮かんだイメージはどこへいってしまうのか。悩んだものである。何処かに消えてしまって惜しい、ということではなかったが、確かに在るのに。私だけはそれを知っているのに。 私が作品を制作するのは、本当に在った。と確認する行為であり“やっぱり在った”と確認すれば、大方の役割は終わったといえるだろう。そういう意味でいえば、私の頭の中に浮かんだ程度のことは可視化できるようになった。それがその程度の物か、といわれればそれまでだが、実際ほぼそのままなのである。 眼高手低という言葉があるが、手が追いついてしまった、ということなのであろうか。寺山修司はいう“どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう”  私が最初に作った人形は、幼稚園児の頃であろう。割り箸と紙で作った反対人間(地面を境にして地上の人と足で接して逆さまに存在している)を別にすれば、陶芸の専門学校時代、18の時に手捻りした素焼きの黒人人形で、それは砕けてしまっているが、未だに友人が持っている。記念に写真を撮っておこうとしたことがあるが、あまりな出来にシャッターが切れなかった。そう思うと、数十年かかって、日々、ジワリジワリと現在の状態まで変化してきたことになる。以前は、作品を前に、何処かヘンなのに、どうして良いか判らず固まってしまう。という悪夢を随分みたが、現在では見ることもない。 思えばここ20年程、美術館や画廊など、めったなことでは出かけなくなっていた。自分の中のイメージを取り出すことが全てで、他人の作品観て感心している場合ではないだろう。と考えていた。しかしここへ来て、どうやらさらなる勉強の時期が来ている気がしている。こういう漠然とした勘は私の場合、まず百発百中である。ただ何をどうするかについてまでは見えていない。

オイルプリント制作法

インキング映像↓

http://youtu.be/kZozcEqgKsE 

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