高倉健が亡くなった。晩年は年齢的に設定に違和感を感じていたが。 任侠映画の最盛期には、近所の映画館に通ったものである。特に下町の東映系映画館にありがちなことであるが、館内にはまるで今観ているスクリーンから抜け出たような客が散見されたし、中学生からすると、地元の、あまり顔を合わせたくないような連中から隠れるようにしながら、スクリーンに見入った。高倉健と並び、スクリーン上のアップの大顔面の美しさに唖然とした藤純子。共に記憶の中では、下からスクリーンを見上げたように、上がすぼまっている。顔を合わせたくない連中を意識して、座席に沈み込む様に低い姿勢で見上げたせいであろうか。私は常に前の方の席、さらに出口に近い所に座ったが、要領の悪い奴は暗がりの中で酷い目にあっていた。 三島由紀夫はヤクザ役としてはむしろ鶴田浩二を好んだようだが、『三島由紀夫へのオマージュ』を制作した時、市ヶ谷に向かう三島と楯の会のメンバーを、『昭和残侠伝』の高倉健と池辺良の道行きシーンに見立て、着流し姿で颯爽と。という場面を考えた。背景には白のコロナまで用意していたのだが、その時は時間切れで断念した。隊員の証言では、市ヶ谷に向かうコロナ車中、三島と隊員は『唐獅子牡丹』を威勢良く歌ったようである。 午後、区内某所のNさんと打ち合わせを兼ね飲酒。来年、私の手元にある、展示できるすべての作品を並べられないか、という話。どんなものであろうか。ついでにジャズ、ブルース時代の写真作品もニュープリントを並べてみるのも面白いかもしれない。
オイルプリント制作法
インキング映像↓
http://youtu.be/kZozcEqgKsE
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