明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



河本の壁に貼ってある吉田類さんの『酒場漂流記』のポスターから第一回は河本だった、という話になった。BSが観られないので観ていないが、その日もいた。常連でテレビに映りたいなんて人は誰もいなかったので、その日は顔を出さなかったり裏の調理場に引っ込んだり、私のように終わるまで他所の店で飲んでいたり。結局常連席には見たことのないような客がならんでいたそうである。どうやって撮影を嗅ぎ付けるのであろうか。 河元の撮影には、『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)の河童を撮影するため入手した、古いスクリューマウントの、いずれも描写が怪しいレンズで挑んでいる。河童を背景に合成するには、レンズのボケ味が妨げとなり、思ったようには使えなかった。今回はさらに、河童にさえ使わなかった50mmレンズを引っ張りだした。絞ればシャープ。だが開放ではピントの外れた所の破綻がはなはだしい。だがしかし、ここは酩酊するため人々が集う場所である。文化遺産(ある意味ではそうだが)を記録するわけではない。レンズも酩酊調でいいのではないか。記録というより河本に漂う酩酊者の念のようなものが写っていれば、と思った。 本日も河本の太陽の御尊顔を拝すること叶わず。※申し訳ありませんが只今メールは携帯のみとなっております。



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