明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が〝考えるな感じろ”となった理由を昨日長々と書いた。あの一件で、自分を信じるようになり、何で寒山拾得なのか良く判らなかったが、頭で悩まなければ必ず見つかる自信があった。『書を捨て街にも出ない』さすがに達磨大師のように岩壁を見つめている訳にはいかないけれど、水槽の金魚を眺め暮らす、というのは我ながら名案であった。 虎に乗せるか、虎を傍らにはべらせ、自身は岩に座らせるか決まらない豊干禅師、一カットの画面に二人を共演させるため、まず蝦蟇仙人を作って、と思っていた鉄拐仙人を残してほぼ完成。それにしても蝦蟇仙人はカエル顔している必要はなかったし、頭に乗せた金運、幸運を象徴する三本脚のカエルも、あそこまで大きくする必要はなかった。そもそも蝦蟇仙人なんて、妙な存在なのだから可笑しい方が良いだろう。そう思うと私が40年に渡って歴代選んで来たモチーフは、私の持っている物を、それに乗じて作ることが出来る物であった。ここに至り歴史ある古典的モチーフにかこつけ、こんなやりたい放題のモチーフはないのではないか?小学生の時に作った八岐のオロチや、キングギドラを思い出し、誘惑に苛まれた龍を作るのを今回は何とか我慢した。



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