明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



布袋尊ようやく完成。どうせ目出度いモチーフなら、と背景を金箔貼り風にしてみた。 西洋画や写真に、浮世絵やかつての日本画の自由さを取り入れたい、と阻害しているのは陰影が原因だと、第一作目の三遊亭圓朝から、もう5年にはなるだろう。当初、私の人形の作風と相まって日本画調になったので、かつてのビクトリアリズムが全盛期の印象派の影響を受けていたことで、日本画調のビクトリアリズムと称していたが、今回のモチーフから、異変?を感じていた。作品によっては日本画調ではあるが、どうも趣が変わって来た。何が変わったのか、ずっと考えていたのだが、先ほど原因が判った。同じことをやっている連中がいるならまだしも、超が付くごく個人的技術面の話なのでしないでおく。 以前書いたが、無意識のうちに変わって来たことに気が付き、なんでだろう?と分析するうち、行く道に変化が生ずる。こうして四十年間の私のお馴染みのパターンである。



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臨済義玄本日2カット目完成。顔が怖いので、昨日完成した布袋尊の能天気な顔があってかえって良かった。これでいよいよ背景の準備もしていきたい。長年使っていた欅のちゃぶ台の脚を取り外し、スチール製の折り畳みの脚を着けて、テーブルにしようと、そのままになっていた物を組み立て、その上と、作業テーブルの上に、岩窟やら山水風景を作りたい。そう思っていたらBSの再放送で、中国の奇岩風景をやっていた。観ていると、今からでも房総の風景を撮った方が、とも思うが、達磨大師が座禅するテーブル状の岩とか、作ってはみたい。 昔、あらゆる物をパーツとして撮り、いずれ足腰が立たなくなった時のために、と本気で貯めていた時があった。ここでもし山水風景を上手く作れだなら、もうレンズは外側には向けず、眉間だけで良い、などと調子に乗ってしまう可能性がある。今年日中国交回復50年だそうである。奇しくも今回の個展は日本人は一休和尚ただ一人である。



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