明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日はくたびれて寒山拾得を作らず、撮って来た岩を『蝦蟇鉄拐図』に配して終わり。本日は午前中に個展用のステートメントおよそ600字を書く。しかし知らないこととはいえ、座禅もしたことないのに臨済宗宗祖を作ってしまったが。昔、イベントでバレエ『薔薇の精』を一度観ただけで翌年、ニジンスキー、コクトー、ディアギレフで個展を催してしまったが、あの頃私も若かった、と遠くを見る目をしていたはずだったが、何にも変わっていなかった。死ななきゃ治らないとはこのことか。臨済義玄がすましてただ斜め45度見ていたら作ることもなく、ひとえに喝!の激烈な表情ののせいである。 昔は友情を持って止めてくれた友人らも、寒山拾得に至り、遠くからただ無表情に眺めているという有様である。それは連中の立場になれば私にも理解は出来る。  臨済義玄を含め、事情が判ってくるにつれ、知っていたら作らなかったであろう作品も多いが、お陰で作ることが出来たともいえる。何でも都合良く解釈するといわれるが、そういえばあまり後悔しない体質かもしれない。



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