明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日、岩窟内の達磨大師をやり直して、もう実際の岩壁など撮る気はなくなった。いずれ岩窟に住む寒山、そこに訪れた拾得を作りたい。曾我蕭白の結晶みたいなヘン岩は嫌だが。 本日も晴天で石橋を撮りに行けず、翌日に発送とあるので、活き鯉を注文しようと手続きを進め、注文用カレンダーを見ると最短で5日となっている。これだから嫌なんだよ。写真の欠点、無い物は撮れない。注文を止め、癇癪起こしてトンカツを食べに行く。 多摩動物公園に知り合いがいるので、虎の展示状況を撮影して送ってもらった。虎の姿はない。ライオンは外でグウタラしているが、虎は出てこないことが多いらしい。もう判った!撮れるかどうか判らない物など要らない。虎と寒山拾得、豊干が寝ている『四睡図』今回は止めた。 その代わり『慧可断臂図』の岩壁が思いの外上手くいって気を良くしている。これなら地面も何も作ってやろう、と。代わりに新たな寒山拾得を加えることにした。まことなんか最初から写す気はない。私の行手の邪魔ばかりである。今後画面からますますホントのことが消えていくだろう。



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朝、曇天なので、中国風石橋を撮りに行こう、とカメラの充電。このまま、一回切りの充電で、個展作品を完成してしまう訳には行かないだろう、と思いながら2回目の充電をした。なんでフイルム代その他かかったあの頃に思い付かないで、デジタルの時代に、こんなシャッターを切る必要のない手法をやっているのだ。もっとも、その場で結果の判るデジタルだからこそ、ではある。結局陽が出て来たり出なかったりて撮影は止める。   この充電しながら思った事が、のちに影響したようである。 昨日、上手く行くかどうか、と思っていたら達磨大師が面壁9年、坐禅の挙句に手足が腐ってダルマとなったしまう。その岩窟の制作、当初、房総の洞穴を撮って、と思っていたのが自分で作ることに決めてしまった。頭の中では、30年前、高橋幸宏さんのアルバム『EGO』(東芝EMI)のジャケットで、で石膏を削って岩肌に見立てた経験を思い出したのだが、あれだけ時間をかけ達磨大師と慧可禅師を作ったのに、一晩で洞窟内岩壁が撮影まで完成してしまった。そこで充電時の気持ちが。    昨晩のデータを見直し岩壁をもう一度作り直し、まったく良くなった。



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