明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『慧可断臂図』は雪の積もる場面なのだが、雪舟作は背景が洞窟内なのでよくわからない。なので慧可は座禅中の達磨大師の聖域である洞窟内には入らずとした。雪舟の時代、これがどれだけ知られたエピソードかは判らないが、もう少し説明したく、腕を切断した剣を雪に突き立て雪上に血を滴らせたい。雪上の血といえば。 最初の出版『乱歩 夜の夢こそまこと』(絶版)で『盲獣』を制作した。盲目の殺人鬼が連続バラバラ殺人を犯す、という話だが、乱歩がそう書いているのだ、と女の切断された脚を風船で浅草寺上空を飛ばしたり、ハムの包み紙の中から切断された手首。雪の中から足が。そう思った時、既に東京に雪はなく、ネットの情報をもとに、切断された足役の女性を伴い、電車の中から線路脇の雪を探しながら、たどり着いたのが閑散とした温泉町。早速雪を求め、除雪され、積まれた道路脇の塊に足を突っ込んでもらい、ペットボトルの血糊を振り撒き撮影した。思えば馬鹿馬鹿しいことばかりである。

 

 

 

 

 



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一日  


昨日からちょっと部屋を片付けた。撮影が終わった連中が溜まって来たので、首を引っこ抜いて段ボール箱へ。今までもそうだったが、今回は特に、こんな場面で、こんな人物がこんなポーズをしている。と制作している。写らない所は冷酷なくらい作らない。でなければ、被写体制作と撮影の二刀流で個展など何年かかるか判らない。しかしだからこそ、撮影時に迷うことは何もないので、毎日のように撮影が完了している。ああ撮ろう、こっちからこう撮ろうなど一切ないからである。逆にいえば、二刀流だからこそ順調だといえる、二人で打ち合わせの必要はなく、意見の相違もない。ルールブックは一冊である。 それと、近日中に淡水魚である鯉の死体にポーズを付けて撮影することを考えると、多少は片付けたい、とさすがに思った。しかし慣れないことをするとダメージが甚だしく、寝てばかりいて、このブログも翌日書いている。  『慧可断臂図』は自分で腕を切り落としておいて、痛くて泣きそうなのか?という雪舟作と違い、覚悟の表情をさせ、また、達磨大師は背中を向けて無視しているが、その覚悟の念に、振り向かせた。構図は大分変わる予定。



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