〝私が月を差すとき指ではなく月を見ろ”とブッダはいったそうである。言葉に囚われることは、指を見て月を見ないことである。言葉では伝わらない、と禅画が描かれた理由もここにあるのだろうか。かつてバスガイドの山田邦子は、右手をご覧下さい。一番高いのが中指で御座います。といったけれども。 ところで自分でも何故寒山拾得なのか判らないまま約一年。ようやく解って来た。最後になってしまった寒山の首が出来て、やはり私のような渡世は、自分で作ってみる事でしか打開も解決もない、と改めて。これで個展会場では、まるで策がなく、行き先も見えないまま、水槽の金魚を眺め暮していたことなどお首にも出さず、初めから計画通り、予定通りこうなりました。という顔をすることにしよう。 ところで最後に出来た寒山にはモデルがいたことに本日気が付いた。すっかり忘れていたが。どこかで見た表情だ、と。数十年経ちようやく記憶が役に立った。最近ブログがくどく長い。明日にしよう。