明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



連日明け方までかかり、船の帆柱の先端に立つ、天狗状の人物を作っていた。荒天の東シナ海。当初浮世絵のように斜線で雨にしようと思ったが、直線の雨では暴風感が出ないので辞めた。そのかわりの雷光を。なので久しぶりに強い陰影で稲光としてみた。 陰翳があると写真に見える。考えてみると、散々まことを写すという写真にあらがい続けて来たが、実は作ったものに陰影を与えて、この世の物の如くにして散々利用して来た私であった。なのに実写に間違われて、これは私が作ったのだ、とムカついてみたり。まあ、すべて過ぎた話である。 半僧坊大権現には厄難消除、海上安全、火災消除、良縁生成就のご利益があるとされるが、独身の方向音痴制作の大権現は果たしてどうであろうか。

 



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帆柱  


頭に浮かんだイメージを正確に作り、目の前に現れれば、まずは成功であり、やっぱり私の頭の中に在ったなと満足する。なので頭に浮かんだものがつまらなかったら、それは一般の写真家が、モチーフあるいはロケ地の選択の失敗、みたいなことになる。昨日、半僧坊が先端に立つ、帆柱に滑車をつけて背景にカミナリを配せば完成だ、と書いていた。滑車でもないと電柱の先端に立っているようである。つまり船の帆柱は円柱だと思い込んでいた。遣隋使、遣唐使船、などの船を調べてみると、補強のためなのかは知らないが、帆柱は貼り合わせの四角柱なのである。今回は雷光による陰翳があり、足元の滑車のデイテールまで作る必要はないが、 荒れる東シナ海を、元王朝末期の中国から脱出する禅師を導く3メートルある半僧坊の勇壮な姿だ、なんて顔をしていたら、見る人によれば、勇壮だけどどこに立ってる?ということになる。



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今半僧坊を作っているのはおそらく地球上で私だけだろう。そう思う時、間違いなく何かが湧き出ている。杖を持つ天狗的人物が忍者のように胸元で刀印を結んでいる。睨んでいるのは行く先の博多であろう。私ほどの方向音痴が猿田彦的な道ひらきの神を作るというのも妙な気がする。あらかじめまさに暗雲たれ込める背景を作ってあったので快調に進み、明日は帆柱に付いている滑車にロープを作り最後に稲妻を加えれば完成である。



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陰影を排除するに際し、新版画の連中はどう対処していたのだろうと、図書館で眺めて見ると、都合により、室内、屋外、様々描き分けている。川瀬巴水など、名前が自体が水びたしなだけに水の表現が秀逸である。私も使い分けよう。稲光の中で、陰影がない、というのも冴えない。帆はおろしているだろうから、多少でも帆柱に見えるように滑車を着けよう。半僧坊はすでに帆柱の先端に立っている。最後に画面を縦断するぐらいの稲妻を描いて完成ということになるだろう。



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足腰を別にすれば数値的には最近好調であり10年以上風邪もひいていない。以前は冬にTシャツ一枚でモニターの前。寒くなってきたな。何か着ろよ、風邪ひくぞ、なんて風邪をひいていた。小学校の図書室、始業のチャイムが鳴っているのに読んでる本が辞められない。治らないものである。あえていえば 少々貧血気味というので、最近、サバの水煮缶に16穀米、麺つゆ、酒少々で炊き込みご飯を一月近く食べている。缶詰ならではという意味でサバの水煮は缶詰の名作であろう。二日目がさらに美味い。セブンの缶詰が臭みもなく、こちらも良く食べる国産イワシ味噌煮でやってみたら、ちょっとした“プアマンズ鰻丼“の趣に。山椒をを降って食べた。こちらはその日のうちに。 陰影のない手法だが、雷鳴轟く半僧坊の一点だけ、極端な陰影を出すことにしようと思う。



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一日  


大谷はいよいよ50/50が現実的になってきた。最近は撃たれたピッチャーの表情が呆れて苦笑というより、これで自分も大記録に名前が残る、という笑顔に見えてしまう。 半僧坊の着彩を済ませ、夜撮影しようと思ったが、身体の奥に疲れが溜まっているのがわかり手が止まる。この疲れにはアルコールしか届かないし、今まで一回しか二日酔いをしたことがない私は良く知っている。二日酔いをしないこととカフェインが効かないことと何か関係があるのだろうか?扇風機を止めようと思った記憶はあるが、例によってピストルに撃たれたように寝た。



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半僧坊は雷鳴轟く荒天の中、元王朝末期の中国から帰国する禅師を無事博多まで導く。考えてみると一種のヒーローではある。3メートルもあるし、火伏せ海難除けの霊力もある。この歳になってヒーローを作ることになるとは思わなかった。 雷鳴轟くは、私が勝手にいってるだけであるが、浜松方広寺のユーチューブの法話によると半僧坊登場の場面で帆柱の上に、という和尚様の一言を私は聴き逃さなかった。当初船のへ先に立ち、東シナ海を博多に向けて船を導いてる場面を考えていたのだが、帆柱のてっぺんであれば、石塚式ピクトリアリズムの大の苦手とする水、 まして大荒れの海などに触れないで済む。中国の深山風景を手のひら大の石ころで作れる石塚式だが、陰影がなければ反射、輝きは描けず、最難関が水である。もっとも明治大正の日本画の大家が、禅画などで人間の顔を描くと下手くそ、というのはけっこうありがちなことである。



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半僧半俗3メートルはあろうかという半僧坊である。中国は元王朝時代、七年の修行の末に帰国する無門元選禅師(後醍醐天皇十一番目皇子)だったが、元王朝も末期、脱出に近いものだったようだが。東シナ海は雷鳴轟く悪天候に見舞われる。禅師が観音経を唱えていると半僧坊が現れ、船を導き無事帰国することができた。そして禅師が開山となった浜松の大本山方広寺の守り神となった。火災が起きて伽藍が焼けても半僧坊のお堂は焼けず、全国的に火伏せの神として有名になる。明治時代、建長寺に分霊され、最深部の絶景の場所に天狗の像に見守られ祀られている。 予定しているのは帆柱の先端にすっくと立ち霊力を発する半僧坊である。まさに私が手がけなければ誰がやる、というシーンであろう。



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無学祖元、袖から龍、膝上に鳩で充分、と思いながらも白鹿も配した。思い付いた時、季節になり角が生え揃うのを待って動物園で鹿の撮影を、と書いたのを覚えているが、けっきょく鳩だけ本物になったが縁日のヒヨコみたいに青い鳩で違和感はないだろう。 写真の主役は被写体である。長い期間被写体の制作に費やし、お盆あたりから怒涛の写真作品制作。達磨大師1、蘭渓道隆3、無学祖元2が完成となった。蘭渓道隆天童山坐禅図は長辺2メートル超、あとは長辺150センチを予定している。3時間しか寝ていないので飲酒して早めに寝る。



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昨晩、蘭渓道隆と蒙古兵の陰影はないけれど立体感はある、という方法が行き当たりばったりで、なぜそうなったか判らないままであったが、蒙古兵に刀を向けられる無学祖元に立体感がなく、並んでいると合わない。睡魔と戦いながらなんとか方法を思い出し、撮影だけ済ませてピストルに撃たれたように寝る。朝再開。やはり今後はこれで行こう。大リーグボール3号改というところか。とにかく1カットで私の作品と判る江戸川乱歩のような“文体“を持たなくてはならない。『猟奇王』の漫画家川崎ゆきおが亡くなった。川崎ゆきおでさえ、自転車に乗って喫茶店でコーヒー飲んでたよな、と思いながらモニターの前に座り続ける。袖口から龍が現れ、膝の上には青い鳩が2匹。これで無学祖元の言い残した通りで完成のはずだが、私の“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ“が顔を出し、白鹿も配することに。円覚寺創建時、禅師の法話を聞こうと白鹿が現れたたことから円覚寺の山号を瑞鹿山という。



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昨晩、蘭渓道隆と蒙古兵の陰影はないけれど立体感はある、という方法が行き当たりばったりで、なぜそうなったか判らないままであったが、蒙古兵に刀を向けられる無学祖元に立体感がなく、並んでいると合わない。睡魔と戦いながらなんとか方法を思い出し、撮影だけ済ませてピストルに撃たれたように寝る。朝再開。やはり今後はこれで行こう。大リーグボール4号というほどのこともなく3号改とでもしておこう。夜の夢こそまことな、江戸川乱歩のような“文体“を持たなくてはならない。『猟奇王』の川崎ゆきおが亡くなった。川崎ゆきおでさえ、自転車に乗って喫茶店でコーヒー飲んでたよな、と思いながらモニターの前に座り続ける。袖口から龍が現れ無学祖元に絡みつき、膝の上には青い鳩が2匹。ここまで出来た、ここで完成のはずだが、さらに白鹿を配してみたい。



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円覚寺の開山無学祖元は、来日前、龍と青い鳩を伴った神が何度も現れ「我が国に教えを伝えよ」と告げられた。龍は禅師の袖に入り、鳩は膝の上に。そして元寇の敵味方を祀るために創建された円覚寺の開山として招かれる。鶴岡八幡の鳩を見て、あれは八幡の使いだったのだ、と悟った。もし自分の姿を刻むことあれば、袖から龍、膝上に鳩を、と伝えたとも聞くが、円覚寺の木像は椅子の背もたれに龍と鳩が刻まれている。そこで三島由紀夫制作の際、三島にウケることしか考えなかった私は禅師にウケようと、袖口から龍、膝上に青い鳩を配したが、竜は穴からウツボみたいなので、で禅師の背中を回って横から顔を出すことにした。 先日蒙古兵と蘭渓道隆を、どう撮ったか思い出したので、蒙古兵との無学祖元を撮り直した。着け放しのテレビから、鳩サブレは鶴岡八幡の鳩のイメージと聴こえた。



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生まれてからずっと眺めている庭。飼ってる亀は、あまり逃げ出すので目立つようにペンキで色塗って、甲羅に穴をあけ鎖で繋いでる。妙な色の花が咲いたり変った形の虫がいる。鳥も変な声で鳴いている。どれもこれも図鑑をいくら眺めても出ていない。友達に話しても信じないので、だったら見に来いよ。だけど何度行ってもたどり着けないという。一緒に行こう、ウチは親が働いているのでおやつは出ないけど。しかし手をつないでも、気が付くと私一人になっている。毎日虫や鳥や花が変わるので写真で撮っておこうと思うけど白黒じゃなあ。百科事典に載ってる絵を見ると、キリコとルソーが惜しいけれど違う。これはもう自分で描くしかない。この描き方を知っている大人はいないに決まっているから、自分でやってみよう。そうこうしたら40年が経ってしまった。だけどだいたい見たまんま描けるようになった。本当の話は亀のことだけだけど。



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考えるな感じろ、とへソ下三寸辺りにいるもう一人の私に任せきりにしていると、気がつくと知らない街角に立っていた、ということになる。寒山拾得2と行くつもりが、蒙古兵など作っている。今年元寇750周年だそうだから、それで作りました、という顔をしておこう。 思えば作家シリーズは長く続けたが、私小説嫌いから、それなりのラインナップになったが、陰影を排除した今となっては、作家の描くイメージが生臭く感じる。 思えば物心ついて以来、興味の対照は人間の姿形、その有様であり、それは今も相変わらずで、なので仏像には興味がない。今のところ臨済宗ばかりなのは、禅宗でも臨済宗が克明な師の頂相を残して来たからで、つまり写真資料が豊富的な意味が大きい。無学祖元と蒙古兵がほぼ完成したので、無学祖元の正面向いた坐禅姿にかかりたい。二匹の鳩に、袖から龍が顔を出し、背後には白鹿が配される予定である。陰影がある世界の中では絶対に手掛けないモチーフである。

 



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目が覚め着け放なしのモニター画面を見ると、画像の切り抜き作業の途中で力尽きていた。コーヒー抹茶、学生時代薬局で売っていた錠剤、残念ながらカフェインが効いた経験がない。 振り返ると、日々同じことをしているつもりで、ちょっとしたニュアンスに違いが出てきて40数年、独学我流者の、恐ろしく地味な、ショートカットなしの変化である。それに伴い、モチーフも変化してきた。先日からの、蒙古兵と蘭渓道隆の変化に気がついたが、臍下三寸が無意識でやっていることだから理由が判らない。まあいつもこの調子である。解明できれば、熟考の末やりました、という顔をする。 今年はどうやら元寇750周年らしい。来日前の無学祖元が元寇を恐れて誰もいない寺で一人坐禅していると、現れた蒙古兵に刀を向けられる。しかし微動だにせず漢詩を詠む。蒙古兵は刀を納め去っていく。可視化されている気配がないので作ろうと考えてから随分経ってしまった。明日には完成するだろう。



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