明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



紙幣に人像が使われるのは、偽造防止のため人の顔の違和感に人は気付くからだそうだが、確かに花鳥風月では、多少違っていようと一般人は簡単には気が付かないだろう。 建長寺の開山(初代住職)を斜め45度の肖像画をもとに作ったのは、その頂相が師であり教えそのものである、という思いに打たれたからである。しかし没後七百数十年の間に作られた全国の禅師像を見ると全国に残された像を見ると、噂話、あるいは噂話さえ聞かずに作られたとしか思えない像ばかりである。つまり造幣局と違い、信じることが肝心であり、鰯の頭でかまわない、ということなのだろうか。私は私の渡世上の義理?としてどうしても我慢ができないでいる。



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