平成19年2月9日(金)
良く鳥見に行く玉名市の横島干拓は加藤清正が着手し、細川忠利に受け継がれ、明治時代には村の有志の出費による干拓の歴史へとつながっていきます。
戦後食糧増産の為に農林省によって干拓工事が始まり、二十余年の歳月をかけ昭和四十二年五月潮止めが完成。その面積は四百七十九町歩という広大な面積です。
寄ってくる野鳥の数も多く、愛鳥家のスポットになっています。
干拓の碁盤状の道路をゆっくり車で走っていると突然ミサゴが舞い降りてきました。車が横に来ると再び舞い上がりました。何か獲物を掴んでいます。
赤いので緋鯉でしょうか。定かではありません。重いので畑で小休止したのかも知れません。ちょっと見えにくいですが、ちゃんと獲物を鷲掴みしています。
アップしてみると確かに緋鯉のように見えます。
ミサゴの尻尾の先に魚の尾ひれが見えます。
遠くの電柱に止まったようなので、ゆっくりと近づいていきましたが、堤防の方へ飛び去っていきました。
良く鳥見に行く玉名市の横島干拓は加藤清正が着手し、細川忠利に受け継がれ、明治時代には村の有志の出費による干拓の歴史へとつながっていきます。
戦後食糧増産の為に農林省によって干拓工事が始まり、二十余年の歳月をかけ昭和四十二年五月潮止めが完成。その面積は四百七十九町歩という広大な面積です。
寄ってくる野鳥の数も多く、愛鳥家のスポットになっています。
干拓の碁盤状の道路をゆっくり車で走っていると突然ミサゴが舞い降りてきました。車が横に来ると再び舞い上がりました。何か獲物を掴んでいます。
赤いので緋鯉でしょうか。定かではありません。重いので畑で小休止したのかも知れません。ちょっと見えにくいですが、ちゃんと獲物を鷲掴みしています。
アップしてみると確かに緋鯉のように見えます。
ミサゴの尻尾の先に魚の尾ひれが見えます。
遠くの電柱に止まったようなので、ゆっくりと近づいていきましたが、堤防の方へ飛び去っていきました。