平成19年4月12日(木)
さいたま市見沼区にある小さな藁葺きの祠(ほこら)です。桜の美しさに魅せられて行ってみると丸ヶ崎薬師堂の看板が建っていました。
どんないわれがあるのだろうと調べたら「Schwarzschild Cafeサイト」に辻谷の寅子石(榊 政子)からの引用として次の話しが紹介されていました。
『昔、この近辺の長者の養女に「寅子」という、それはたいそう器量好しの娘がいたそうだ。この寅子を我が物にしようと、地元の若い衆の間では、争いが絶えなくなってしまったとのこと。そのことを知った寅子はたいそう悲しみ、自害してしまう。その際に残された遺言に従い、長者は寅子の腿肉を膾(なます)にして、若い衆にそれと知らせずに振る舞ったということなのである。男たちは食事の後にこのことを知り、恐れ驚いて青石の供養塔を建て、寅子の冥福を祈ったとのことである。後に円空がこの地を訪れた際に、手のひらに乗るくらいの薬師像を作り納めたそうだ。』
手前には「岩槻型青面金剛」が建っています。Schwarzschild Cafeさんによると元禄二年の製作で「剣・人」「合掌」「矢・弓」を持つタイプだそうです。
怖い歴史の秘話を秘めて桜は咲き誇っています。
薬師地蔵は東向きにひっそり建っていました。
【4月3日の撮影です】
さいたま市見沼区にある小さな藁葺きの祠(ほこら)です。桜の美しさに魅せられて行ってみると丸ヶ崎薬師堂の看板が建っていました。
どんないわれがあるのだろうと調べたら「Schwarzschild Cafeサイト」に辻谷の寅子石(榊 政子)からの引用として次の話しが紹介されていました。
『昔、この近辺の長者の養女に「寅子」という、それはたいそう器量好しの娘がいたそうだ。この寅子を我が物にしようと、地元の若い衆の間では、争いが絶えなくなってしまったとのこと。そのことを知った寅子はたいそう悲しみ、自害してしまう。その際に残された遺言に従い、長者は寅子の腿肉を膾(なます)にして、若い衆にそれと知らせずに振る舞ったということなのである。男たちは食事の後にこのことを知り、恐れ驚いて青石の供養塔を建て、寅子の冥福を祈ったとのことである。後に円空がこの地を訪れた際に、手のひらに乗るくらいの薬師像を作り納めたそうだ。』
手前には「岩槻型青面金剛」が建っています。Schwarzschild Cafeさんによると元禄二年の製作で「剣・人」「合掌」「矢・弓」を持つタイプだそうです。
怖い歴史の秘話を秘めて桜は咲き誇っています。
薬師地蔵は東向きにひっそり建っていました。
【4月3日の撮影です】