平成21年10月13日(火)
孫のチョロ・ツー(小5)との見学記終編です。孫はコンデジで、私は一眼レフで撮りました。万田坑近くには桜で有名な万田公園がありますが、今は立入禁止区域もありさびれています。右上に少し見えているのは削られた痕跡のある万田山です。

チョロ・ツー撮影の第二竪坑櫓です。

今は封鎖されていますが、当時の地下を通っていた「万田坑トンネル」です。このトンネルのお陰で遠回りが避けられ、一般市民にも喜ばれたそうです。

石炭を運ぶ車は「炭函」(たんがん)と呼んでいました。【チョロ・ツー撮影】

この日の見学者は400人を超えたそうです。

敷地内にはかつて活躍したものが錆びついたまま残っています。

選炭場跡から北側の大牟田市方面を眺めました。○で囲んだ櫓は宮原坑です。

昔も彼岸花が咲いていたのでしょうか。【チョロ・ツー撮影】

第二竪坑から坑内へ降りていく坑夫たちがいつも安全を祈願していた山の神です。今、甦ってくる万田坑の世界遺産への願いを聞き届けてくれることでしょう。
次回の特別公開は今年の11月3日です。続編なのでコメント欄は閉じさせていただきました。ご了承ください。

孫のチョロ・ツー(小5)との見学記終編です。孫はコンデジで、私は一眼レフで撮りました。万田坑近くには桜で有名な万田公園がありますが、今は立入禁止区域もありさびれています。右上に少し見えているのは削られた痕跡のある万田山です。

チョロ・ツー撮影の第二竪坑櫓です。

今は封鎖されていますが、当時の地下を通っていた「万田坑トンネル」です。このトンネルのお陰で遠回りが避けられ、一般市民にも喜ばれたそうです。

石炭を運ぶ車は「炭函」(たんがん)と呼んでいました。【チョロ・ツー撮影】

この日の見学者は400人を超えたそうです。

敷地内にはかつて活躍したものが錆びついたまま残っています。

選炭場跡から北側の大牟田市方面を眺めました。○で囲んだ櫓は宮原坑です。

昔も彼岸花が咲いていたのでしょうか。【チョロ・ツー撮影】

第二竪坑から坑内へ降りていく坑夫たちがいつも安全を祈願していた山の神です。今、甦ってくる万田坑の世界遺産への願いを聞き届けてくれることでしょう。
次回の特別公開は今年の11月3日です。続編なのでコメント欄は閉じさせていただきました。ご了承ください。
