花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

古希同窓会に出席

2015-08-31 | ひと いのち
 平成27年8月31日(月)

 縁あって古希同窓会に招かれました。終戦の年の昭和20年(1945)と21年に生まれた人たちです。現熊本県天草市の離島・横浦島にあった御所浦北中学校卒業生です。卒業生の一人・NTさん(柳川市在住)の車に乗せてもらいました。朝が大雨のため濡れては困るとわざわざ小型のフェリーをチャーターしてくれました。フェリーの向こうに見えるのが人口700の横浦島です。



 私が大学を出て初めて赴任した地です。下宿していた酒屋兼雑貨屋を営んでいたO商店がまだ健在でした。55年前は島の人口は2000と言われていました。



 島にあった小学校、中学校は児童生徒数の減少で数年前に統合され、校舎や運動場や校門が名残を留めています。



 半世紀以上も前、3年生1クラス29名、全校生徒が140余名でした。29名中、出席者が10名です。勿論、フルネームで言えました。悲しいことには6人も浄土に召されていました。会の初めに亡くなった人たちを偲んで長い黙祷をしました。
 大学を出たばかりの私と年の差は7,8歳しかありませんでした。今こうしてみると誰が生徒か先生か分からないくらいです。(私は写っていませんが・・・。椅子に座っているのは宿のご主人です。)。55年ぶりに再会した人が3人もいました。



 会場の「民宿・瀬の浦」の前の横浦漁港、漁船がいっぱい係留されています。



 生徒たちと一緒に歩いていった通学路が懐かしい。卒業前、足を骨折したNT君を、私を含め交代で山道を負ぶっていった思い出話に花が咲きました。



 向こうが御所浦島(左側)です。牧島(右側)との間に橋が架かっていますが横浦島には架橋がありません。



 翌朝、またフェリーをチャーターしてもらいました。大阪へ帰るHIさん親子と柳川へ帰るNTさんの車が2台です。幹事のYOさんが桟橋で見送ってくれました。



 ウミネコも見送りです。



 横浦島が段々遠のきます。次は喜寿の祝でしょうか。私はもう出席できないことでしょう。



 29名を巣出させた翌年、私は「北中逍遙歌」(三節)を作りました。一節のみ紹介します。今も同窓会では細々と歌い継がれています。
     割れ石ケ浜 うち寄する 
      怒濤のしぶき 身に浴びて
      英気溢るる 百七十
      ここに北中の 健児あり   (注・翌年の生徒数は170余名に増えていました。)

コメント (16)
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