帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

僕の愛する 詩

2018年07月10日 | 僕という人間 その他

 Youth   青春        訳 By 翔           Samuel  Ullman

 

Youth  is  not   a  time  of  life ;  it  is  a  state  of
mind ;  it  is  not  a  matter  of  rosy  cheeks,  red
lips  and  supple  knees ;  it  is  a  matter  of   the
will,  a  quality  of  the  imagination,  a vigor  of
the  emotions ;  it  is  the  freshness  of  the  deep
springs  of  life.

青春とは 

一生のうちの、ある時間では無く  心の奥に有る"本当の自分"そのもの

艶やかなチーク色の頬ではなく  赤い唇でも無く  魅惑的な膝小僧でもなく

それはあたかも 深き泉から湧きいずるがごとく  清くて  創造的で  ほとばしる物だ

Youth  means  a  temperamental  predominance
of   courage  over  timidity   of  the  appetite,  for
adventure  over  the  love  of    ease.  This  often
exists  in  a  man  of  sixty  more  than  a  boy  of
twenty. Nobody  grows old  merely  by  a number
of    years.    We   grow   old    by   deserting   our
ideals.

青春とは 

臆病で逃げ腰の己(心)を乗り越える為の   心のトレーニングに(勇気を育てる)に貪欲で

愛と冒険の為に挑戦し続ける事だ

これは時として 60の男性であっても 20才 いや、16歳の青年より若く有り

年齢を数える度に同時に失われていく希望(理想)とは、全く無関係である。


Years   may  wrinkle  the  skin,   but   to  give  up
enthusiasm   wrinkles   the   soul.    Worry,   fear,
self‐distrust  bows the heart and  turns  the spirit
back  to  dust.

年月は肌に皺を刻むが  望みを捨てない事で鍛えられた、魂の皺も同時に刻まれる

心配、 恐れ、 自分が壊れそうになった時 心の舳先を己の心に向かってとり続けるかぎり・・・

Whether   sixty   or   sixteen,  there   is   in  every
human  being's  heart   the  lure  of  wonder,  the
unfailing  child‐like  appetite   of   what's  next,
and   the   joy   of   the  game  of  living.   In   the
center  of  your  heart  and  my  heart  there  is  a
wireless station; so  long  as  it receives  messages
of   beauty,   hope,   cheer,   courage   and   power
from  men  and  from   the  Infinite,  so  long  are
you  young.

60であろうが16であろうが

全ての人の 幼き日の あの好奇心とトキメキが消えることは無く

そう それは次を求めつづけて 決してくじけない幼子の自分でもあり

人生を素晴らしく輝く物にしてくれる

 

人と人との心の間には、見えない繋がり(会話)があり  

それは 美 希望 応援 勇気 そして 力 を若き日(青春)の君に 永遠に伝え続ける

年(時)を超えて、なんら変わりなく。


When  the  aerials  are  down,  and  your  spirit  is
covered   with   snows  of   cynicism   and   the  ice
of  pessimism, then  you  are  grown  old,  even  at
twenty,  but  as  long  as  your  aerials  are  up,  to
catch the  waves  of   optimism, there is  hope  you
may  die  young  at  eighty.

もし それを受け取れなくなる日がやって来たとて

君の心が 押し寄せる年齢と供に 皮肉と悲観に氷のごとく閉ざされたとしても

青春は立ち上がり 波に立ち向かい 波をつかまえ 必ず嵐を乗り越える事が出来るであろう


そしてそれは 死するまで決して失われない、本当の自分として有り続けるであろう

 

 写真はhttp://www.sandisk-jp.com/cs/5101 より

 

 


車には 夢があった

2018年05月31日 | 僕という人間 その他

V8エンジン、4WD、ターボチャージャー、スーパーチャージャ-、

400mを 10秒かからず走り抜けるホットロッド、 無用にデカいアメ車、 無骨なピックアップトラック、 ロータリエンジンを積むMADE IN JAPAN。

少し前まで、車には、沢山の夢があった。

 

幼き日に手にしたミニカーで、砂場で夢中になって遊んでいたあの頃。

プラモデルやミニ四駆を改造し、エンジン付きのラジコンをみて、羨ましかった。

 

やがて免許をとって、 ぼろの車をなんとか手にして、

ある奴はエンジンをいじくり回して 「六〇〇馬力だぜ!」 と吹いて、でもその実はいじくりすぎてノーマルの半分のパワーしか出ない。

レーサー気取りだった奴は、サスペンションを変えて、 これで峠のキングだぜ! と言って翌週はバンパーの修理。

また、あるやつは車をピカピカにドレスアップして、女にモテたくて必死。

で、落ち込んでいる彼に、「例の彼女は?」と聞くと BMWの新彼氏とデートしているのを見てしまったとか。

 

それぞれの青春、それぞれの思い出。

 

車は、自分の力を大きくしてくれる存在、 そして、いじくり回せる 大人だけが遊べる=大きな夢を載せたオモチャそのものだった。

 

よせばいいのにマフラー取り替えて、幼き日よろしくパトカーと追いかけゴッこ (爆!) な、やつも居たな~ 番外編?(笑)

 

 

熱き鉄の塊は、

何時も自分の傍らにいて、 何も言わず、 でもイグニッションキーを回せば、確実に心が踊った。

 

 

ところが・・・

 

今はどうだろう? 全くいじれない、糞面白くもなんともない、完璧な電子制御エンジン。

豪勢なパワーアシスト機構は、際限なく車の価格を高くし、 メーターのLEDがたった一つ点灯しないだけで10万の確実な支払いを要求してくる設計構造と、

車検システム。

 

余りにもてんこ盛りされた安全機構は、自ら危険を回避する感覚的能力を奪い去り、 

イージーで簡単、理想的なシフトをしてくれるオートマは、失われたイグニッションキーの役割と供に

人が本来持っている 力を操る= 車を操る喜び  を消し去った。

 

すでに立派な老人介護カーである、ハイブリッド車は モーターパワーで究極の省エネを奏でる為に、ノロノロ発進をメーター表示でドライバーにしつこいくらい薦めてくる。

 

そして、車に乗るのでは無く、車に操られる事になんら疑問を持たない”素直な者達”が、街の至る処に亀の集団を造り出す。

 

しかしながら、その現実は?というと、理想燃費の為のノロノロ発進で失われる社会的経済性は大量のCO2を逆に排出。

腐るほど取り付けられた沢山の機能は その生産のためにこれまたCo2を大量に消費している。

 

完璧で豪勢な空調と、一切記憶をしなくても目的地に連れて行ってくれるナビは、 人の環境適応性を削り取り、毎日脳細胞を消滅させていく。

 

どこか間違ってないだろうか?

 

車はママのお腹(子宮)では無い! 

暖かくて優しくて、安全な揺りかごを車に求める企業姿勢は、正直なところ、いい加減うんざりする。

 

 

と、こんなことを思うのは多分僕くらい何だろうなと・・・・・ すこし変わり者だから僕は(笑)

 

人は、生まれたら最後、”命がつきるまで成長”し続けなければならない、 それは老いても全く同じで、

”自然に抗うからこそ”、杖をつかずに歩ける、箸で飯を食える、自分でトイレにも行ける。

 

その心を失ってしまえば、 人はどんどんと衰えていくだけになる。 

 

オートでドアを閉めてもらうなら、自分の手で閉めよ、

少しの距離なら自分の足で歩き、安全アシストに頼らず周囲に気を配ってハンドルを握れ。、

イグニッションキーを自分で回してエンジンに喝を入れ、 走る楽しさを感じ取れや!

 

そう僕は思う。

 

ふ~~~~~~ 少しだけすっきりした  だはははは!

 

 

 

 

 


少し太った????

2017年12月26日 | 僕という人間 その他

約1年ぶりに写真を撮ってみました。

先の日記にも書きましたが、今年は体の故障が多く、書いてないのも合わせるとかなり痛い思いをしている。

さらに愛車がハイエースベースのバンコンから、キャブコンのマンボウに代わり、

その整備とかで、週末をほぼ全部費やして・・・

なので、ジムでの筋トレが出来ず、さらにはマウンテンバイクで体を動かす時間が全くなし。

 

「なんか太ったかな・・・・?」と、と思ったりする翔です。

 

クリスマス料理終わった夕方、時間が空いたときに撮ってみました。

しかし・・・・醜男だけは、以前も今も、この先も、全く変わらんぞい 

爆笑!!

 


僕が今の仕事をしている理由と、零式艦上戦闘機

2017年06月30日 | 僕という人間 その他

ガキの頃は、ひたすら零戦が好きだった、 

1000馬力程度のエンジンを積む零戦に対し、その倍以上のパワーがあるエンジンを搭載し、100倍もある経済と工業力が次々送り出してくる最新鋭戦闘機。

 

それと真っ向から立ち向かった存在。

圧倒的な力の差があるなかで生み出された、日本の工業技術上の最高傑作機でもある。

 

何でもかんでも戦争の悲劇とひたすら結びつけたいアホはキックアウトして、一人の技術屋としてこの戦闘機の開発に心血注いだ開発者達には、

ひたすら頭が下がります・・・・

 

何故、僕が今の仕事に就いているか?というなら、理由は至極単純、この国を守る為に命を落としていった、大先輩達に少しでも報いるためだ。

 

 

当時、白人が世界を征服し、有色人種は植民地化されるのが世界の常識で、アジアの殆どが植民地となり、唯一残っていたのはタイとこの日本。

 

たった一国、東洋の貧乏国家が、ABCD包囲網に苦しみ、最後まで外交交渉で解決を試みたけど、

端から有色人種は支配下に置くべき物でしか無かったその当時の世界常識に、アジアでたった一人だけ立ち上がったのは、この日本だけなんですね。

 

女工と年寄りばかりの、疎開先工場で、鍋釜溶かして造られた粗悪部品を寄せ集めた機体に、松の根を絞って得られた液体を希釈した燃料。

 

アジアを支配しようとした! ん? バカ言ってんじゃ~ないよ! そんなアホな目的の為に喰う物も喰わずに働くわけ無いだろ・・・

 

https://www.zero-sen.jp/

 

最後にその零戦にまつわる映画のビデオを紹介します。   ビデオ屋さんに行けば全編見る事ができます。

この映画に付いて僕がしごのご言うことはありませんけど、何かは得てもらえると思います。

 

そうそう、このブログを見てくれている皆さんの中で鹿児島の知覧に行かれるチャンスが有りましたら、是非 特効観音に足を運んでみて下さい。

当時27歳だった僕が今の僕になるきっかけをもたらしてくれた場所でもありますので。

最後の最後に、

自分の親(祖先の思い)を粗末にする人間に、明るい未来など、決して存在しない。

何故なら、空気のようで有りながら、その際限なく温かい心を感じ取れない人間に、愛する物を守る事など出来はしない。

命は伝承の連続で、そこには先祖様の思いが常に載るわけであり、それが何なのか?を考えることも出来ない以上、

今目の前にある全ての物、そして人を、どう大切にする事が出来様か・・・

 


解決

2017年06月29日 | 僕という人間 その他

足かけ約2年、 設計通りの性能が出ずに使用されていなかった・・・・

運用開始から程なくしてインシデントレポートが出まくりでしたから。 

設置業者の工事は完璧、 メーカーの設計も完璧、 検査官が最後に来て、レギュレーションに記載されている要件を満たすための、補足工事を言い渡して、無事完了。

だった・・・・

全て万事OKだったはずのシステムが、 使い始めて数ヶ月した辺りから性能が落ち始めて、最後には使い物にならないレベルにまで性能低下。

で、事はグローバルな訳でして、装置自体の価格も半端ないし、工事費も半端ない。

 

高度なシステムに接続されて運用されるもの故、その設計理論もはんぱじゃない。

*そのシステムの基礎中の基礎、イロハのイ が下の図  現物はこの数百倍いやそれ以上?

メーカー保証があるので、僕の方は手も出せず、こっちサイドのメンテナンス関係技術者と、向こうのメーカーエンジニアとの一連のやりとりだけ拝見させてもらっていたが、

最後になって、お互いが「相手に非が有る!」みたいな感じになって来て、大もめ。

そして自体は膠着   爆汗!

 

そこで、関係していたプロジェクトが春に終了した事で、手の空いた僕が、”仕方なし”に介入する事にした。

 

た~だ、非常にやっかいなのは、どんなに高度に測定しても、どんなに調べても、 メーカでさえ全く不調の原因が解らず、+検査測定データに全くの異常も問題のかけらすらも無い事で、これが事を複雑化させる原因となっていた。

運用すると性能が出ないんです。

 

そこで問題が起きてきた経過と、それが生じる諸条件を何日も頭の中で整理し、 有る仮説を導き出し、

一昨日朝にそれを実行しました。

息子の購入予定車を見に行った日の 朝です。

 

方法は非常に簡単な事なんですけどね、上にも書いた様に非常に高度な理論にて、

まあ、微妙な物理的、電子的バランスで成り立つシステムですので、有る部分に何かあると全体のバランスががたがたになる。

そのバランスを”稼働時に取れるようにすれば良いだけ”の事なんです。

 

で、今日の午前中にシステムを再稼働させ、テストを行い、そのデーター見たら 100%の性能が出ている。

何度繰り返しても全く問題なくて、

ビンゴー!! ぎゃははは!

 

なるほどね~! と自分でやっておきながら納得する僕。

頭で構築していた修理(改造?)理論が正しかった訳ですが、これで海をまたいで騒ぎになっていた案件が無事終了。

苦しんでいた関係者は皆、そんな簡単なことで? と、唖然としていましたけど、自分からすれば、もっと早くやればよかったな~と・・・・・

 

この後、数週間のテスト運用をして、何ら問題が無ければ本件は落着です。 

 

いつも安給月給で、持てる技術を無料奉仕しまくりな、日本の田舎のカッペエンジニアである僕。

 

でも、今晩のビール、といっても発泡酒  (笑) ですが、格別な味になるだろうな・・・・・と、それだけで満足な翔です。


ブログを見て頂いてる皆さんに感謝

2017年06月28日 | 僕という人間 その他

このブログを開いてから、すでに長い年月が過ぎましたけど、おかげさまで”何とか?”続いています。

拝読して頂いてる皆様には、心から感謝です。 

 

半年くらいの間隔で、 辞めようか・・・何て考えたりするのですけど、

でも、それでも継続出来ているのは、こんなブログでも見てくれる人がいる事でして、それが支えになっています

 

本当は、コメント欄とかを完全解放して、多くの方達とコミュニケーションを取れればもっと楽しいのですけど、

認証制にしていても、 「これは一体何?」と言いたくなるようなコメントも時々ですが有って、そんなのは当然削除して公開しないわけですが、

制限していてもそれですから、 解放したらと思うと・・・・ 

 

なんつ~か、誰かが書いたことが、自分の考え方に少しでも沿っていないと気にくわない輩がいて、

これじゃ~コメント頂いた事に、普通の返信コメントして、それに対して、火を付けたい者が横やり入れたりするのが目に見えている。

 

実際に、色々なブログを見ていると、コメントをもらっても特段返信せず、あえて放置しているのもある。

全部に返信すると、それに対して面倒なことが起きる事が有るからですが、

小さな人間がやたらと増殖して、意味不明な正義感で誰かの失言や、偶々文章的にどちらにも解釈できるような曖昧な状態があると、そこに突っ込む。

 

餌食を見つけると、知らない間にそれが広がり、皆で面白おかしく油を注いで大火にする。

 

時間をかけて、その人の書いた物をよい方向で考えながら読めば、”なるほどね~”と思うブログすら、そうした手間?すら面倒らしく、

まあ、何でも良いんでしょうけど、人を攻撃することは簡単だし、人の不幸は蜜の味な訳でして。 

 

そんなことから、コメント欄は未だ認証制のままになっています。

申し訳ありません。

 

早く来ないかな~梅雨明け  翔より

 


この素晴らしき世界

2017年06月25日 | 僕という人間 その他

数日前に紹介した曲の 原曲。

僕が心から愛する曲です。

 

遙か前に書いた日記の、掘り起こしですけど、その時も今も、何ら変わらない自分がいるなと・・・・思う。



この素晴らしき世界は ルイ・アームストロングの有名な曲ですが、
”表面的”歌詞の意味と(といってもこれが普通ですが)、メロディーの美しさで有名です。

 

もちろん僕も、表意味は好きですが、もう一つ裏に有る、深い意味のほうが遥かに好きですね。 (^^)

英文は表だけの解釈と、もう一つ裏解釈というものが存在していて(無いのも有ります)、それが解ると、こうした曲はさらに心へ染み入る物になります。

 

今日はこの曲を僕なりの?裏解釈で紹介したいと思います。

まず、I see trees of green, red roses too.

Seeは当然に、見えるという意味ですけど、他にも意味が有って、曲全体の裏解釈から別の言葉にしてみますが、

知るとか、認める、他には体験するとか、想像するという意味があります。

Treeは、単に木ですけど、裏意味では”組織やどうにもならない事”という意味です。

他には のぼせる とか 狂気 という意味も・・・

Greenは緑で、この場合はソルジャー(兵士)のこと(当時の米軍制服色とベトナムの緑豊かな大地)を指しており、

Redroseは傷口と、そこから溢れ出る血の裏意味を表わしています。



これを踏まえるとこの先の歌詞の全体を、ある程度ご理解頂く事は可能かと思います。

 

I see them bloom for me and you

bloomは花そのものですが、煌めく青春と訳せます。

これはThemという言葉と考え合わせる必要があり=彼らの青春(人生)となり、そのすぐ後の、 me&youは、 敵と味方もしくはかれらを取り巻くすべての人として解することができます。



合わせると、

「私には彼らの輝き(青春)は、”彼ら全てに繋がる人達”の為にある(左右されている)と思える」という意味となります。

本当なら戦場で戦う存在では無いはずなのに・・・・といった意味でもあります。

 

And I think to myself, what a wonderful world

ここでは、Wonderful(素晴らしい)がとても重要で、Myselfと絡んで

、さらにThinkの持つ意味 ”思いこむ、考える” と折り合いつつ展開する・・・

 

Andは、そして という意味ですが、この曲では だから と訳すべきかと。

まとめると、この一文の意味は裏意味の重要な塊で、



そして自分は、ここが素晴らしいところだと思わねばならないのだ(ろうか・・・)」という意味になります。

 

I see skies of blue and clouds of white

Skiesはskyの複数形、本来空は一つで数えられないので複数にならないはず、

それを複数形としてここに持ってきているのは、

宗教、民族、国や肌の色等、 様々な、異なる?人がそれぞれが見上げた空の色で、

有るはずのない壁によって、異なった空が見えてしまう、という事を意味しています。

 

Cloudsは、大群や紛争、悲しみ、傷、という割と良くない方向に介することが出来て、

whiteは単純には白ですが、白人という意味でもあり、染める(諭すことの無意味な一部の思い上がり)意味と、その別意味で(人種とは無関係に)歪んだ思想と訳せ、

思い上がりや、ファシズム的と言う意味をも、持ち合わせます。

 

まとめると、「私にはごく一部の思い上がりが悲しみを引き起こし、それが世界中の人々に異なる空を見せているように見える。」という歌詞となります。

The bright blessed day, the dark sacred night

Blessedは、喜ばしい、幸運、神聖という意味もありますが、”いまいましい”という意味もあります。

Bright は生き生きした、元気がよい、有望な、澄んだ、鮮やかな、ですから、

dayの持つ意味、日の当たる場所と絡んで、さらにTheで明確に指し示されることで

 

“戦場で戦っている、本来違うところで輝くはずの命”や“、戦争の大義名分”を意味します。

 

此処で、 B(Be)を取り除いて Right と Lessedに単語を変換すると 

Right は正しい、正義にかなった 、Lessedは 神聖な、清められた 

で、Day は日々。

Bは、 Beと仮定した場合、 ”在る”という意味ですから、そうですね~、

簡単に説明するなら 在る無形の空間に存在する、ある一つの明確な存在。

 

Theにより特定されますから、これで意味が分かりますよね、漠然とした中に存在していた明確な正しさと神聖な日々 という意味になります。

 

Darkは決して見える事の無い裏を意味し、Sacredは宗教的、捧げられた、尊ばれるで、nightに被りますが、

来れも前半部分と同様、 Dを除くと Ark すなわち箱船。

箱船=大災害

Sを除いた Acered は 広大な敷地(支配した)

頭のDS は それを繋ぐ2本の鎖・・・・

 

夜はすでに失われた命や、暗闇、暗黒という意味があるので、この場合は

“その裏で大義名分に捧げられた命”や、“戦争=経済的儲け”として、

 

文の前半とは意図的に対局した意味と平行した意味を、並べて記していることになります。

非常に複雑で多数の意味と解釈が可能で、

この一文は非常に意味が深く、1人の人間が生きていく人生でもあり、歴史でもあり、社会構造でもある・・・人が生まれて現代にいたるまで永遠に繰り返されてきた

業 ?

 

そしてまた再び

And I think to myself, what a wonderful world

こんなのを”素晴らしい事だと思わねばならないのだ(ろうか・・・)”と嘆いている。


 

The colors of the rainbow, so pretty in the sky.

この場合、カラーは宗教、国、人種を端的に意味し、Rainbowは 全域、そして幻に見えてしまう目標を差し、それはPretty(素晴らしい)Sky(ここでは一つの空となっています)と絡み。


「あらゆる宗教、民族、国、人種が一つになれる事は、それはとても美しい(素晴らしい)んだ」となります。

 

Are also on the faces of people going by I see friends shaking hands, saying how do you do.

Byが入りますが、その先がここには有りません。 

通常はGod(神)という言葉が入るのですが、あえて書かずにbyを置いて、その後の一文を連結させて意味を持たせています。

Faceがありますので、これにより誰にでも出来ることなのだと明示して、歌詞は

「決して大きな存在なんか必要無く、誰にでも為し得ることだ」という意味になり、それがby以降の文に関係します

See で想像できる、見えるという意味ですから、
全体を通せば、

 

「私には、手を取り合って助け合い、互いに言葉を交わすことが出来れば、決して大きな力(神、軍事力、威圧)等を借りずになしえる事に、思える」

となります。

They're really saying, I love you

これは簡単で、裏意味は全く在りません。

 

「皆、誰しもが、「キミを愛している!」と言えるけど、それは嘘なんかじゃないだろう。」


I hear babies cry, I watch them grow

これも裏意味はなし。

Babies cry 赤子の泣き声という意味ですが、”新しい時代がすぐそこに来ているのだよ!” といった意味。

別の意味として、この曲が歌われた頃に盛り上がり始めた反戦の声や、ベトナム戦争を通じて白人が有色人種を支配する時代の終焉が来ているのだ、というメッセージでもあると僕はとっています


They'll learn much more than I'll ever know

Theyは、世界にあらゆる悲しみを生み出す思想や考え方を意味し、それは「多くを知る事で、多くを学んでいくことになる」という言葉となっています。

 

そして

And I think to myself, what a wonderful world

私は自分に問いかける、素晴らしい世界って一体何だろうと・・・・


文法的には当然疑問文ではありませんが、英文は別に動詞が前に来なくても、クエスチョンマークがつかなくても、

弱い意味の疑問文として、口語的には全くおかしく無いので注意。

 

対照的に完全肯定文は次

曲の一番最後のは、これまでの同一文とは異なり、頭にYESという言葉がついています。

これは、自分に強く語りかける場合によく使用しますが、自分自身を励ましたり、自分の言っていることに間違いは無いのだと確認したり、自らを奮い立たせるときに多様しますので、

最後の一文はそれまでとはがらりと意味が変り、

Yes, I think to myself, what a wonderful world

「そう、私は思う、ここは素晴らしい世界なのだ(だと信じる)」となって曲が終わります。

 

 

 

以上、翔の訳でした。 


昨日に続いて もう一問解いてみた でも IQ228なんて要るんか?

2017年02月24日 | 僕という人間 その他

昨日の、アインシュタイン博士の問題解きで、普段全く使わない脳が興奮してしまって(多分)、

寝ているのに寝ていない状態だったので、今朝は爆眠い翔です。    とほほほ

 

で、起きざまに、よせば良いのにもう一問解いてみました。

というか、これ答え出るのに 1分も掛からなくて、何が論争になったのか?すら理解できない。

だから子供の頃に変なやつだと虐められたり嫌われてたりしていたんですけど 

 

その問題は

1.ドアが3つあります
2.その中に 当りが1つ、ハズレが2つ あります
3.あなたは、ドアをひとつ選べます 
4.あなたが選んでいないドアを司会者が開けます
5.開けられたドアは 必ず「ハズレ」です
6.あなたは、ドアを選びなおす権利があります
7.選びなおさない権利もあります

こっちの方が解りやすいかな?

 

 

でもって、ハイ!これが答え、 理論もきちんと書いてあります。

 

プレイヤーが元のドアを開けると 確率は1/3のまま、ドアを選び直すと 当然50%確率が増した方(新しい確率)に、時差的条件移行を選択したことになり、

何回やっても当然新しいドアを選んだ方が新車を手にする可能性が高くなる。

たったこれだけ    ぎゃはははは!

そういえば、 この日記書いた後に、昔娘に話した事を思い出した。

 http://blog.goo.ne.jp/freedomeagle/s/%E7%9F%9B%E3%81%A8%E7%9B%BE

今からもう10年くらい前の話ですけど。

 

ね、眠い・・・・・・・・・半端なく・・・・

でもこれって、一昨日ジムで久しぶりにガシガシ筋トレやったのも、影響として出ているんかいな???

今朝は温度高くてそれも影響しているのかな?

 

 


アルバートアィンシュタイン博士のクイズを解いて、 宇宙を知る?

2017年02月23日 | 僕という人間 その他

"頭脳に自信がある"世界中の人間が挑み、 98%の人が答えを出すことが出来なかった。

という問題に、IQ140 の僕が挑んでみたりしました。 

 無謀な? お馬鹿と呼んで下さい(爆笑)

 

いつも思うのですが、こういったクイズを出しているYoutubeなり、ブログなり、そういったSNSは 答えはこれです! とだけ載せているところがほぼ100% 

でも、どうやって解きほぐすのか?が書かれてなかったり、詳細な解き方を紹介していることがほぼ皆無。 

 

これって実は紹介してる人間自体が、その問題を解けてないんじゃ~ないのですかいな~???? なははは!

他にも有るけど、それは最後にね 、 読んでもらえないと、その意味を今書いても、多分解ってもらえないと思いますので・・・・ 爆汗 

 

まあ、そういう僕も、はじめは頭の中だけで展開してやっていましたけど、案外難関でして、

目をつぶって頭の中の空間に並べられるカードに限界が有るので、要件カードなる物を作成しての再挑戦でした。。

 

ここでは、どうやって問題を解いていくのか?をブログ記事にして、現実に解き明かしてみます。

*写真の字が汚いのですいません。

 

まず要件を一つずつ書き、そのなかで牽連していて見つけやすい物を抜き出します

目を付けたのが色。

親切なのが、”白い家の左が緑色の家” ”イギリス人は赤い家 ノルウェー人は青い色の隣。 という要件

これを関連づけるヒントは ノルウェー人は一番最初の家 というところ。

 

なのでノルウェー人は当然一番左に置きます(この理由は後に解説)、 すると ノルウェー人は青い色の隣なので、

左から二番目が青い色の家と解ります。

 

この時点では、イギリス人の赤い家の場所がどこか解らないのですが、

これは”緑の家は白い家の左”という要件が絡み だた、これだけだと イギリス人の赤い家が一番右でもおかしくはない・・・・と推測できる。

 

ここで”真ん中の家の人は牛乳を飲む”という要件が存在しているので

まずそれを真ん中に置いてみると、 緑の家の人はコーヒーを飲むという要件が有りますからそれと衝突してしまう。

この事から、この緑と白の家は、真ん中より右端に並んでいると確定されます=イギリス人の赤い家は真ん中

 

この段階で 並んでいる家の色は 左から 不明    白 となるので、一番左は残りの黄色と自動的に判明。

 

黄色い家はダンヒルを吸うと要件があるので、これは当然一番左に来ます。

すると

 

確定した物 その1

 

さてその次 ”馬を飼っている家のはダンヒル”という要件があるので、

ダンヒルは一番左ですから、 馬は左から二番目の青い家に飼われていることになります。

 

一番左のノルウェー人の家を見ると、すでに3つの項目が確定。

探すべきは飲み物もしくは飼っている動物ですが、実はここで一度つまづく・・・・・

 

というのは 飲み物 関連の要件が ビール 紅茶 水と三つあり、これをやたらと当てはめても解けるはずがない。

必ず次のヒントが必ずどこかに有るはずで、目を付けたのが水ですが、単にこれだけだと確定要素が無く 先へと繋がらないので、共通項を持つ物

水を飲む家の隣はキャスターを吸う に、絡んだ要件 猫を飼っている家の隣はキャスターを吸う を絡ませる。

これは単に隣と書かれていますから、左右のどちらにでも展開出来るので迷うんですが、 さっき確定した4つの残りの一つ”飲み物はなにか?”でから、 水をもって来る事で一番左と半分推定仮定。

またそこから、キャスターを吸っているのは左の青い家だとやはり推定仮定。

 

 

ただここで残り半分の問題、 キャスターが絡んだ猫を飼ってるの家はどこになるのだろうか?という問題を解かねばならない。

 

はじめはイギリス人の家か?と他の展開も考えて見たんですが、

思い直すと ノルウェー人の5要件の家の家4つはすでに確定していて、他の要件を見ると必ず動物に何かを絡ませてるので、 純粋に猫だけを要件と書いてある一番左に自然と収まる。

同時にこれは上に書いたように、キャスター絡みで、 これにより先ほど仮定していた二つが確定となる。

 

これでノルウェー人の要件牽連が全て確定。

 

じつはこの時点で、 隣の青い家の要素もほぼ確定で、

青い色の家 を飼っている キャスターを吸っているですから、

残っている要件の家で ”飲み物と人” を要件として書いているのは オランダ人で 紅茶を飲む 意外には無く、よって、左から二番目も全て確定

オランダ人で、 青い色の家に住み、 馬を飼っている、 飲み物は紅茶でタバコはキャスター という事です。

 

さて次、

手持ちの残りの要件から、

まず目を付けたのが、マルボロ吸うドイツ人、

残っているのは3つの家ですが、 真ん中はすでにイギリス人と確定しているので、

右の2件で考察するしか無い。

 

一番右は”ショートホープを吸いビール”を飲むという要件があるので、 ショートホープとマルボロが要件的にぶつかるので、必然的に当てはまるのが残りの 右から二番目の緑色の家

 

 

こうなる

 

ハイ! もう答えは出たじゃん!!

 

残りの要件は二つ

セブンスターを吸う人は鳥を飼っている ですが、これは一番右はショートホープ、その隣はマルボロなので、要件衝突で、当然に真ん中の赤い家の処に来るしかない。

イギリス人が住む赤い家で、 5つの建物の真ん中 牛乳を飲み、セブンスターを吸い 鳥を飼っている。  が確定。

 

最後の要件は スウェーデン人で犬を飼っているという物で、空いているのは一番右しかない。

 

一番最後のスウェーデン人が住む白い家、 犬がいて、 ショートホープをすってビール飲む。  が確定。

 

よって、アインシュタイン博士が出した問題の答え

ドイツ人です。

緑色の家に住み、 コーヒーを飲みマルボロを吸う。

飼っているのは金魚です。

 

 

 

実際にこの問題、空き時間とかにやってですけど、頭の中だけの展開で1時間(解ききれなかった)。

要件カード造って 約1時間くらいかかった。

これが時間的に早いのか遅いのか?という事は僕には解りません。

 

参考までにですが、

まず先に、表を作ってそれに当てはめていく回答方法を紹介しているところが沢山有りますが、これは始めから答えを見て、後でそれらしく解説回答をしているというのが、僕には手に取るように判ります。 

ただ単に、説明目的で解りやすく解説する為の、解き方紹介なら仕方ない?、なぜなら、相手にとって分かりやすくなければならない・・・・から。

 

でも、これは本来の意味での回答では無くて、そもそもが表をいきなり作成している時点でペケ。  

なぜそれが判るかって?と思われるかもしれませんが、 理由は至極簡単。

表を書いて解く方法は、先に答えを見たからこそ思いつく方法だから。

 

その絶対的理由として、 アィンシュタイン博士の出題の中で、 家が並んでいるとは書かれているが、 表のように横一列に(平行に)並んでいる等とは、どこにも書いていない

サークル状かもしれないし、 星型だったり、 L型、 Y型、 とにかく、それさえもが出題の時点でまったく不明なんです。

 

ところが、それが何故? いきなり横一列に並んでいることを前提にして表を作成して問題を解けるのか? 

甚だ不思議なわけでして・・・・・更に その表にパズルみたいに言葉を押し込めていくのは解いている訳では無く、単なる当てはめ(大半は強引な理由付けして押し込んでいる?)。

 

注意深く問題を解く者なら、家の並び方の態様にすらはじめの段階で疑問を抱く(まったく判らないから)のが普通で、

となれば、表という概念を頭からキレイに排除して問題を解かねばならないのは、設問からすぐに判ること。

それなら、僕は何故?横並びにしたのかというと、

 

ノルウェー人の家は最初と書かれていることから、もしサークル(円並び)なら、どこかに始まるところがあるか、 上から下並びなら上、もしくは下から上になら下、 L型かも?いやT字型かも?

思ったのだが、 それは緑の家が白い絵のにあるという要件により、まずは二軒が 横に並んでる訳で、そうなると他の家もそうである可能性が高くなる。

そこに来て、更に、真ん中の家は牛乳を飲むという事から、その解析は問題を解いていくと自然に横並びとなることが解るように出来ている。

この家を5つの家の、3軒が横並びと仮定したら、その中心は、 二軒の家の横に並ぶ、 3つは平行に並んでいると推定される事になる。

 

と、なると残りの家は真ん中の家を挟んで上下?(L型もしくはT型、表現の仕方わるくてすいません)じゃないか?という可能性も残るのですが、横倒しのT型だと、どちらも最初の家にならないし、またなるし??? 故に Lも同様で、結論的に全ての家が平行に並んでいると推定して問題を解く事を余儀なくされる。

 

最初と書かれているノルウェー人の家が、必然的に一番左になるのは、設問の構成要件を きちんと読み込んでこそ初めて構成できるものなんです。

ノルウェー人は最初の家はオランダ人の家を隣と表現しているのも、その補足理由の一つですけど。

 

ここまで来るだけで(並列と推定するだけのことで)に、すでにいくつもの要件を読み込み噛ませ、推定しているわけで、それ飛ばしてまず表を書いて解きましょう、なんて事が出来ようか???

僕には不思議で成らない。

 

このアインシュタイン博士の問題は、その”表の概念”その物で解く問題では無く、文章と創造力との協調で解く問題ですよと 無言で定義されていて 、これは又博士の人生を疑似体験させる問題でもあるかと・・・

 

何故なら、アィンシュタイン博士は、”すでにある物”を説明するために相対性理論を導きだした訳では無く、不確定で不安定な事象の中から繋がる物を見つけ、

それを根気強くつなげていき、そして最後に導き出されたのが相対性理論。

設問の要件をよく読んでもらえれば、 実験や観測で得られたデータをつかって相対論を導き出していく事の疑似設定である事が分る

 

アインシュタイン博士の最大の功績は、そのある物が一体何なのか?を その絶大な創造力と頭脳で誰にもわかる形(数式)にした事で、

数式にするという事は、上の文章に何度も繰り返えして書いてきた”創造力”がとにかく必要。

ところが一度出来た数式は誰にでも解るわけで、

数式がまず頭に有って、 実験で得られた現象を解いていくことは、表の概念が初めから有って(答えを知っていて)、この問題を解くのと同じで=自分で解いてなどいないという事の逆証明そのものなんですね。

 

博士は、自分の人生=科学と物理=宇宙 それを解き明かして行くことの意味を、クイズという一つの形式を取ることによって解りやすく理解してもらおうとしたのではないか、 

と僕は思っています。 

 

 

以上、今まで書いたことは、実際に自分で答えを最初に見ないまま(表の概念無しに)、問題を解いてみた結果として「なるほどね~!」 と、痛いほどわかった事です。 

ズドン!   ハイ! ひねくれ者で~す(爆笑)

 尊敬する博士殿、おそまつ!様でした。(笑)

 

 

 

最後に出題されている問題と 要件です。

1. ある所に 5つの家が 並んで建っていました。 それぞれの家は赤、黄色、緑、白、青の いずれかの一色で ペイントされていて、どの家もほかの家と違った色でペイントされています。

2. それぞれの家には イギリス人、ドイツ人、ノルウェー人、オランダ人、スウェーデン人の家族が住んでいます。

3. それぞれの 家庭では ほかの家庭とは 異なった飲み物( コーヒー、水、紅茶、牛乳、ビールの中のいずれか)を飲み、
異なった煙草(マルボロ、ショートホープ、キャスター、セブンスター、ダンヒルの中のいずれか)を吸い、異なったペット(犬、猫、馬、鳥、魚の中のいずれか)を飼っています。

4. どの家庭もほかとは 同じ飲み物を飲みませんし、同じ煙草も吸いません。ペットも同様です。

5. イギリス人の家族は 赤い家に住んでいます。

6. スウェーデン人の家族はペットに犬を飼っています。

7. オランダ人の家族は紅茶を飲みます。

8. 緑の家は白い家の左にあります。

9. 緑の家に住んでいる家族はコーヒーを飲みます。

10. セブンスターを吸う家族は ペットに鳥を飼っています。

11. 黄色い家に住んでいる家族は ダンヒルを吸います。

12. 真ん中の家に住んでいる家族は 牛乳を飲みます。

13. ノルウェー人の家族は一番 最初の家に住んでいます。

14. キャスターを吸う家族は 猫を飼っている家族の隣に住んでいます。

15. ペットに馬を飼っている家族は ダンヒルを吸う家族の隣に住んでいます。

16. ショートホープを吸う家族は ビールを飲みます。

17. ドイツ人の家族は マルボロを吸います。

18. ノルウェー人の家族は青い家の隣に住んでいます。

19. キャスターを吸う家族は水を飲む家族の隣に住んでいます。

質問: では ペットに魚を飼っている家族はどこの国の人?


2017年1月28日 の 翔

2017年01月28日 | 僕という人間 その他

翔です ぶぁ~っはっはっは! 

 

たまには自分を写してみたりもする、なんせ暇なので

太ったかな~??・・・・・ と思う& 頭がキノコみたいだ(爆!)

例のごとく写真写り最悪だし、醜男なので半分を手で隠しますです。

 

そういえば、

明後日は20度になるとか何とか? そうなると体が「動け!」(海行け! ウインドやれ! スポーツやれ!)と騒ぎ出すんですよね~

 

お粗末!   でした (笑)

 

 


バーガーランチ

2016年10月07日 | 僕という人間 その他

自分の部屋で仕事をしていたら、若い衆のなかで一番ガキンチョ?(笑)が呼びに来た。  つい40分くらい前の話。

 

「ランチがもうすぐ出来ますので、お出で下さい」ピヨピヨピヨ!

 

「あいよ!」と返事して、そのまま部屋に居たら、今度は中堅どころ? が呼びに来てしまい、

さすがに無視もできないので、「分かった!」と言ってキッチン&ブレ―クルームへ向かう。 

すでに10人位集まっていて・・・・

 

そうなんですね、彼らの文化と言うか、普段よりラフな服装で集まって、仕事もそこそこに皆でランチを食べる日?なんです。

もっとも、ハンバーガーとかホッドドックとか、チップスなんかですけど、一つの親睦会みたいなもの。

 

でもって、 彼らなりに気を使っているのは、仕事絡んでだアメリカ文化だと言えるのですけど、僕みたいな立場の人間からまず先に手を付ける。

上の立場の者が最優先で、 なので僕が来ないとみな皿だけ抱えて、いつまでも待っているという事が起きる。  「あららゴメン」

 

特にバーガーが嫌いという訳ではないけど、そんなに好きという程でもない僕は、率先して行くという感じでもないので、 

冒頭に有る「あいよ!」だけでしばらくは行かなかったりもして・・・

 

日本とは違う社会習慣でも有るのだけど、 これが又、”誰も呼びにこない”、”無視されて始まっている”という事態が起きた場合、

それはもろに、その組織内の自分の立場は、そういった物だった という事そのもので、表だって口では言わない分、”別の形で報復”される(知らしめられる)事になる。

 

そういった面では、恵まれているな~と自分で思うのですね。  「ありがとう、皆」

 

焼いたばかりのデカイバーグを手で掴み、 バンズに載せると、レタスやチーズ、ピクルスとトマトを載せて、 マスタードとケチャップぶっかけ、「頂きます!」

ん? すこし塩っぱい? 手作りパティだけど、配分間違っている? しかもつなぎの卵が足らん  まあいいか!(笑)

 

適当に満腹になると席をはずす僕、でないと若い衆が固くなったままでいる。

彼らなりに気を使わずに、仲間内で気楽に盛り上がりたいのは僕でも分かる事だから。

 

最後に「ありがとう!」といって仕事部屋に戻ったけど、 そのうち大笑いと大騒ぎが始まるんだよな~ 今日の午後は仕事なし!

だもんね。    

図体がでかくてマッチョ&タトウー入りまくりの強面、

でもとても可愛い、家の若い衆です  ニコニコ

 

 


上を向いて歩こう

2016年10月04日 | 僕という人間 その他

はるか昔の、その昔??の、世界的名曲である「上を向いて歩こう」(ただし英語版)。

雨ばかりで、この夏はろくにかまってあげられなかったな~、愛車の”隼(GSX1300R)”。

 

久しぶりに引っ張り出して通勤したんですけど、途中で思わず聞きたくなってしまって・・・

190PSのエンジン音と、身体が大気を切り裂く際に出るハーモニー、それが織りなす今朝の一時が、

なんとなくこの曲のメロディーに重なったから。

 

 

 

昨日、ほんの少しの、本当に短い時間だっだけど、とても楽しい時間が有った。

 

色々と話をしているうちに、その流れとは別に、いや並行しながらかな?心は時間を飛び越えて、初めて就職したあの頃へと戻る。

思い返せば、今思えば、なんてことない事で傷ついていた気がする10代だった様な気がする。

 

年を重ねるという事はとても素晴らしいことで、しかしながら”生きるという事”は、ツライことの積み重ねそのものでもある。

しかしながらね、心弾む出来事はその間にたくさん存在していて、

それは、ピリッとした香りで料理の味を一変させるスパイスの様でも有り、又は苦いコーヒーをまろやかにするミルクのようでも有って・・・。 

 

そんな年月の蓄積としての、僕という一人の人間が今ここに居る。

 

生きる事は心を鍛錬することだ、強くなる事そのものでもあり、強くなければ優しい人間には決してなれない。

何故なら、弱い者は自分を守る事だけで精一杯だから。

ヤンキー連中を見ればすぐに判るよね、彼らは虚勢の中で身を守っている代表だから(笑)

 

優しさは演じる事が出来る物で、弱くてもそれは簡単に出来て、ただしそれは、相手に嘘をついているのと殆ど変わりがない。

心をトレーニングして、揺るがない人間性が備わった者の優しさというのは、特段何もせずとも自然に滲み出てくるもので、

目に見えないからこそ、とても美しいものだ。

 

 

僕には、常々 ”己” に対して問いかけている事が有る。

このブログを長く読んで頂いている方なら、記事で何度も取り上げているので知っていると思うけど、それは男の3大条件。   

いや最低条件というべきだろうか?

 

その1.粗食に耐え、糧と安らかに眠れる場所を、愛すべき人にもたらし、敵から守れること。

その2.自分を取り囲む人達を、存分に甘えさせられることの出来る人間的器の大きさ

その3.愛する人に十分な性的満足を与えられる事、健康的な躰

 

この3つに最高得点という物は存在せず、それが故に”それが何か?”を永遠に探訪せねばならないものでも有る。

問いかけ続けている理由は、それが男としての礎であり、最低限備えていなければならない物でもあり、

これが出来てこそ、その上に男としての付録(魅力となるあらゆる要素)を初めて載せていく事ができるから。

 

少なくとも僕はそう思っている。 

 

 

この季節の朝にしては暖かいな・・・・と思いながらバイクを駐め、いつもの様に職場建物に向かって歩く。

ドアに向かう敷地芝生の上を歩いていると、短く刈られた中に、溶け込むようにしてたたずんでいる一匹の蝶がいた。

 

握っていたスマホを、カメラモードにしてそっと近づいたら、どうやら微睡みを壊してしまったらしく、飛びあがった、

「あ~しまった、どこかに飛んでいってしまうかな?と・・・・」

そう、一瞬思ったのだけど、その美しい身体にまとわりついていた朝露が邪魔でもしたのか? それとも敵ではないと思ってくれたのか、

ほんの30cm程先に、再び舞い降りた。

 

「驚かしてしまって、ごめんね!」今度はそう心で呼びかけつつ、そ~っと近づいてシャッターを切らせてもらった。

数枚撮らせてもらうと、「さよなら!(ありがとう)」という思いを込めてその小さな存在に手を振り、

その先10Mほど先にある入り口ドアへ向かってロック解除。

 

扉を開けて中に入ろうとしたら、左の花に何故か目が留まった。

 

多分、何時も咲いていたのだろうとは思うけど、特段意識することもなくて、ただ、先程の蝶と同じ黄色だった事が、目に留まった理由のようだ。

 

幸せの色と言われる黄色。

蝶、 花、 そして黄金色に空を染めて顔を表しつつある太陽の、3つが重なった朝。

 

何気ない風景、何気ない空気、何気ない出来事、一瞬だけ存在してすぐに消えてしまう中にも、必ず存在する小さな幸せ、

それを出来るだけ感じ取ることを、僕は大切にしている。

 

もし、この3つ揃ったことが某かの幸福を運んでくれる神様のメッセージであったなら、それは僕ではなくて、僕を取り囲む、

僕に繋がる全ての人に、少しずつ届け! そう願う翔なのです。

 

今日は晴れ、 帰りは青空の下を、隼に跨って飛ぶように帰宅できそうです、朝もらった小さな幸せに満たされた心と供に。  

 てへへ 


もうすぐ300万アクセス

2016年02月02日 | 僕という人間 その他

多分、今週中にこのブログも300万アクセスを迎えます。

拝読していただいている皆様には 心からの御礼を申し上げます。

 

思い返せば、2005年頃に自前サーバーによるWeb日記から始まり、途中からGooのブロクへと引っ越して、もう2016年。

 

相変わらずの日記ですけど、中身はつまらんものばかりで「すいませんです」、ハイ!(笑)・・・・  &

始めの頃は思春期だった子供達をめぐる話が多く、 親として当たり前に持ちうる悩みや苦しさ、そして僕の教育に関する考え方を記載することが多く、その間に趣味の話とか、つまらん詩やショートストーリーなどを織り交ぜつつここまで来た。

多くの方に読んで頂いているという事は本当に嬉しくて、でも、「この先このブログを続けられるのだろうか?」 という思いと、「ある程度の品質?を保ちながら、今以上でもなく、今以下でもない個人ブログとして自然に有り続けることができるだろうか?」

そうした、なんとも言えない気持ちが今あります。

 

まあ、特段力を入れずに、続けていければ自然に未来へと繋がるのでしょうけど、このブログを続けて読んでいただいている方は、僕の人となりについて多分判ってくれていると思うので、時々書くアホなことに関しては心広く受け止めていただければと思っています。

最後にもう一度、 ありがとうございます!

そして、これからもよろしくお願いします。

 

このブログのライター 翔