うちの娘もそうですが、子供が反抗期真っ盛りになれば親は嫌われるのが当然、
成長ホルモンと本能がもたらす正常な成長プログラムそのものなわけですから。
ところが、そうした認識が何故かなくて、我が子にすがりつくように一生懸命好かれる努力をしている親御さんが余りにも多い(というかこれが普通?)。
反抗期の子供は親の存在すらうざくなり、それは食事の際の口の動き一つから始まって服を脱ぐ姿までにおよび(笑)、結局のところその攻撃対象は目につくものすべてということ。
かといって、この時期に親へ放たれる言葉が子供の本心から出ているのかというなら、けしてそうしたものではなく、子供なりに後で嫌気を覚えたりしているわけですが、けしてそれを認めようとしないのも本能。
こうした不安定な精神状態になる理由は至極簡単なことで、要はそれまでの従属(親子)から対等(大人)への変化という事です。
子供時代はその身を守る事と生存が第一目標であり、子供は親へ従属する様に本能的にプログラムされています。
やがて身体能力も知識も高まり、熟成期に近づくと(といっても現代ではまだヒヨコ)、ホルモンの生産開始とともに、本能が従属から対等へとスイッチ切り替えを行おうとする。
この際に、行われるのは、それまで従属していた保護環境を片っ端に打ち破ることから開始されるわけですから、当然親のやることなすことに腹が立つ(笑)。
この切り替えは一気に行われるものではなく、数年という歳月を費やしながら行われますが、
その際に親とのさまざまな摩擦を通して自分を確立(他人との絶妙な距離)し、同時に他人という存在(社会)も確立するわけで。
しかしこの反抗期がない場合は、常に自分の精神的安定を求めて誰かにもたれかかりながら生きていくことになるわけで、こちらの方はさらに恐ろしい。
訳のわからない理屈で反抗する子に悩み、「反抗期なんて無ければいいのに」なんて言う親御さんが多いわけですが、有るのが当然で、また激しいことはけして悪いことではないわけです。
ただ、この激しさは”良”という考えも、反社会的な方向で激しくされてはたまらないのは親だけにとどまらず社会もそうです。
では同じ反抗期でその反抗心を反社会行動として取るかどうか、また取ったとしてもどの程度で収まるのかという事に関してですが、
これは次回、書いてみたいと思います。
成長ホルモンと本能がもたらす正常な成長プログラムそのものなわけですから。
ところが、そうした認識が何故かなくて、我が子にすがりつくように一生懸命好かれる努力をしている親御さんが余りにも多い(というかこれが普通?)。
反抗期の子供は親の存在すらうざくなり、それは食事の際の口の動き一つから始まって服を脱ぐ姿までにおよび(笑)、結局のところその攻撃対象は目につくものすべてということ。
かといって、この時期に親へ放たれる言葉が子供の本心から出ているのかというなら、けしてそうしたものではなく、子供なりに後で嫌気を覚えたりしているわけですが、けしてそれを認めようとしないのも本能。
こうした不安定な精神状態になる理由は至極簡単なことで、要はそれまでの従属(親子)から対等(大人)への変化という事です。
子供時代はその身を守る事と生存が第一目標であり、子供は親へ従属する様に本能的にプログラムされています。
やがて身体能力も知識も高まり、熟成期に近づくと(といっても現代ではまだヒヨコ)、ホルモンの生産開始とともに、本能が従属から対等へとスイッチ切り替えを行おうとする。
この際に、行われるのは、それまで従属していた保護環境を片っ端に打ち破ることから開始されるわけですから、当然親のやることなすことに腹が立つ(笑)。
この切り替えは一気に行われるものではなく、数年という歳月を費やしながら行われますが、
その際に親とのさまざまな摩擦を通して自分を確立(他人との絶妙な距離)し、同時に他人という存在(社会)も確立するわけで。
しかしこの反抗期がない場合は、常に自分の精神的安定を求めて誰かにもたれかかりながら生きていくことになるわけで、こちらの方はさらに恐ろしい。
訳のわからない理屈で反抗する子に悩み、「反抗期なんて無ければいいのに」なんて言う親御さんが多いわけですが、有るのが当然で、また激しいことはけして悪いことではないわけです。
ただ、この激しさは”良”という考えも、反社会的な方向で激しくされてはたまらないのは親だけにとどまらず社会もそうです。
では同じ反抗期でその反抗心を反社会行動として取るかどうか、また取ったとしてもどの程度で収まるのかという事に関してですが、
これは次回、書いてみたいと思います。