帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

嫌われるのが親の仕事3

2010年03月20日 | Weblog
こうした事はなにも反抗期だけというものではなく、大人になって普段意識していない行動の中にも幼児期の頃の衝動をベースにしているということは、誰しも自分を振り返ってみれば多々あることではないかと思います。

青年期まで成長した子供と大人の違いは単なる人生経験の差でしかなく、積み重ねられた経験と知識の差が導き出す対処方法(処世術)の差こそが大人という姿(思考)そのものとして存在しているわけです。

大人らしいということは、それまでの経験と知識を元にどれくらい適切な判断ができることですが、具体的にそれが生かされていくのは生きていく過程に有る様々な局面に置いて我慢、忍耐、努力という行動で表される事が多く、またその意味を理解していることそのものをもさし、これがない大人は単に子供と何ら変わることはありません。

人は年をとるほど知能指数が高まるわけではなく、基本的性格がどんどんと進歩していくわけでもなく、ある段階において身体、頭脳の成長は終わりをつげ、後はそれを基本として経験によってたされる+αが付属するだけのことなのですね。


それではその基本たる成長がどの段階で停止するのかということですが、単純に第二性徴期終了(反抗期の終了)とともに終わりをつげます。

何度も書きますが、そこから先は経験と知識の積み重ねしかなく、
よく、若いときの苦労は買ってでもしろと言いますが、それは上記に書いたようにいわゆる大人としての思考能力の元になる重要な要素は、多ければ多いほどよく、同じ量を経験するなら若いほど、そして量も多いほどよく、なぜなら、それが基礎の上に構築されていく大人への条件である以上、若い頃に得た経験が後の思考において大きな影響を及ぼすからで。

たとえるなら、人の痛みというものを18歳で深く経験するのと、30歳で経験するのでは、その12年間という月日の流れがその人間の人となりを内部(自分)及び外部に構築していく差は非常に大きくなります。

人の苦労や痛みを18歳で経験すれば、それ以降は人の痛みというものを理解した思考判断が成り立ち、それが本人及び周りの人間関係に及ぼす影響は当然に大きく。
若い頃から人間性が優れているとして扱われますが、

これが30歳で痛みを知ったとて、それまでの人生はそうした面の欠落した人間として来ているわけですから、
その人間に対しての評価(人間性)というものがどういったものなのかは誰にでもおわかりになられるかと思います。


その4に続く