昨日のこと、帰り道で信号待ちをしていた僕の横に、最近はやりのビッグスクーターが並んだ。
と、ここまでは良かったのだけど、なんか声が聞こえてくる? 「ん?」
「いけいけ!」「 早くしろよ! オイ!」 「あ~あ」、それ以外に車がどうとかあ~とかひたすらブツブツ(というか結構ハッキリ)ひとりで喋っていて、初めラジオの音かとおもって周りを見渡したのだけれど、声の方向は明らかにそのバイクの男、口も動いているし。
携帯の手ぶらで話せるヘッドセットか? なんて思ったりもしたけれど、コードも見えないしほぼ一方的に話しているし? 何よりその話そのものに中身が全くない。
反キャップのヘルメット、服装はごく普通、年齢は僕とほぼ同じくらい、免許もってバイク運転しているくらいだから(同じ道路を走るのでも車と違ってバイクの情報処理量は桁違い多いのです)知的障害が有るとは思えないし。
結局、しばらく止まっていたその信号で初めから終わりまでずっと何かしゃべっていた・・・・
正直その姿はなんとも気持ち悪かった。
ふと、「もし娘がこうした男と結婚したいなんて言ったら僕はどう反応するだろう?」なんて事を考え始め、今の様に気持ち悪い風体に生活力もない男がそこいら中に蔓延してしいる昨今、結婚の晩婚化というものが当然なのだと変に納得してしまった。
「おかしな男と結婚するくらいなら独身の方が増し」という言葉に、みょうに頷いてしまうのですが、10年くらい前まではこうした言葉を口にする女性にたいして、我が儘だと思えていたのだけれども、自分がある程度年齢が増したせいも有り、実は問題のある男が増えてきたのを直感的に女性が捕らえていたという方が正解なのだと思うようになってきた。
同じに、ねばならないという社会の風潮に自分の人生を奪われたくない、という抵抗と言えるかもしれない。
そういえばこのところ、ウインドサーフィンの初心者スクールに若い女性が増えてきているという話を聞き、実際にそれを僕も見ているけれど「それもそれによる影響の一つかもしれないな~」なんて思ったりもする。
女性にとっての結婚は、男子より深刻且つ重要な問題であり、相手により一生の幸せが決まってしまうと言っても過言でないのが現実。
もし自分がその立場なら、この信号で横にいたブツブツ男と絶対に結婚しようなんて思わないだろう。
おかしな男が増えているということは、絶対供給量が決まっている以上は質の良い男の数が確実に減っている事そのものを意味し、いくら男余りとはいえ2倍3倍なんていう比率じゃない以上は、まともな男をどう獲得するかというのは女性にとって結構深刻な問題だ。
そう言ってる自分がろくでもない男である可能性を排除せず、思うままに書くけれど、おかしな人間性を持つ男とだけは結婚しない方がよい。
これは顔がよいとか、学歴が高いとか、経済力があるとかいう問題よりはるかに重要であり、というのは、顔はすぐにおっさんへ変化するし、学歴は働き始めて2年もたてば何の関係もなくなるうえに、下手に高学歴だと会社がつぶれて転職しなければならない時に障害となる。
お金の有る無しは短期的な視野で考えれば良いけれど、20から80までの60年間というスパンを考えれば一生無くならない等という、不思議な現象はまずあり得ない。
年商100億の社長でも、数年後は100億の借金を抱えて平気で倒産するのが今の世の中で、少し前にあったITバブルで起きた現実は星の数に匹敵するほどで、つまりは、家庭と妻を大切にし、文句言わず粗食を食い、健康で笑顔の絶えない男というのが一番ということになる。
先の話に戻るけど、なぜに日焼けを一番気にする年齢の女性達がウインドサーフィンのスクールに来るのか?と、そこに生じる矛盾を顧みるに、往々にしてマリンスポーツをしている男の質というのは比較的良質であることがその背景にあるのだと僕は思う。
だからとて他の男の質が悪いわけではないのを冒頭においての話だけれど、まずはウインドサーフィンやサーフィン等のスポーツは”もっとも難しいスポーツ”といわれているように、ある程度上達するまでにたくさんの水を飲み、死の恐怖はつねに身近につきまとうし、波に巻かれれば息が止まりそうになって単につらいだけの拷問みたいだ、一応?楽しくなるまでに幾度も悔し涙を流して苦しまなければならない。
常に前向きな精神と忍耐力を要求され続けるスポーツそのもので、少し練習したらとりあえず楽しめるスキーやスノーボードに代表される至極簡単なスポーツとの大きな差はここにある。
ヨットマンもそうだけれど、常に変化する海で知る自然の怖さと優しさは、謙虚でいることの大切さ学ばせてくれ、しぶきも凍るような厳しい北風は健康のすばらしさを教えてくれるし、嫌なことから逃げない姿勢の意味を教えてくれる。
軟弱でなよなよした気持ち悪い男がやたらと増える一方で、こうした世界に身を投じる男達もいるわけだけど(ただし数は確実に毎年減りつつある)、先も話したようにウインドサーフィンの初心者スクールに若い女の子達が増えているのは、この世界に基本的良質な男が多い事と、それが他所で選別するより遥かに良い相手に巡り会うのチャンスと瞳に写っているからだ。
さらに良質な男を捜すだけではなくて、そのなかでさらに自分の希望する相手を絞り込んでいけるという、”選択できる幅の広がりを得たい”という女性のもつ自然な本能がそうさせているわけですね。
というのは、伴侶の選択権そのものは遙か昔から女性の側にあり、男が妻を選んだのではなく、妻が伴侶を選んだという方が正しく、それは人間の長い歴史の中で安定した食糧供給と保護を得て、遺伝子を未来へ残して行くに優れた男を得ない限りは絶対に手にする事が出来ない現実だったからです。
町中を歩けば、およそ男らしさと無縁の若者が溢れかえる現在、それが褒めて育てるだ、優しい人間にするだ、力は悪だと教育されてきた結果そのもの。
本当の優しさは厳しさと叱られることもきちんと兼ね備えた教育によって育まれる物で、それによる強さが心のバックグラウンドとなってこそ本当の優しさが確立されるものなのですね。
強くなければ自分のことだけで一杯になってしまう、余力が豊富にあるからこそ人のことを気遣えるわけですから。
少し前に、若い男女に対して「異性にあこがれるか?」というアンケートというのをやっていたのを見たけれど、結果を見ると女性という”性”そのものにあこがれを抱く男の数がやたらと多かった。
この憧れそのものは、どんな女性が自分の伴侶や恋人になってくれるか?というものではなくて、純粋に今の自分に備わっている性に対比しての事で有るところに問題のポイントがある。
本来、自分という存在に対して常に磨きをかけている若い世代の男というのは、この先伸びていく自分の姿に目標(憧れ)を持つもので、別の性に憧れるというのは、現時点での自分が成長点の到達ラインなのだ、と勘違いしている輩が持つ、いわゆる褒めて育てられた人間の全員がもつ特徴そのものでもある。
何故なのかということを簡単に説明するなら、褒めて育てられることで出来上がる根拠の無い優越感は、本来なら力のない自分に不安と恐怖を覚える事で自分に磨きをかける行動を起こすはずの本能が働かず、成長期における正常な精神活動が行われなくなってしまうことになる。
常に根拠無き自信と万能感を持っている事が問題となるのだけれど、しかしながら社会という現実との摩擦を経験すれば、「こんなに優れた?自分は、実は駄目人間なのではないか?」という漠然とした不安が生じるのは当たり前のことで、
しかしながら褒め続けて育てられた以上、現実そのものを認める基礎的心の訓練がされていない事から(褒めて育てる教育が生み出す最大の問題点)、あらゆる逃げ口実をつくって待避をするようになる。
そして、自分は優れているのだという、全く根拠のない自信は子供の頃からの褒めて育てる教育で頑固に心へ固着してしまっている以上、虚栄心だけで十分に心が満たされてしまうから、努力をしよう等とはけして思わない。
当然、努力よりキレルほうがまず早い。
結果、そうした自分の不安を転嫁してしてごまかす待避方法の一つとして異性へのあこがれというのが存在し、これは今の自分がそのまま女性になるなら努力せずして上の位置に収まるではないか(本来男が持つ競争本能の異形)という誤った結論を導き出してくる事になる。
そう、これは単なる逃げであると共に、たいていが異様な性意識と重なって確立されることが非常に多い。
ロリコン、幼児愛、アニメの中の少女に本気で恋するなども、程度の違いこそあれ、根底はおなじだ。
結局、心の強さを何ら育むことが出来ない”褒めて育てる教育”がもらたす害の一部が、こうしたアンケートにも現れたと見てもよく、単に自分の逃げの場として異性に憧れているだけに止まらず、それそのものが、「女性は男より下の存在なのだ!」というねじ曲がった差別意識を背景にして生み出されてくるという恐ろしい一面も、持っているのですね。
この怖さがお分かりでしょうか? 力は全て悪いだとし、優しい人間になるはずだった”褒めて育てる教育”が生み出した大量の弱い男達。
それが増えるほど、世の中が平等になるのではなく、逆にゆがんだ差別をどんどん生み出してしまう現実。
異様な行動を取る若者達の育った教育に、どんな問題点があったのかと少しでも考えるなら、
そこにある人の持つ本能をねじ曲げた教育が先進的教育としてされてきた経緯がある。
ホームレスに熱湯かけたり、学生が女子に酒を飲まして集団レイプしたり、老人を平然と騙してオレオレ詐欺をする大学生、等々。 毎日メディアを賑わす異様な事件の加害者に、あと少しだけ心の強さと他人の痛みを思いやる心ががあったならと考えれば容易にお分かりになるでしょう。
今?はやりの草食系男子(といっても定義そのものがおかしいが)で、これに当てはまる特徴というのは沢山あり、例えるなら女性と自分は平等という、一件よさげにみえてしまう表面的な行動と意識の裏には、理想とはほど遠い嫉妬心が底にあるもので、その裏返しが行動として出ているが、女性はそれに対して本能的恐怖感を覚えるものだ。
それが、歴史上の武士達見たいに心の強い男達に憧れるという、歴女みたいな女性を生みだしているわけだ。
女性にふられた時、 昔の男は必死でやせ我慢した。 強がった。
しかし今日では、いつまでもストーカーのようにつきまとったり、刃物を振り回してみたり、挙げ句の果てには相手の家族まで殺したりする事件が後を絶たない。
そんな訳の分らない男と紙一重の者達がそこいら中に蔓延している。
そしてその心の奥底には、褒めて育てられた事によって、軟弱で、忍耐もなく、耐えることも努力することも出来ないくせに自尊心と虚栄心だけはやたらと高い人間性があり。
さまざまなところで色々と問題を起こす引き金になっているのですね。
ついこの間、女の子と一緒にいた高校2年生の男の子を刺し殺して逃げている、髪の毛が肩まである小太りの気持ち悪い男。
まさにこれなんかは、褒めて育てられた男の代表だろうと僕は推定している。
と、ここまでは良かったのだけど、なんか声が聞こえてくる? 「ん?」
「いけいけ!」「 早くしろよ! オイ!」 「あ~あ」、それ以外に車がどうとかあ~とかひたすらブツブツ(というか結構ハッキリ)ひとりで喋っていて、初めラジオの音かとおもって周りを見渡したのだけれど、声の方向は明らかにそのバイクの男、口も動いているし。
携帯の手ぶらで話せるヘッドセットか? なんて思ったりもしたけれど、コードも見えないしほぼ一方的に話しているし? 何よりその話そのものに中身が全くない。
反キャップのヘルメット、服装はごく普通、年齢は僕とほぼ同じくらい、免許もってバイク運転しているくらいだから(同じ道路を走るのでも車と違ってバイクの情報処理量は桁違い多いのです)知的障害が有るとは思えないし。
結局、しばらく止まっていたその信号で初めから終わりまでずっと何かしゃべっていた・・・・
正直その姿はなんとも気持ち悪かった。
ふと、「もし娘がこうした男と結婚したいなんて言ったら僕はどう反応するだろう?」なんて事を考え始め、今の様に気持ち悪い風体に生活力もない男がそこいら中に蔓延してしいる昨今、結婚の晩婚化というものが当然なのだと変に納得してしまった。
「おかしな男と結婚するくらいなら独身の方が増し」という言葉に、みょうに頷いてしまうのですが、10年くらい前まではこうした言葉を口にする女性にたいして、我が儘だと思えていたのだけれども、自分がある程度年齢が増したせいも有り、実は問題のある男が増えてきたのを直感的に女性が捕らえていたという方が正解なのだと思うようになってきた。
同じに、ねばならないという社会の風潮に自分の人生を奪われたくない、という抵抗と言えるかもしれない。
そういえばこのところ、ウインドサーフィンの初心者スクールに若い女性が増えてきているという話を聞き、実際にそれを僕も見ているけれど「それもそれによる影響の一つかもしれないな~」なんて思ったりもする。
女性にとっての結婚は、男子より深刻且つ重要な問題であり、相手により一生の幸せが決まってしまうと言っても過言でないのが現実。
もし自分がその立場なら、この信号で横にいたブツブツ男と絶対に結婚しようなんて思わないだろう。
おかしな男が増えているということは、絶対供給量が決まっている以上は質の良い男の数が確実に減っている事そのものを意味し、いくら男余りとはいえ2倍3倍なんていう比率じゃない以上は、まともな男をどう獲得するかというのは女性にとって結構深刻な問題だ。
そう言ってる自分がろくでもない男である可能性を排除せず、思うままに書くけれど、おかしな人間性を持つ男とだけは結婚しない方がよい。
これは顔がよいとか、学歴が高いとか、経済力があるとかいう問題よりはるかに重要であり、というのは、顔はすぐにおっさんへ変化するし、学歴は働き始めて2年もたてば何の関係もなくなるうえに、下手に高学歴だと会社がつぶれて転職しなければならない時に障害となる。
お金の有る無しは短期的な視野で考えれば良いけれど、20から80までの60年間というスパンを考えれば一生無くならない等という、不思議な現象はまずあり得ない。
年商100億の社長でも、数年後は100億の借金を抱えて平気で倒産するのが今の世の中で、少し前にあったITバブルで起きた現実は星の数に匹敵するほどで、つまりは、家庭と妻を大切にし、文句言わず粗食を食い、健康で笑顔の絶えない男というのが一番ということになる。
先の話に戻るけど、なぜに日焼けを一番気にする年齢の女性達がウインドサーフィンのスクールに来るのか?と、そこに生じる矛盾を顧みるに、往々にしてマリンスポーツをしている男の質というのは比較的良質であることがその背景にあるのだと僕は思う。
だからとて他の男の質が悪いわけではないのを冒頭においての話だけれど、まずはウインドサーフィンやサーフィン等のスポーツは”もっとも難しいスポーツ”といわれているように、ある程度上達するまでにたくさんの水を飲み、死の恐怖はつねに身近につきまとうし、波に巻かれれば息が止まりそうになって単につらいだけの拷問みたいだ、一応?楽しくなるまでに幾度も悔し涙を流して苦しまなければならない。
常に前向きな精神と忍耐力を要求され続けるスポーツそのもので、少し練習したらとりあえず楽しめるスキーやスノーボードに代表される至極簡単なスポーツとの大きな差はここにある。
ヨットマンもそうだけれど、常に変化する海で知る自然の怖さと優しさは、謙虚でいることの大切さ学ばせてくれ、しぶきも凍るような厳しい北風は健康のすばらしさを教えてくれるし、嫌なことから逃げない姿勢の意味を教えてくれる。
軟弱でなよなよした気持ち悪い男がやたらと増える一方で、こうした世界に身を投じる男達もいるわけだけど(ただし数は確実に毎年減りつつある)、先も話したようにウインドサーフィンの初心者スクールに若い女の子達が増えているのは、この世界に基本的良質な男が多い事と、それが他所で選別するより遥かに良い相手に巡り会うのチャンスと瞳に写っているからだ。
さらに良質な男を捜すだけではなくて、そのなかでさらに自分の希望する相手を絞り込んでいけるという、”選択できる幅の広がりを得たい”という女性のもつ自然な本能がそうさせているわけですね。
というのは、伴侶の選択権そのものは遙か昔から女性の側にあり、男が妻を選んだのではなく、妻が伴侶を選んだという方が正しく、それは人間の長い歴史の中で安定した食糧供給と保護を得て、遺伝子を未来へ残して行くに優れた男を得ない限りは絶対に手にする事が出来ない現実だったからです。
町中を歩けば、およそ男らしさと無縁の若者が溢れかえる現在、それが褒めて育てるだ、優しい人間にするだ、力は悪だと教育されてきた結果そのもの。
本当の優しさは厳しさと叱られることもきちんと兼ね備えた教育によって育まれる物で、それによる強さが心のバックグラウンドとなってこそ本当の優しさが確立されるものなのですね。
強くなければ自分のことだけで一杯になってしまう、余力が豊富にあるからこそ人のことを気遣えるわけですから。
少し前に、若い男女に対して「異性にあこがれるか?」というアンケートというのをやっていたのを見たけれど、結果を見ると女性という”性”そのものにあこがれを抱く男の数がやたらと多かった。
この憧れそのものは、どんな女性が自分の伴侶や恋人になってくれるか?というものではなくて、純粋に今の自分に備わっている性に対比しての事で有るところに問題のポイントがある。
本来、自分という存在に対して常に磨きをかけている若い世代の男というのは、この先伸びていく自分の姿に目標(憧れ)を持つもので、別の性に憧れるというのは、現時点での自分が成長点の到達ラインなのだ、と勘違いしている輩が持つ、いわゆる褒めて育てられた人間の全員がもつ特徴そのものでもある。
何故なのかということを簡単に説明するなら、褒めて育てられることで出来上がる根拠の無い優越感は、本来なら力のない自分に不安と恐怖を覚える事で自分に磨きをかける行動を起こすはずの本能が働かず、成長期における正常な精神活動が行われなくなってしまうことになる。
常に根拠無き自信と万能感を持っている事が問題となるのだけれど、しかしながら社会という現実との摩擦を経験すれば、「こんなに優れた?自分は、実は駄目人間なのではないか?」という漠然とした不安が生じるのは当たり前のことで、
しかしながら褒め続けて育てられた以上、現実そのものを認める基礎的心の訓練がされていない事から(褒めて育てる教育が生み出す最大の問題点)、あらゆる逃げ口実をつくって待避をするようになる。
そして、自分は優れているのだという、全く根拠のない自信は子供の頃からの褒めて育てる教育で頑固に心へ固着してしまっている以上、虚栄心だけで十分に心が満たされてしまうから、努力をしよう等とはけして思わない。
当然、努力よりキレルほうがまず早い。
結果、そうした自分の不安を転嫁してしてごまかす待避方法の一つとして異性へのあこがれというのが存在し、これは今の自分がそのまま女性になるなら努力せずして上の位置に収まるではないか(本来男が持つ競争本能の異形)という誤った結論を導き出してくる事になる。
そう、これは単なる逃げであると共に、たいていが異様な性意識と重なって確立されることが非常に多い。
ロリコン、幼児愛、アニメの中の少女に本気で恋するなども、程度の違いこそあれ、根底はおなじだ。
結局、心の強さを何ら育むことが出来ない”褒めて育てる教育”がもらたす害の一部が、こうしたアンケートにも現れたと見てもよく、単に自分の逃げの場として異性に憧れているだけに止まらず、それそのものが、「女性は男より下の存在なのだ!」というねじ曲がった差別意識を背景にして生み出されてくるという恐ろしい一面も、持っているのですね。
この怖さがお分かりでしょうか? 力は全て悪いだとし、優しい人間になるはずだった”褒めて育てる教育”が生み出した大量の弱い男達。
それが増えるほど、世の中が平等になるのではなく、逆にゆがんだ差別をどんどん生み出してしまう現実。
異様な行動を取る若者達の育った教育に、どんな問題点があったのかと少しでも考えるなら、
そこにある人の持つ本能をねじ曲げた教育が先進的教育としてされてきた経緯がある。
ホームレスに熱湯かけたり、学生が女子に酒を飲まして集団レイプしたり、老人を平然と騙してオレオレ詐欺をする大学生、等々。 毎日メディアを賑わす異様な事件の加害者に、あと少しだけ心の強さと他人の痛みを思いやる心ががあったならと考えれば容易にお分かりになるでしょう。
今?はやりの草食系男子(といっても定義そのものがおかしいが)で、これに当てはまる特徴というのは沢山あり、例えるなら女性と自分は平等という、一件よさげにみえてしまう表面的な行動と意識の裏には、理想とはほど遠い嫉妬心が底にあるもので、その裏返しが行動として出ているが、女性はそれに対して本能的恐怖感を覚えるものだ。
それが、歴史上の武士達見たいに心の強い男達に憧れるという、歴女みたいな女性を生みだしているわけだ。
女性にふられた時、 昔の男は必死でやせ我慢した。 強がった。
しかし今日では、いつまでもストーカーのようにつきまとったり、刃物を振り回してみたり、挙げ句の果てには相手の家族まで殺したりする事件が後を絶たない。
そんな訳の分らない男と紙一重の者達がそこいら中に蔓延している。
そしてその心の奥底には、褒めて育てられた事によって、軟弱で、忍耐もなく、耐えることも努力することも出来ないくせに自尊心と虚栄心だけはやたらと高い人間性があり。
さまざまなところで色々と問題を起こす引き金になっているのですね。
ついこの間、女の子と一緒にいた高校2年生の男の子を刺し殺して逃げている、髪の毛が肩まである小太りの気持ち悪い男。
まさにこれなんかは、褒めて育てられた男の代表だろうと僕は推定している。