大人の夏景色 - 稲垣潤一 -
自分の青春の頃を(でも、現在まだまだ若い?40代半ばですが)思い出します。
何となく涙
母国語以外の言葉を使って仕事をしていると、時折笑わせてくれるような出来事があります。
たとえるなら、言葉の訛り。
テレビやインターネット他、通信手段が発達した現代であるからこそ、はるか昔のような事は無いものの、それでも九州や東北の田舎に行ってお年寄りと話すと全く理解出来ない事があるのは皆さんも知っておられると思います。
同じようなことが英語(米国語)でもあり、「え~本当?」なんて思われる方も多いでしょうが、実のところ、これが結構多くて、
しかも厄介で、特に日本人である僕には「れれれ?」と戸惑うことが多々ある。
*日本の国で、大学までやっている英語は正しい様で、間違いでもあり、いわゆるジャパニッシュです。
日本で米国語といっているのは、実のところ西部英語(カルフォルニア語?)に偏っており、同じ英語でも東部のニューヨークは発音はじめとして色々違うし、そこに来て更に地方言葉でやられたりなんかすると、60%理解するのがいいとろこだったりする。
はは 情け無い
このあたりは子音の違いを聞き分ける事の難しい、日本人耳というべき差異が影響しているわけですが・・・・と、努力足らないのを棚に上げる僕 (笑)。
「あ!」、ちなみにテキサス州あたりの英語は元はメキシコですから、ラテン語の影響を強くうけている為に結構聞きとりやすいですよ。
発音やイントネーションの違いは、他にも白人と黒人でも有り、そこには明らかに発音の違いというスタンスを取りたがるのか?、黒人同士の独特の文化を作り上げている事も有るのか?、又生活環境(スラムだったり)により仲間内言葉が多数あったりなんかして、「なんじゃそりゃ?」というような独特の表現を、気のあうもの達で使っていることがよくある。
こんなのが分るはずが無い
こうしたそれぞれは結構厄介なのですが、いや、このあたりはまだましなのですが、これに国籍の違いやらから来る発音の違いが加わると、更に最悪な状態になる。
電話が鳴って、「XXのXXXXですが」と会話が始まった瞬間、「こりゃ~厄介だな・・・・」とピピピ と来る。
さらに、その後に、本題となると、「ハニホロケ~○△×? %#$)(~」。
「はぁ~?」 とまったく分らない。
イントネーションが違いすぎるうえに、電話だと子音の高周波が削られてよけい分らなくなる。
そんでも「もう一度説明してくれ」と聞きなおせば、当然相手は表現を多少変えてくるので、
「実は新しく送付した$&&#&’((())の件、で○×+*‘{故に!##%&&’’」って 感じで少しだけわかるようになるが、
やはり肝心なことが分らない。
特に仕事の関係で技術的なことに絡むと、相手がそれを良く理解していれば、ほぼ共通の単語が多数出てくるので、そこから意味を読み取って、「ああ、こうしてもらいたいんだな」とか「こう聞いてきているのだな」と推知できるのだが、
大抵はまったく技術的な事が分らずに電話かけてきている下っ端であることが多く、当然そうなると本人は出来る限り分りやすく話しているつもりが、聞き取るこちらにしてみると何の話をしているの?なんて~事になる。
分りやすくする為の表現が、余計伝えずらくしているなんてのもある。
究極は母国語の発音にカラム訛りだけれど、例えるなら、親がフィリピン系、スペイン系だったり、ほかに育ったエリアがボンジョールの言葉がやたら強いフランス系カナダ国境エリアの田舎都市だったりと、まずは自分達の持つ文化と言葉の環境で育ってきている場合は、これによる発音に明らかな違いも有るうえに、逐一表現もことなってくるので、まあ、互いに”意味不明”の会話をするなんていうのは結構あるわけです。
そんなら、同じ国のもの同士で話させれば分るじゃん! おお~ 天才!?
と、内線保留して、「お~い誰かかわってくれ!」と職場の若衆に声をかけて助けを求めることがあるが、しばらくして
電話を代わった者が 「あいつ何ていってるんです?」と、また電話を保留して部屋に聞きに来ることがある(爆笑)。
こちらが皆目解らんから電話取ってもらったのに、「どういう意味?」と聞かれても、そもそもが言ってる事が分らんから代わって貰ったわけでして・・・・
結局、同じ国の、同じ言語同士でも旨く意思疎通できないことがあるわけで、このあたりは日本人と異なって変な意地を張らないアメリカ人だからこそ、起きる出来事なのですが、「解らない僕に聞いても、解るはずね~だろ」というと、「あっそうだよな!」と苦笑いして行ってしまう。
しばらくして、「結局何だったの、あの電話?」と聞くと 結局意味解らず、最後まで意味不明だったとのこと。 再爆笑
過去に有った出来事の中で一番笑ってしまったのは、内線で突然呼び出され、「電話を代わってくれ」というので、
すわ、「日本人からの電話か?」と気軽に受話器を取ったとたん、突然英語でまくし立てられた。
「なんだなんだ?」、と慌てて言っている事を聞き取ろうとするが、相手が何いっているかが分らない。
何とか話を終えて、 「こりゃ!」っと僕に電話まわした同僚(アメリカ人)の部屋へ行って「何~んでこっちに電話回すんだ?」
と聞くと、「マスターなら分るかと思った」と他の皆と大笑いしている。
「おいおい・・・・」 何処の国の言葉だ? ったく
結局、電話回した彼は、まだ技術的なことがまだ良く分らなかった上に、相手の訛りが強くて言っていることが良く分らなくて面倒になったらしく、そんじゃ~と、普段若造をトレーニングしている僕なら大丈夫だろうと、電話を回したらしい。
僕の職場にはこうした様々な言葉?を持つ人間達が次々転属してくるが、結構意思疎通が出来ずに「この田舎者!」なんていわれて、
若造がからかわれたりしているのを別段珍しくなく見かける。
余りやられると、気弱になるのか、寂しくなるのか、行くところがなくなるらしくて、僕部屋に来てしばらく愚痴こぼすのもいる。
そうした新米も数ヶ月すると周りに溶け込んで元気になるが、皆そうして成長をしながら再び世界中へ転属していく。
日本人とアメリカ人の大きな違いは、日本人は国境の違いというものをかなり強く捉えているが、彼らはそうした線引きの
認識がはるかに薄くて、同じ職場で一緒に時間を過ごしていると、そうした違い等が解けてなくなってしまうらしい。
というのが、人生の半分をアメリカという環境で過ごしてきた僕が得た結論でもある。
故に、上記のような笑い話がおきる。
アメリカという国民性は融和しようとするものを誰でもかまわず取り込んで一部にしてしまい、しかしながら敵対すると相手には皆で力合わせて徹底して叩き潰す。 それも中途半端なまねはけしてしない。
これは、仲間内をとても大切にする文化であり、そうして出来た仲間達を助ける為には敵対してくる相手と平然と事を交える姿勢そのものでもあり・・・。
仲間の方を向いて握手し、笑顔でステーキを焼いてコーラを振舞う腕、しかしながらその反対を向いた顔は鬼の形相に変化し、鍛え上げられた腕をもって攻撃してくる相手をぶちのめす。
二つの顔を持った大国、それがアメリカという国、僕にとって第二の母国にたいする見方である。