27日㈰、昼間のPTA研究大会で精華町から戻ると次は舞鶴へ行き、本田太郎選対の会報報告会に出席した。
20時過ぎに早々とNHKで本田太郎候補の「当確」が報じられ、祝勝会に変わった。
無事に3期目の当選を果たすことができ、多くの皆様にお世話になり、ありがとうございました。
私は選対副本部長として、20時半頃に閉会挨拶を述べた。
まだ綾部の票がどうか、全国での戦いがどうなるかが分からない中、ふわふわした感じではあったが、急な選挙で準備や日程調整をしていただいた支援者の皆様に御礼を申し上げ、公約実現のためにも国・府・市町で我々議員が連携して、京都府北部の遅れているインフラ整備を前に進めることをお約束した。
綾部市の開票結果は
自民・本田太郎 5743(7662)
立憲・山本わかこ 4078(4046)
維新・道本たかや 2624
※参考:井上一徳 1,981
共産・山内 健 1944(2438)
となった。
投票率は55.63%(59.36%)で投票総数は14753票(16436票)であった。
京都五区全体では投票率は55.59%(59.49%)で、
自民・本田太郎 57455(68693)
立憲・山本わかこ 32355(32108)
維新・道本たかや 20387
※参考:井上一徳 21,904
共産・山内 健 13831(16375)
と、こちらも綾部市と同じような結果となった。※敬称略、カッコ内は前回
「裏金」問題で自民党に「逆風」があったとは言え、綾部市や京都府北部ではそれとはまた違う自民党に対する評価があったのではないかと感じる。
結果に対する市民の皆さんの声も徐々に聞こえてくるだろうから、さらなる結果の分析と総括、今後への対策を検討していかなければならない。
■「2000万円」の謎
全国的にも自民党は大敗し、自民党、公明党でも過半数に達さない結果になった。
野党も簡単には連立を組まないだろうから政権は維持できるのではないかと思うが、少数与党として厳しい政権運営が待っていることになるだろう。
序盤から中盤にかけて、世論調査の結果が悪くなっていき、最後は「2000万円」が響いた。
「2000万円」には、なぜ?という疑問が残る。
非公認議員に対して、なぜ公認料500万円が払われたのか?なぜ10月16日という選挙期間に入ってから払われたのか?なぜすぐに幹事長は支払いを認めてしまったのか?これが選挙にどういう影響をおよぼすのかが分からなかったのだろうか?
相当うがった見方をすると、これは「わざと」だったのかもしれない。総裁選での石破VS高市がこの総選挙の裏で継続されていたと考えると、あの時期の「2000万円」には納得がいく。
高市早苗氏は旧安倍派の非公認候補や比例重複できなかった候補のところを回り、着々と自らの支持基盤を固める動きをしていた。非公認や重複が許されなかった候補は石破執行部のことを恨むだろうから、過半数が取れても選挙後には倒閣運動が党内で強まっただろう。
そこであえて、旧安倍派の議員を落選させるために「2000万円」を払って、自民党執行部自らがそれをリークしたと考える以外に、どうも理解ができないのだ。
■高市氏の推薦人は7人が地位失う
実際に旧安倍派議員の多くが落選し、高市氏の推薦人になった議員も衆院議員11人のうち、7人は落選や不出馬で議員の地位を失った。当選した4名も、うち2名は小選挙区で落選し、比例復活でようやく首がつながる有様だった。
高市氏の推薦人だった議員で、例えば埼玉13区の三ツ林裕巳候補(4期、無派閥)は「裏金」問題で非公認とされたが、公明党の推薦は得られて選挙序盤の世論調査では「B-」という評価であった。小選挙区勝利した国民民主党候補の「C-」(10月18日の日経新聞調査)に比べると安定的リードを保っているのではないかと思っていた。10月19、20日の時事通信の調査でも同じ結果だった。
これが10月23日付のしんぶん赤旗で「2000万円」が報じられたことにより、おそらく終盤で大きく崩れて国民民主党の候補に逆転を許し、落選(非公認なので比例復活もなし)という結果になった。
もちろん、選挙区の個別事情は知らないので、ただ第三者的に見て感じているだけのことだが、それくらい「2000万円」は奇異なことだった。
10月23日にしんぶん赤旗で報道され、27日が投票日だったので、逃げようと思えば「なぜなのか分からない。調査して改めて報告する」と言うこともできたのではないかと思うが、森山裕幹事長はすぐに「2000万円」を交付した事実を認めた。
「2000万円」が自公で過半数維持できなかった大きな要因になったのは間違いないだろうが、党内での倒閣運動を抑え、高市氏の影響力を削ぐために必要な一手だったと思うと理解ができる。
少数与党となれば「取って代わりたい」という党内からの動きは収まるだろうし、国対委員長を長い間務めて野党とのパイプがある森山幹事長を下ろす訳にもいかず、しばらくは石破・森山体制が続くことになるのではないかとも思う。
来夏の参議院選挙に向けて、こういった「党内闘争」が引き続き、行われていくのではないか。そういう意味では「石破政権」の誕生は、疑似ではない本当の「政権交代」があったと考えるべきなのかもしれない。
我々、地方の議員は中央の動きをしばらく注視していくしかないが、足元を固め、どういう嵐が吹こうとも耐えていかなければならないと思っている。