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食物自給率

2004-08-15 09:51:21 | 日記・エッセイ・コラム
8月15日。敗戦記念日だ。昭和20年8月15日はじりじりと真夏の太陽が照りつける暑い日だったと聞くが、私には8月15日の記憶がない。幸い地方にいたので、空襲の怖さは知らずにすんだが、戦後の食糧難は記憶している。空腹感は忘れてしまってはいるものの、生きるために食べるのだ、と意識は基本になっている。

最近のトピックで日本の食物自給率が40%で先進国では最低だと言うのを見た。見た瞬間、日本の穀物自給率と間違えて、えっ、回復したの?と思ってしまった。私が勘違いしたのは穀物自給率のことである。こっちはもうとっくに30%をきっているはずだ。よくよく見ると食物自給率だった。しかもその中には飼料自給率は入っていない、飼料はほとんど輸入だから、これを加えるともっと自給率は下がるだろう。40%の自給率とは10人中4人分の食料しか自分の国で生産できないということである。恐ろしいことだ。しかし、この数字に日本人のどの程度が恐怖感を覚えるのだろうか。少ないに違いない。

店に行けばあふれるように食料は並んでいる。毎日の食卓は買ってくればことたりる。財布の中身さえゆるせば、世界のめずらしいもの、美味しいものをそろえることも出来る。今の状態が続く限り、自給率の低下も食糧不足も遠い問題だ。「買ってくればいい」たしかにそうだ。買えるうちはそれでいい。しかし、買えなくなることも、ありえないことではない。自然災害、戦争・・買えなく理由は多々考えられる。戦後の食糧不足を生きてきた人間には、あってはならないこと、だと思いながらも背筋を寒くしている。

他の国々の自給率を参考にしてみよう。世界の食物自給率はオーストラリアが300%前後、アメリカ250%前後、イギリス・ドイツ・インド・中国はかろうじて100%を維持している状態だ。この数字は、欧米諸国は、人間が生きていくのに不可欠な食料の生存基盤をきちんと確保した上で、経済拡大を図っていることを示している。
日本にはそれがない。日本の農業は衰退の一歩をたどっている。日本の農業を衰退させたのは、もちろん国の政策である。戦後、食糧不足をなんとかするため、食糧増産につとめていた。
簡単に言えば、食料は輸入に頼り、輸出のための工業生産に重点をおいた。このためには人手が必要だ。法律をつくり、農村から若い働き手を都会へ集めた。いわゆる「金の卵」と呼ばれた人たちだ。地方から出てきた働き手はふるさとへ帰ることはなかった。都市の一局集中化もここに起を発している。

ケニア旅行中、「日本の農業のゆくえ」という本を読んでいた。仲間にも読むように勧めたのだが、帰ってきてバッグから出したのは覚えているが、どこかへやってしまって見つからない。
ここに戦後の農業の経緯が載っているのだが、もう一冊買ってこよう。

1985年ごろから、私たちは食料問題を取り上げた作品を制作している。「現代の米騒動」から始まって、「豊かさの裏側」「食べる」と私たちの食卓をとおして世界を見てきた。その当時の日本の穀物自給率は34%であった。それが33%、30%と毎年のように下がり、とうとう30%を切ってしまった。同じくその年代の神奈川県の米の自給率は3日分しかなかった。あれからさらに田んぼはつぶされている。人口もふえている。1日分もあるのだろうか。

最近、スローライフという言葉が使われている。おなじくスローフードという言葉も。
外国で生産されたものはエネルギーを使って、遠くまで運ばなければならない。環境負荷にもつながる。

消費者運動を長くやっていて、つくづく思うのは農業を大事にしなければ、ということである。
農本主義といったらいいのだろうか。人間は生きるためには食べなければならない。食べられることが基本だが、食は食品として安全で美味しいものである必要もある。それが食の文化だろう。日本農業の危機は、日本の食文化の危機でもある。生活環境の危機でもある。そして、日本のそのものの危機でもある。





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