手元にいつも数冊の本が置いてある。英語とフランス語とイタリア語の辞書、植物、野鳥、クモの図鑑、地図帳、そして「吟醸酒への招待」という新書である。この新書は末尾に吟醸酒を生産している蔵元の名前と代表する銘柄があげられているので、これを見るためにである。
食糧難の時代に育ったからか、もともとそっちに興味があったのか、とにあれ食べることは好きである。道を間違えたのではないかと思うくらい、料理も好きだが、食品に関しては徹底的に追求する。チーズに興味を持てば、チーズを食べ歩くのはもちろん、原料、製造、あげくは自分でも作ってみるし、チーズを通しての歴史や文化まで手をひろげる。ワインもそうだ。ここ数年、日本酒、とくに地酒に凝っている。といっても日本酒に関してはまだまだトウシローである。
日本酒と言うイメージは私にはいいイメージはなかった。まず、酔っ払いのイメージがつきまとう。酔っ払ってクダをまく男どもの印象はすこぶる悪い。酒臭い息も迷惑だ。よっぱらいは大嫌いだった。品性が卑しいとも思っていた。この大嫌いな酔っ払いと日本酒がイコールだったのだ。
父は上等な酒、そのときはそう言っていたが今思うと、単に税金の高かったものに違いないが、それを茶箪笥にのせていた。食事の時にはそれを出してはたのしんでいた。父が酔っ払ったのを見たことがない。でも母の方が強かったようだ。
父は客が来ると、よくオールドパーを出していた。ウィスキーグラスと水を添えて。
中学生のとき、「お父さん、ウィスキーって美味しいもの?」と聞いたことがある。「美味しいよ」と父は答えた。そこであるとき、客も帰り人気のないことを幸いに、そこにあったウィスキーをなみなみとグラスに注ぎ、くっと飲んだ。のどが焼け付くように熱くなり、そのあとは覚えていない。それがトラウマとなって、その後アルコールを飲むことはなかった。ビールも一切飲まなかった。ビールは味がどうしても好きになれなかったのだ。
アルコールを口にしたのは、大学時代、父が貰ったシャトーもののフランスワインの白だった。一口飲んで、美味しいと思った。そのワインはだれにもやらずしまいこみ、ひとりで飲んでしまった。銘柄を書いて、丸善へそのワインを探しに行った。あるにはあった。しかし、1本6000円で、学生の身でそんなものはとても買えなかった。私のオーバーコートが6000円、熱海から東京までの定期券が1ケ月1700円の時代である。ワインは美味しいものだという味の記憶はちゃんと残った。そして高いものだという記憶も。
私は口に合わないものを無理して食べることはないと思っている。飲み物もそうだ。こと食べ物に関する限り、実に保守的である。イメージの悪い、美味くもない日本酒なんて、料理には使っても飲むことはなかった。
それが36歳で議員になっての正月の賀詞交換会で、もう故人になったが町長が酒をすすめた。「飲めません」と断ると「男みたいな口をきくのに酒も飲めないのか」と言った。今ならセクハラになるところだ。売り言葉に買い言葉「頂きましょう」と杯を出した。町長はなみなみと酒を注いだ。まわりは心配そうに見守っている。その杯を一気に飲み干した。美味いもまずいもない。ただ、食道が熱くなった程度である。いま思えば、ジェスチャーでも具合が悪いそぶりでもすればよかったのだが、私も気がはっていたのだろう。けろっとしていた。「飲めるじゃないか」、さすがにそれ以上無理強いはしなかったが、アルコール大丈夫と言う第一歩を記してしまった。以来、酒量は増え、いつしか私の前には銚子の数がならぶことになる。しかも絶対に乱れない。強い、との評判も。こういう契機だから飲めはしても日本酒に思い入れはなかったし、好きにもなれなかった。アルコールを飲むようになっても、もっぱらワインであった。ケーキを作るので、スピリッツやリキュールも30本以上はいつも置いてある。しかし、これを飲むことはない。
ところがここ数年、日本酒が美味しいと思うようになった。吟醸酒との出会いである。
香も飲み口もワインみたいなお酒、日本酒に対するイメージは一変した。一変すると、おもしろがって追求しはじめる。地酒の数は多い。はじめは酒好きに「何が美味しい?」と聞き、美味しいと言った酒を買ってきては、自分で飲んで試していた。だんだん好みがはっきりしてくる。
日本橋・高島屋の地下では毎週のように変わりばんこに蔵元から出張販売に来ている。担当のNさんはお酒には詳しい。それにすすめ上手だ。蔵元の人とも話しながら、あれこれ試飲させてもらって、気に入ったのを買ってくる。そんなことで、おなじみになった蔵も多い。
とはいえ、今の私は自分で作ったぐい飲みに1、2杯たしなむ程度。いつも冷蔵庫に何本か入れてあり、気分で飲み分けている。
この春、喜多方まで蔵元「大和川」をたずねて行った。喜多方にはあそこだけで9軒の蔵元がある。いろいろおそわった。たくさん飲んだ。米や麹や水だけでなく、蒸し方にも蔵の差が出るとも。会津若松でも飲んだ。その帰り国道121号線沿いにある田島町の二つの蔵元によった。開等男山と国権である。ここのも気に入っている。
先日、秋田へ行った。秋田の美味しい地酒、というと天功と刈穂を勧めてくれた。美味しかった。そこで蔵元の住所を書いてもらった。天功は飯田川町に、刈穂は神岡町にあった。しこたま買い込んできたのだが、気前よくみんなにやってしまったので、自分のがなくなってしまった。じゃぁ、正雪を買いに由比町まで行ってこよう。
道楽だと夫は言う。宝石を買うわけでもなし、ま、この程度の道楽は許されてもいいだろう。