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骨折1ケ月

2008-10-15 22:16:54 | 日記・エッセイ・コラム

骨折してから明日でちょうど1ヶ月になる。家の中では、慣れてきたので、ほぼ何でもできるようになった。でも床を拭いたりはできない。年の割には柔軟なので、前屈をして、ものを拾おうとして、それが裏目に出て車椅子ごとつんのめってしまうことが多々ある。つま先をついて痛い。掃除機もかけてはいるがコードが邪魔。コードレスが必要なのも分かった。何をするにも時間がかかる。車椅子で移動しているときはいったんストッパーをかけて、止めてから、それを利用して立つので、次の作業が遅れる。自然と時間がかかる。洋服の脱ぎ着も然り。

検診に出かけた。車のあるところまでは、まだ松葉杖でおぼつかない足取りで出かけるので、道のりは容易ではない。石段はかなりスムーズに上れるようにはなった。今は小さなクッションを使っている。今日は車椅子も松葉杖も車に積み込んだ。いろいろ用事があるので、外に出たついでにたしてこようと思ったからである。

11時予約だが、10分前ぐらいに病院に着いた。さっそくレントゲンだ。レントゲンができてから待つこと長し。ようやく番になった。レントゲンを見ると折れた骨の部分がぼやけている。ついてきつつあるようだ。で、ギブスをはずすことになった。よかった~、これで右足が軽くなる。風呂にも入って言ういいという。なお、よかった。

ギブス室に行き、ギブスを切ってもらう。回転カッターで切るのだ。技師は回転しても振動で切るので、のこぎりとは違って皮膚を切ることはないから安心してください、振動で皮膚に当たることはあっても切れないと、強調してと説明した。ギブスの両横に鉛筆で線を引き、左側からカッターが動き始めた。切れる。下の包帯が見える。なるほど、刃は布の前で止まっているみたいだ。振動はするが痛くはない。と、チクっとした。もう一度チクっとした。右側に移った。くるぶしの辺りで痛みが走った。「痛い!」と、叫んだ。でもカッターはそのまま続けて、終わった。ペンチみたいなもので切断部分をはずし、大きなはさみで下の布部分を切った。ギブスをそこで取るのではなく、また簡単につけて、診察室の前に戻った。

看護婦さんが来て、足を拭いてくれると、またまたギブス室に戻った。1ケ月ぶりに右足が出てきた。むくんいる。血行が悪かったらしい。風呂にも入っていないから、1ケ月ぶりに拭いてもらったことになる。そこでさっきの右側の痛みの走ったところを見た。やはり長く切れて、血がにじんでいる。ずきずきするわけだ。診察のとき、消毒薬を塗ってもらおう。

やっと番が来た。12時半を過ぎていた。かかとをついて立ってもいいと言われた。1ケ月間、立つことがなかったから、立ってもいいといわれても怖い。徐々に慣らしていこう。この分だと歩けるようになるにはまだかなりかかりそうだ。切り傷を消毒してくれながら医師が「ごめんね」と傷をつけたことを謝ってくれた。

食事をして、プリンタのインクを買いに、エスポットに寄った。駐車場には車椅子マークはあったが、車椅子は置いてなかった。車から車椅子をおろし、インクを買いにヤマダ電機に行った。私じゃなければ分からないので、棚の前の狭い通路を商品を落とさないように気にしながら通って、インクを余分に買ってきた。

2時ちょっと過ぎに町民センターによったが、工芸室にはもうだれもいなかった。焼いてもらった色見本のぐい飲みのあがりを見たかったのだが、残念。で、降りずにそのまま郵便局に行き、用事を済ませ、肉屋さんによって帰ってきた。郵便局には入り口に警察官がたっていた。郵便局に来る人たちに話しかけている。戻ってきた。Papasanに聞いたら、振り込め詐欺防止のためだった。後で新聞をみると、全国的な運動展開らしい。

                                              あっちゃんが深紅のバラをいっぱい持ってきてくれた。きれい!バラは好きだからうれしい。河津バガテルの秋バラの開花はどうだろう。 

                                        

夜、「その時歴史が動いた」で知里幸恵の「アイヌ神謡集」を主題にしていた。興味深かった。日本人はいかにアイヌ民族の人権を踏みにじってきたか、もちろんそれはよく知っているが、それにしても虐げられている先住民族や植民地化されている人たちの人権を虐げているかが、改めて思い起こされ、重い気持ちになった。

コメント
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