ひとつは失職した人々のこと、これは少しは明かりが見えたけど、もうひとつは先が見えない。それはイスラエルのガザへの侵攻だ。多くのガザの住民が殺されている。ハマスの武力行使もどうかとは思うが、しかし祖国を奪ったイスラエルに対する積年の恨みは簡単には消せない。それを格好の理由に軍事力にものを言わせ空爆、侵攻、まさにジェノサイドだ。イスラエル国民の75%が軍事行動を支持しているという。
失職した人たちを支援するために市民団体や労働組合によって日比谷公園に派遣村が出来、それが続いてあちこちに分散して、しかもハローワークも相談に応じ、就職と宿泊場所を斡旋していく取り組みを始めた。そうこなくっちゃ~。
この取り組みをテレビで見ていると、今は大変だろうが過ぎてしまえば今回の経済危機も日本人にとっては悪いことばかりではないように思える。戦後の食べるものも事欠く時代を生きてきた私たちには、これが戦後もすぎて不自由なく育った人たちへの警告にもなるだろう。戦後の食料すらままならぬときでも、多くの人々は分かち合い励ましあって生き抜いてきたのだ。私もそういう時代を覚えている一人なのだ。
パートとか派遣とか、不安定な雇用は、雇う側にとっては、経済が悪化して、いざと言うときは簡単に首が切れる、保障もいらないということである。雇われる側も、一時期、フリーターがもてはやされたときがあったが、縛られなくてすむといったような安易な考えもあったようだ。年をとったらどうするのだろうと、心配したものだ。格差社会も心配だった。労働組合も、こんな雇用制度はあぶないと騒がなかった。こういう状況が来ると予想して対処して来なかったのではないか。働く権利も自覚しなければ。
おそらく、職を失い家を失った人たちも、派遣とはいえ働いていたときはホームレスの人たちを思いやったことはなかったのではないか。人は助け合えるものだと感じられたのではないか。
現実的には人手が不足しているところは多々ある。介護の現場にしろ、農業だって手は必要だ、第一次産業はすべからず手は必要だ。かつて3Kと呼ばれていた職種だって、外国人に頼まなくても自分たちでやれば出来るはず。ただし、介護は資格が要ることもあるが、それをなくしても費用的に雇えないでいる。農業だってなんだって、一朝一夕には出来ないのだから、それを国がそれを保障して育てていかなくてはならない。長い目で見れば、輸入に頼っている食料問題を、自給率を上げる役にもたつ。そういうことを考え、雇用の場を確保するのが政治だろう。
さぁ、生きるために一生懸命になろうよ。そして力をあわせて、自分たちの暮らしいい社会を作っていこうよ。今の日本人には革命は無理だろうけど。