骨折から4ケ月余、今日が最後の診察だった。Papasanは用事があるので、私を送るとそのまま引きかえして行った。受付をし、二階へ上がっていくと、ちらほらとマスクをかけた人の姿が目に入った。お~そうそう、とポシェットからマスクを取り出してかけた。ポシェットにいつもマスクは入っている。スタッフはマスクをかけているが、外科だからか、患者さんはあまりかけていない。
いつものようにレントゲンをとり、待つこと約1時間、その間、「フランス史」のフランス革命から読んでいた。この部分は実におもしろかった。特に今の日本の現状を照らし合わせると、革命が起こっても不思議ではない状況にはある。でも現在の日本では革命は起こらないだろう。フランス革命もそうであったかもしれないが、要因があっても必ずしも革命は起こらない。いろんな要因が重なって、いろんな階層の気運も重なって、短期間でそれが相乗効果をあげて、革命は起こっているようだ。
やっと番になった。診察室に入ると先生も看護婦さんもマスク姿。
「今日はひとり?ご主人は?」と先生。
「忙しいんですって」と私。
レントゲン写真を見ると、折れたところはまだ白く光っている。
「あれ、まだ白い線ですね」
「骨はちゃんとついているよ。もう大丈夫だよ」
「でも、まだちゃんと歩けないんですよ。どうしたら歩けるようになりますか。自分の足で歩いていると言うより、頭を使って、意識しながら歩いている状態です」
「ちょっと歩いてみて」
「こういう平らなところはいんですが・・」と歩いて見せた。こういうところで短い距離はなんといもないのだ。
「段差はつらいだろうけど、もう大丈夫だから自信をもって、どんどん歩くことですよ」
「ところで先生、どれでもいいんですが、レントゲン写真、1枚、記念にいただけませんか。」
「コピーならあげられるけど、これはあげられないんだよ。」
「そうですか。それなら結構です。足の骨の名前、みんな覚えましたから、ビューワにかけてみたかったんですよ」
「いきなり英語でキューニーフォームと言われたときはびっくりしたよ」
ほほう、先生、患者は大勢いるし、そんなに何度も来ているわけでもないのに、些細なことを覚えているんだ。患者にとっては親しみがわくわけだ。
「では今日で終わりにしましょう」
「ありがとうございました」と礼を言うと
「ころばないようにね」と先生。こういう一言は患者の胸にはひびくなぁ。
「はい、気をつけます」
思い起こせば、この先生に直接処置してもらったのは骨折したその日、ギブスをはめてもらっただけ。ギブスをはずすのも先生の手は煩わせなかった。後は毎回、レントゲンを見ながら、説明してくれただけだった。でも、先生にはいい印象を抱いた。きっと先生の人柄のせいだろう。患者にとって腕のいい医者は一番だろうと思うが、やはり心配りは大事だ。どんなに優秀な医者でも、態度が悪かったら、私は行かない。
昨日、診療所のW先生にお目にかかった。真鶴の高齢者を見捨てるわけにはいかないから、診療所をその拠点にしたいのだと、熱っぽく語ってくれた。その熱意は町民としてはありがたいし、大いに買おう。私は病気をあまりしないので、これからは年だからするだろうが、病院情報は詳しくはない。
会計のMちゃんにお礼の挨拶をすると、「送迎バスが出ているから利用しては」と言われた。「うん、知っているけど、まだちょっと一人で帰る自信がないんだ。先生は歩けとおっしゃったけどね」と笑いながら応えた。
病院の入り口から右正面、トイレの近くにマスク販売のスタンドがあった。1ケ100円。患者のみならず、面会の方もマスクをかけてくれるようにと張り紙がしてあった。入って行くときは気がつかなかった。余計なお節介だけど、もうすこし目立たせてもいいんじゃないかな。マスクをかけるのは、自己防衛でもあるし、もし風邪をひいていたら他人に感染させないためもあるし、お互いのためだから。迎えが来るまで、フランス革命以後の続きを読んでいた。読み終わらぬうちに迎えに来てくれた。近く眼科へ行くからその時残っているところは読み上げよう、と本はしまった。
湯河原で食事をして町民センターへ行った。帰りは歩いて帰るから迎えはいいよと断って。今日は用事があるんだ。
2階まで階段を歩いて上った。でも降りるのはエレベーターを使い、地下まで降りた。その方が平らだから。ゆっくりゆっくり、久しぶりに道沿いのお宅の庭木を眺めながら、町民センターから家まで300m余りあるのかな。ただ上り坂なので、休み休み帰ってきた。家の近くにくると、ジョウビタキの♂が先導してくれた。初めて一人で歩いた疲れもあって、コタツに入り転寝してしまった。
夕食には、お祝いだと一杯飲んだ。一の蔵の笙鼓。美味しかった。