学生の頃だったと思うが、第二次世界大戦をふりかえって、結果的にナチスの台頭を許してしまったドイツの大学教授の手記を読んだことがある。
「毎日の生活は変わらなかった。政治の方向も、この程度なら、いいだろうと気にしてこなかった。しかし、何かが少しずつ変わり始め、おかしいな、と感じたときにはもう引き返せない所にきていた・・」というような内容だった。
毎日の生活は変わらない。物価が上がってもこの程度ならやりくりできる。だから、政治には無関心で、問題が取り上げられても、この程度のこと、この程度なら未だ歯止めがかけられる、と思っていると、いつしかそれが大きなうねりとなり、個人なんか簡単に呑みこまれてしまうのが歴史の常。
新聞を読んでいたら、ダンス規制?なんて言葉を見た。なにこれ?風紀法なのだそうだ。風紀を乱すようなダンスは規制するというのだろうが、いまいち理解できない。その余波で、公民館のダンス教室が中止になっているそうだ。なんで~?ますます理解できない。ダンスなんて、日常生活に関係ない人が多い。その一部が、風紀を乱す、なんて言われても、どこかの話のように聞こえる。風紀を乱すとあらば、一般的には、なるほどと思われてしまいそうだが、その裏に潜んでいるものを考えると恐ろしい。
そう、オウムのサリン事件の後、オウムに適用するのだと言って、破防法を通した。しかしオウムには適用しなかった。オウムは解散させられるどころか、さらにのさばっている。これも目的は他にあったのだろうが、国民はオウム憎さで乗ってしまった。確かに現在、世の中にはうんざりするような厭な事件があふれている。暴力、セックス、普通の人が忌み嫌うような問題を取り上げ、規制すれば、考えない国民は簡単に乗せられ、一定の方向に持っていくことができる。胡散臭い、胡散臭い。
もうひとつ。
慰安婦は英語では「sex slave」。まず基本的に、どんな社会であっても女性が性の奴隷であってはならない。これは明らかに人権侵害だ。