新聞にまた名画座が消えた、といった記事があった。映画人口が減り、映画館そのものも減っているのだから、名画座も苦しい状況にあることは察しがつく。書籍は山のように読んではいたが、映像として外の世界を教えてくれたのは映画だった。だから名画座にお世話になった世代にはさびしい限りだ。その記事の中に頑張っている名画座として、飯田橋のギンレイホールの話があった。ギンレイホールという名前は記憶にないが、場所を見ると私が行っていた映画館のようである。ギンレイホールというのは、1972年に建てたときつけたネーミングだとあったから、私がその名を知らなくても当然だ。
もうかれこれ50年前の話だ。飯田橋の駅を出て神楽坂に上る手前を右に折れるとすぐにその映画館はあった。記事だと名画座は2本立てが普通のようだったが、私が覚えている限り、飯田橋のそこは1本立てであったように思う。1本50円か70円くらいだった。1本は時間的にも好都合だった。八重洲の名画座も1本だったな。お茶の水には3本55円というのもあった。3本は見ている方も、さすがにきつかった。3本立なくても、大きな映画館のロードショーでも、冷房で風邪を引いたこともある。
連れ合いは中学生時代からロードショー族だったそうだが、世代が一緒なので、見ている映画はほとんと同じ。名画座に通った分、私の方が多いかな。
ギンレイホール、もちろんそういう名前ではなかったが、忘れてしまったので、とりあえずそうよばせていただく、と思い出すことがいくつかある。「灰とダイヤモンド」というポーランド映画を見た。ワイダの3大抵抗映画のひとつだ。
中に入るとすでに上映は始まっていた。モノクロの暗い映画だった。ラストシーン、暗殺者の主人公が、干してあるシーツ越しに撃たれ死ぬのだが、シーツが血に染まって、ついでぼろのように横たわる姿が、ぞっとするくらい印象的だった。ただ話の内容はわからなかった。途中から入ったからわからなかったのだろうと、もう一度見た。なんと、初めのキャストなどが終わった、それこそ初めから見たのだった。後で解説を読んで理解した始末、われながら何ともお粗末!
もうひとつ、「誇りと情熱」というスペイン独立戦争の映画。ソフィア・ローレンやジェームズ・スチュアート、フランク・シナトラたちが出ていた。上映途中で、停電になり、上映は中止になった。こんなことは稀ではなかったから、誰も怒りもしなかった。しかし半券を出せば、入場券と代えると言われたが、コートのポケットに突っ込んだ半券は無意識にちぎってしまっていた。当時の若者は文句も言わずにあきらめた。おかげでその映画の続きはず~っと後になって、そう、数年経ってから、見たのだった。映画の原作が「大砲」という名であることも後になって知った。
ギンレイホールにはそんな思い出がある。
もうかれこれ50年前の話だ。飯田橋の駅を出て神楽坂に上る手前を右に折れるとすぐにその映画館はあった。記事だと名画座は2本立てが普通のようだったが、私が覚えている限り、飯田橋のそこは1本立てであったように思う。1本50円か70円くらいだった。1本は時間的にも好都合だった。八重洲の名画座も1本だったな。お茶の水には3本55円というのもあった。3本は見ている方も、さすがにきつかった。3本立なくても、大きな映画館のロードショーでも、冷房で風邪を引いたこともある。
連れ合いは中学生時代からロードショー族だったそうだが、世代が一緒なので、見ている映画はほとんと同じ。名画座に通った分、私の方が多いかな。
ギンレイホール、もちろんそういう名前ではなかったが、忘れてしまったので、とりあえずそうよばせていただく、と思い出すことがいくつかある。「灰とダイヤモンド」というポーランド映画を見た。ワイダの3大抵抗映画のひとつだ。
中に入るとすでに上映は始まっていた。モノクロの暗い映画だった。ラストシーン、暗殺者の主人公が、干してあるシーツ越しに撃たれ死ぬのだが、シーツが血に染まって、ついでぼろのように横たわる姿が、ぞっとするくらい印象的だった。ただ話の内容はわからなかった。途中から入ったからわからなかったのだろうと、もう一度見た。なんと、初めのキャストなどが終わった、それこそ初めから見たのだった。後で解説を読んで理解した始末、われながら何ともお粗末!
もうひとつ、「誇りと情熱」というスペイン独立戦争の映画。ソフィア・ローレンやジェームズ・スチュアート、フランク・シナトラたちが出ていた。上映途中で、停電になり、上映は中止になった。こんなことは稀ではなかったから、誰も怒りもしなかった。しかし半券を出せば、入場券と代えると言われたが、コートのポケットに突っ込んだ半券は無意識にちぎってしまっていた。当時の若者は文句も言わずにあきらめた。おかげでその映画の続きはず~っと後になって、そう、数年経ってから、見たのだった。映画の原作が「大砲」という名であることも後になって知った。
ギンレイホールにはそんな思い出がある。