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即身仏

2015-02-12 20:32:02 | 日記
3時近く、駅裏の松本さんから「主人が3時からNHKのテレビに出るかもしれません」という電話を頂いた。急いでテレビをつけ、Papasanにも知らせた。きっと即身仏のことだろう。ご主人の松本昭さんは即身仏研究では日本の一人者である。メディアが即身仏を取り上げるときは大抵引っ張り出されている。私も即身仏に関する著書を頂いて読んでいる。そんなことから、山形で即身仏にもお目にかかっている。あれはどなたの即身仏だったのだろうか。

はたして予想通り、番組は3時15分からの「ろ~かる 謎の即身仏  日本独自の仏 湯殿山」というものだった。
番組はなんと真鶴、そして松本宅と昭さんと書籍にうずもれた書斎から始まった。続いて新潟の村上市、最後の即身仏となった僧、そこから生きながら即身仏になるための壮絶な修行が解明されたのだという。即身仏の歴史は古い。そもそもは空海の教えにあるそうだ。出羽三山にはかなりの即身仏が残っていて、今なお人々の信仰を集めている。しかも身近な存在として。鉄門海師がテーマだった。師は精力的に東北の冷害で苦しむ人々の救済のために各地を行脚し、生活の改善にも努めた。鉄門海という漁具も作り出している。師は、古文書によると、自らミイラになったのではなく、病死だった。それを周りの人々が徳をしのんでミイラにしたのだそうだ。明治維新のとき、廃仏毀釈でミイラ仏たちもその憂き目にあったが、即身仏の思いを知っている人々が、隠し守ったのが現存している。即身仏研究が遅れたのは、隠されていたのが原因のようである。即身仏が公開され、各分野の研究者たちがこぞって調査したとき、昭さんも調査団に加わり、興味を持ったのが始まりだったという。番組のしめは昭さんだった。

もちろん松本昭さんの著書「日本のミイラ仏」の方がはるかに詳しい。即身仏、一人ひとりの説明が詳しい。頂いたご本は、人に貸してあげて返ってこない。貸した人は覚えているが、その人は認知症で施設に入ってしまったので、本が返ってくることはもうないだろう。

即身仏が、エジプトのミイラなどとまったく違うのは、自ら即身仏になるというところである。それも自己のためではなく、死してなお人々を救済したいという思いからである。ここは根本的に違うところだ。前出の師たちのように徳の高い人たちだけでなく、こういう人もいた。誰だったか忘れてしまったが、その人は生前は人々のためによいことしなかった、せめて最後に即身仏となった人々のために、役に立とう、当時眼病がはやっていたので、その病を治すために即身仏になろうと決意し、即身仏のなったというのを読んだ記憶がある。
人々の救済のために即身仏になる、なんていうのは簡単だが、即身仏になるためには生半可なことではできない。とてもとても並みの人間にはできない。徐々に自らをミイラ化していく修行、すごい意志だ。だからこそ、人々の信仰と尊敬を集められたのだろう。
コメント
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