いわゆるスケルトンだ。各地の学校に保存されている標本が実はレプリカではなく、実物だったというのだ。実物が残っていたのは伝統校が多いそうだ。おそらくレプリカ以前の本物の時代に入手したものが伝えられていたのだろう。そんなに問題視されることでもないのに、と思うが、犯罪の多いい昨今では、事情も変わってくるのかも。
昔のことだが、それが小説であったか、ルポであったか思い出せないが、人体標本の話を読んだことがある。
インドでのこと。スケルトンの製造はほとんどインドで作られていた、というものだった。
主人公は医者だったか、生物学者であったかは定かではないが、知り合った、死をまじかに控えている若い女性が、いずれ自分も骨格標本にされる。
だからそれを日本に持ち帰って、使ってほしいという話だった。
やがて女性は死に、スケルトンづくりのプールに浸されたが、その標本が出来上がったらとりに来ると約束して、1年後出来上がったスケルトンを
もって日本に帰ってきた。そのスケルトンは研究室におかれているスケルトンだ、という話だった、と思う。
おそらくスケルトンになった若い女性はダリットではなかったか。ダリットと呼ばれる不可触民は死んでも火葬にされず、ガンジス川に投げ込まれるものが多かった。
それを集めてスケルトンをつくり、販売したようである。40年代に多かったそうだ。
見つかった実物のスケルトンの性別判断などするそうだが、案外日本人ではないかもしれない。
そういえば、ウィーンの自然史博物館に各民族の頭蓋骨が展示されている。
日本人のもあった。表示には女性だと書いてあった。横には韓国人の標本もあった。それを見ながら、この頭蓋骨はどのような経路でここに来たのだろうかと思った。
生物学的な興味で見ると、各民族、頭蓋骨の形が違っている。日本でも庶民と公家の頭蓋骨の形は違っていたそうだから、当然だろうが。
頭蓋骨と言えば、ドナウ川沿いの平地の狭いところでは、死者を埋葬できないので、腐るまでは埋葬して、骨になったらほり出して棚に保存しているのを見たことがある。
イタリアの解剖学教室では、歴代の教授の頭蓋骨をずらっと並べて保存しているそうだ。
ポルトガルのエボラには人骨堂がある。天井も柱もすべて人骨の各部位が埋め込まれていた。しかも床には「あなたの骨を待っています」と書いてあったような。
カトリックの教えに「死を忘れるな」というのがある。人骨(どくろ)はその教訓のようなものだろう。
昔のことだが、それが小説であったか、ルポであったか思い出せないが、人体標本の話を読んだことがある。
インドでのこと。スケルトンの製造はほとんどインドで作られていた、というものだった。
主人公は医者だったか、生物学者であったかは定かではないが、知り合った、死をまじかに控えている若い女性が、いずれ自分も骨格標本にされる。
だからそれを日本に持ち帰って、使ってほしいという話だった。
やがて女性は死に、スケルトンづくりのプールに浸されたが、その標本が出来上がったらとりに来ると約束して、1年後出来上がったスケルトンを
もって日本に帰ってきた。そのスケルトンは研究室におかれているスケルトンだ、という話だった、と思う。
おそらくスケルトンになった若い女性はダリットではなかったか。ダリットと呼ばれる不可触民は死んでも火葬にされず、ガンジス川に投げ込まれるものが多かった。
それを集めてスケルトンをつくり、販売したようである。40年代に多かったそうだ。
見つかった実物のスケルトンの性別判断などするそうだが、案外日本人ではないかもしれない。
そういえば、ウィーンの自然史博物館に各民族の頭蓋骨が展示されている。
日本人のもあった。表示には女性だと書いてあった。横には韓国人の標本もあった。それを見ながら、この頭蓋骨はどのような経路でここに来たのだろうかと思った。
生物学的な興味で見ると、各民族、頭蓋骨の形が違っている。日本でも庶民と公家の頭蓋骨の形は違っていたそうだから、当然だろうが。
頭蓋骨と言えば、ドナウ川沿いの平地の狭いところでは、死者を埋葬できないので、腐るまでは埋葬して、骨になったらほり出して棚に保存しているのを見たことがある。
イタリアの解剖学教室では、歴代の教授の頭蓋骨をずらっと並べて保存しているそうだ。
ポルトガルのエボラには人骨堂がある。天井も柱もすべて人骨の各部位が埋め込まれていた。しかも床には「あなたの骨を待っています」と書いてあったような。
カトリックの教えに「死を忘れるな」というのがある。人骨(どくろ)はその教訓のようなものだろう。