陶芸へ行って、めずらしく作品を作ったのはいいのだが、かなり大きな花瓶を作ってしまった。定演でPapasanが花束を頂いてきたから、それを活けようとしたらそれにあう花瓶がなかった。大 きな花瓶はあるのだが、あんなにあった中型の花瓶がなくなってしまい、猫が割ってしまったのだが、泥縄で花瓶を作ろうと思ったのである。といっても焼くのは来年のことだ、そのころにはもう花はない。
半日で成型までしてしまったくらいだから、一生懸命作ったのだろう。帰りごろには腕が痛んだ。きっと家に帰ってからもっと痛くなるだろう、と思っていたら、案の定さらに痛くなった。あ~あ。
それでもサヴァランを作った。ネットでサヴァランのレシピを探したら出てきたので、そのとおりに作ってみた。きれいに出来た。シロップは通常の甘さなのだが、私には甘すぎたので、その上に冷えた紅茶をかけて薄めた。レシピはラムだったが、お酒をブランディに代えて、もう一度作ってみよう。
そこで昔よく作ったエスワイルの大谷長吉さんのレシピがあるはずだと探してみた。あった、あった、紙質も悪かったらしく、本の周りはぼろぼろで、中も色が変わっている。しかし捨てもせずにとってあるのは、それなりに利用していたもののようだ。料理の本はたくさんある。単行本以外にも「栄養と料理」「3分クッキング」「今日の料理」なんて雑誌は山のように並んでいる。その後長吉さんの同じくパテシエの息子さんにケーキを教わった。ひとつはサヴァランだった。あの時はブランディを使ってたと記憶している。息子さんは平塚バッハマンのご主人である。
大谷さんのサヴァランの内容をみると、ネットで見つけたレシピと大して変わらない。なら、パン生地はネットのレシピを使って、後は私のセンスでアレンジしていこう。うん、あれをこうしてみたらどうだろう、なんて試行錯誤しながら、自分流にケーキを作り出していくのはたのしいことだ。
ちょうどテレビで「今日の料理○○年」として、昔の料理の講師たちのレシピを紹介している。指導にあたって下さった皆さんのお顔は覚えている。なつかしい。料理を教えるのに、あの方々も苦労したらしい。いまのように材料が何でも手に入る時代ではなかったから。西洋料理も帝国ホテルの村上信夫さんは、日本にあるもので間に合わせて、味は現物に近く、しかも日本人の健康と舌に合うように工夫したと聞いている。ケーキだってそうだ。図書館から借りてきて丸写しした飯田深雪さんのレシピにはコンスターチの代わりに片栗粉が書いてあったっけ。こちらも当時は安月給だったから、高価な材料を言われたら使えなかったろう。こちらもこちらなりに工夫してはいたけれど。でも、初めて作ったカップケーキ、プリン型がなかったので、湯飲み茶碗で作った。それがふわ~っとふくらんだときは感激した。シュークリームだってそうだ。今でこそ、当たり前のように作っているが初めての時はそのふくらみに感激したものだ。
そうだなぁ、あの人たちのレシピ、毎日、テレビを見ながら、一生懸命書き写して(写すのは特技)、その料理を作ったものだ。だから書き写したノートもたくさん残っている。そして実際に作ってみての感想も事細かに書いてある。本を買うのもままならず写していたくらいだから。ケーキ型も今ではケーキ屋さんが出来るくらいたくさん揃っている。それでも古い、錆びたものはずいぶん捨てたんだけど。
たしかに当時、50年近く前のレシピと現在のレシピを比べると、現在のレシピの方が材料はずっといいもの、本物を使っている。それだけ日本人の食生活が豊かになってきたことを裏付けている。とはいうものの、反面、日本人の食生活は当時よりはるかに貧しくはなっているのだが、これはまたにしよう。
「おかげさまで」と言いながら、いろいろ物思いながら変色した古びたページをめくっている。