Cogito

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ラジカセ

2017-02-07 13:00:52 | 日記
買い物ついでにヤマダ電機でラジカセを買ってきた。ここ何台もソニーを使っている。スピーカーの音が変わると嫌だからとまたソニーを選んだ。テープは使えない。さっそく帰ってくるとすぐさまCDをかけ始めた。グレン・グールドのバッハの平均律クラヴィーア曲集CD2枚組(1番~24番)だ。これはよく動物たちが子犬や子猫のとき聞かせていたものだ。だからほんと久しぶりもいいところ。うん、音には違和感はない。よかった。結構、こういうとところがわれながらうるさい。

続いてベートーベンの「大公」これは好きな曲だ。手元に演奏家の違うCDが4枚ある。まだあるはずだがそのうち出てくるだろう。
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飽きもせずに

2017-02-06 14:41:54 | 日記
久しぶりに恵みの雨。よかった鉢に水をやりに行かなくてはと思っていたのだ。

ほんと、まぁ飽きもせずにCDをかけて聞いている。CDに手の油が付いていてかびたのが原因だと思って拭いていたら、音が飛ぶのはそれだけが原因ではないみたいだ。というのはあんまり聞かない、したがってかけることもない、ポピュラーでも音がとんだ。もちろんかける前にどれもきれいに拭いてはいる。CDの問題ではなく、再生のデッキの方にも問題がありそうだ。使う頻度は多いし、おまけに埃の多いところに置いてある。老化したのかも。で、Papasanのデッキを持ってきた。これは私のより古いものだ。こっちの方が飛ばない。でも完全ではなく飛ぶこともある。CDの劣化もあるのかも。安いCDは劣化するだろうが正規に買った物の方が多い。そんなことを言いながら朝から晩まで、はちょっとオーバーだが、やたらとかけて聞いている。とはいえ1日に5,6枚がいいところだな。

聞いたこともないCDもかなりたくさんある。papasanが買った、私は好きでないものもある。その一つ鮫島有美子のCDが何枚も出てきた。ずいぶん昔になるが芸大の奏楽堂に行ったとき、そこにあったのが鮫島有美子の録音だった。Papasan、そこですっかりお気に召して、何枚も買って隣の部屋でかけていた。それを聞いて「一本調子で情感が全くない、女学生の歌だ」と私はこき下ろしていた。だから聞きたくはなかったが、チェックのためとかけてみた。彼女がダニーボーイを歌いだしたとき、もうこれまでととめて、ハリー・ベラホテのダニーボーイに代えた。隣の部屋に行き、「ポピュラー歌手の方が上手いね、」いうとPapasanも「どの曲も同じ調子なんだもの。よくプロが務まる」と言った。あはは、やっと目がいや耳が覚めたみたいだ。捨てやしないけどお蔵入りさせていいね、と言ってあとの数枚も重ねて奥に突っ込んだ。

ブーニンのショパンが出てきた。買ったときはライブ録音だったので、拍手がうるさくて嫌だったが、久しぶりに聞くといい演奏だ。こては出しておこう。
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買い物

2017-02-03 21:45:12 | 日記
予定として木曜日か、金曜日に鴨宮の西武に連れて行ってくれるという話だった。仕事が入ってしまったので、今日の午後になると息子が言った。「いいですよ。でもPapasanにその旨話してやって。朝から待っているから」というとそう告げていた。11時半過ぎ部屋に行くと寒い中、ストーブを消して、もう出かける支度をして座っている。「午後って言ったで12時とは限らないよ」というと「いつも世話になるからお昼を御馳走しようと思って」という。「どこへ行くの?}「右京」「わかった。じゃ~連絡してみる」と言って息子に電話をしたがつながらなかったので伝言だけ入れておいた。「折り返し電話が来て12時半か50分ごろになる」ということっだったので、右京に電話をして予約をした。かえってきた息子は「あんまり時間をとられたくないんだけど」という。「じゃ~予約取り消してもいいんだけど」というと「予約しちゃったならいい」とそのまま出かけた。しまった、椅子席をと頼むのを忘れてしまった。座敷に案内され、足の悪いpapasanは一苦労。

ツノダへ寄った。Papasanのお目当てはここ。この前パステル用のスケッチブックをなどを買ったはいいが、パステルをどこかへしまい忘れてしまったらしく見つからないので、買ってやると約束してあったので、心待ちにしていたらしい。パステルは短いもので42色。9800円。しまい込んでしまったのは72色でサイズは長いものだから、これがなくてよかったかも。スケッチブックもF4をもう一冊買った。さっそく描くというから、洋ナシのシルバーベルがあるからあれを描いたら、とは言ったがどうするかな。
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はんば

2017-02-02 11:00:11 | 日記
息子が伊豆のものだけど、と言ってはんばを持って来てくれた。昨日、工芸室ではんばの話をしたばかりだった。なんでも岩でははんば取りに漁業券が1万円で売られているということだった。はばがいっぱいついていれば1万円ぐらい、すぐに元が取れるんじゃない、なんて噂をしていたのだ。
伊豆のはんば、どこのだろう、袋を見ると下田漁協となっている。夕食はごはんの予定ではなかったが、「初物、初物」と急いで変更して米をといだ。夕食ははんばと明日葉がメイン。下田のはんばは柔らかくって美味しかった。明日葉はもちっと太いのがいいな。それにしても、この地方のごちそうだろうね。、
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尾形憲先生

2017-02-01 08:33:24 | 日記
Papasan宛にハガキが届いた。あて名の文字、見覚えがある。裏を返すと、尾形憲先生の逝去のお知らせだった。でもこのあて名の文字は確かに尾形先生の自筆だ。中を読むとお知らせの内容は2014年10月22日に先生自身が自筆で作って遺言執行人である弁護士に届けてあったものだった。そして宛名も自筆で書いたのだという。なるほど。逝去の日時は弁護士が記入したものである。逝去のお知らせの下に細かく弁護士の経過説明が記されている。

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逝去のお知らせ
2017年1月21日、尾形憲が93歳で逝去しましたのでお知らせします。
本人の遺志により通夜や告別式などは一切行わず、遺体は焼骨を粉にして海に散布します。香典や献花の類はすべてお断りします。・・・略

P.S.(尾形より)
「この道はいつか来た道」の感が深い今日このごろです。
今のままの日本(特に沖縄)では死んでも死に切れません。ヒュードロドロドロと化けて出てともに闘います。よろしくお願いします。
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先生、亡くなったんだ。P.S.を読んで思わず噴き出してしまった。この反骨精神、このユーモア、おみごと!

尾形憲先生は法政大学の名誉教授だった。と言っても私ではなく、papasanの先生である。Papasanは各大学の通信教育を受けていた。明星大学では、司書や学芸員の資格もとった。とはいえ資格がほしかったのではないと思うが。法政では経済学を専攻したようだが、そのスクーリングで知り合いになったのが尾形先生だった。通信大学には社会人は大勢在籍している。そういった教え子たちを訪ねるのが楽しみとかで、熱海を訪ねた折にはPapasanのところによってくれた。そんな縁で我が家にも見えられ、私とすっかり意気投合してしまった。話している先生の目は子供のようにいつも輝いていたのを覚えている。

なんでも先生の授業の最前席は、社会人聴講生のためにとってあるのそうだった。学生たちが授業料を払わない聴講生たちに最前席を提供するのは不公平だといったそうだ。しかし、パスポート欲しさの君たちより本当に学びたい社会人のほうが教える側にはやりがいがあるんだ、とその後も最前席は社会人聴講生に開放していたそうだ。
私は先生の授業を受講したことはないが、先生が法政大学で開いていた「平和大学」には講師として招かれたことがある。スライド作品の「豊かさの裏側」「平和」をもってで出かけた。その場で受講生たちと知り合いになり、遅くまで語り合った。あれはいつ頃のことだったろう。

記憶が正しければ、先生は士官学校のエリートで戦前戦中はパリパリの軍国少年だったが、戦地に赴き、現実を知り、敗戦後、再び大学に戻り、法律を学び、本当のことを教えたいと法政に残り、教授となり、半生を平和運動にささげた。著書も持っていたのだが、去年の本の整理でみんな処分してしまって手元にない。で、先生の経歴を書くことは出来ない。先生の呼び掛けには、いつも自筆のあて名でお知らせは届いていた、ほとんど呼応していた。真鶴のミカンも研究室には送っていた。

先生、ご冥福を祈っちゃいけないね、ヒュードロドロと出てきて闘ってもらわないと困るから。
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