
ビーがついてくるようにたくさん声をかけたけど、あの賢いビーが、もう迷子になることはないのはわかってる。
ボブの歌もずっとかけて歌った。この歌が聞こえたら、私のとこに来てね。
雨予報は外れ、旅立ちの日と同じく青々とした空に大きい雲がたくさんある、夏の空だった。
暑くて、外に出ただけで汗が流れ出た。百日紅は満開がつづき、ツクツクが鳴いていた。
お花のほかに、イワシナマリアジもいっぱい添えた。
担当の方は殿と同じKさん。
殿のとき、とてもきれいな白い骨です、とほめてくれたのは、みんなにいうのかな、と思ってたけど、今回は、お胸にわるいところがあったのでしょうか、といってた。
顔の右側も骨がもろくなっていて、火を入れるのが難しかった、とも。Kさん何者。
Tもこの一週間は夏休みだったので、ゆっくり一緒に送ることができた。
帰りは三茶に寄って、ビーも食べるかなと、お寿司を食べた。少ししか食べられなかったけど。
ビーをつれて河原にも寄った。殿のときと同じくらい暑かった。

ビーのお世話は介護まではいかなかった。ビーをおばあちゃん猫と思ったことは一度もない、Tもそうだという、ビーはいつも可愛いわがままお嬢であり続けた。
お顔ふきふきも、食事管理も投薬も、ずっとやってきた日常で、いつからかずっと、ビーを最優先にして過ごしていた。
ビーとNちゃんはそっくりと昔からTに言われてきて、もちろん私はビーのかわいさや運動能力の足元にも及ばないのはわかってるけど、私はビーで、ビーは私、ビーと私は一心同体とずっと思ってきた。
ビーを抱っこして庭に出て、一緒に風を浴びてるとき、ビーと私に境界はなかった。ビーの体のぶるぶるが、私の体も震わせた。
ビーが楽しければ私も楽しいし、気持ちよければ気持ちいいし、私が元気ならビーも元気でいた。
Nちゃんはビーをえこひいきするともよく言われてた。
モンチがきて殿にべったりになった頃から、私はビーを一番気に掛けて、ビーは私にべったりだった。
ご飯食べるとき、洗濯物ほすとき、ゴミ捨てのときもビーは私の肩に乗り、横になってると胸に乗り、寝る時には顔に乗り。
お互いの息が混ざり会う近さにいつもいた。ビーが首に乗って私の鼻と口にあごを乗せて眠るのは、いつも至福だった。ビーはいつでもいい匂いがした。

シッポやお尻が汚れて洗面所で洗うのも、投薬も、Tだと嫌がってやらせなかったけど、私がやることは嫌がらなかった。病院だけは最後の通院まで嫌そうだったけどね。
病院ではいつも私によじのぼった。
去年の水害のとき、友達の支援で最初に頼んだのはビーの体重をみるための体重計、冷蔵庫が壊れてお隣に借りたのも、ナマリとササミを冷凍するため。
あの夜、ビーを抱っこしてなだめながら一緒に台風を乗り越え、一緒に台風一過の夜空のピカピカの月を眺めたのも、一生忘れない、今となっては幸せな記憶だ。
今年のリフォーム中も、一部屋にトイレもご飯もまとめてずっと一緒にいて、コロナ禍になってからは仕事に行かなくなってますます一緒にいて。
そして、旅立つその時まで一緒にいて、見送ることができた。
20年、最高の幸せを私にくれ続けて、お見送りもさせてくれた。
なんだかすごい時間、すごい関係でいられた。
それは消えたわけじゃない。
ビーとのすごい時間、すごい関係とともに、私はこれからも生きていく。
寂しいのはもう、これはもう仕方ない。
今月の巨匠連載より。
◯犬や猫は自分たちより早く死ぬ。子犬子猫としてうちにきて、暴れまわり、全身で生きる歓びをあらわす。三年、五年とたって落ち着きが出てくる。
そのうちに、あんなにわけがわからず暴れまわってたのが、こんなにものがよくわかると、大人になる。その日々が五年から十年続くと老いてくる。
いとも簡単に跳んでいた棚に跳べなくなり、散歩に行くのも億劫がったりする。
そして死んでゆく。その全体が、十年から二十年だ。
全身で生きる歓びをあらわしていた子猫が、二十年もするとこの世界からいなくなっている。
(中略)
何匹も世話していれば、そのことはよく分かっている。
それはもうホントに避けられないことだと分かっている、けど何年後かに待っている別れを、恐れたり嘆いたり悲しんだりはしない。
生きてあることをことあるごとに喜び、その喜びが期限つきであることを喜ぶたびに思う。
言葉にすればそういうことだが、それは静かな音楽のように絶えず漂っている、それが風の音だったり、夕暮れの光だったりしていた、
ビーの仔猫時代ったらホントにすごかった。
両手を広げてぴょんぴょん跳んで、私の目に着地!流血!なんてこともあった。
1日の大半外にいて、毎日ネズミをくわえて帰ってドヤ顔で見せびらかし、さんざん弄んでしまいに食べた。
ある夜は、ネズミとりのトリモチを体じゅうにくっつけて帰って、私に向かって激おこで鳴いた。
ある夏の日に家出して、私はビーを探すだけの日々を2週間送り、毎日ビーの夢を見た。ビーはちゃんと自分で帰って来た。
家の中でも殿と追いかけっこしたり、本棚の本やソファ、壁で爪とぎしたり、カリカリや鰹節の袋を開けて祭りを開いたり、やりたい放題で遊んだ。
引っ越すときも、外でも遊べるようにと1階を選んだ。
庭では脱走しないように押えてたけど、いつも不意をついて飛び出して、私の手の届かないところから、フッフーンと私を見た。
4歳でモンチが来て、ビーは大人になってからも、外の木陰でごろんして、ときどき私の心配をよそに姿を消しては帰って来て、殿に甘えて、殿とケンカして、モンチとは犬猿で、人のご飯をトンビのように狙い、ゴミ箱をひっくりかえしてケンタの骨を取り出して、Tにしかられるとベッドに走ってごろん、ハイハイこうさーん!
Tが抱きかかえて、「ビー!なんどいったらわかるの!」とやると、耳を伏せて目を閉じて、ごめんなちゃーい!と思ったら片目あけてチラッ、そろそろいいでしょ、しちゅこいにゃ!
Tはポンポン担当として、何時間でもポンポンしてもらい、手をとめるとシッポをバンッで睨みをきかせた。
ベッドにごろんしてニャー!と私を呼んで、見に行って向き合ってごろんすると、ご機嫌で毛繕いを始めた。私の顔を、足を投げ出す台にして。
そして16歳をすぎ、鼻炎、甲状腺亢進、腎臓など持病がでてきて体重が半分になって、ムダな動きはしなくなってからも、トンビのように人のご飯を狙うのは変わらず、好きな物だけむしゃむしゃ、ぶしゃぶしゃ食べて、ポンポンされて、下僕を足がわりにして外で日を浴びたり、風の匂いをかいだりして、ぶるぶる体をならしていた。ついこの春まで、モンちゃんは越えられないフェンスの隙間をするっと抜け、ビー!帰ってきてーと懇願する下僕をフッフーンと振り返った。私を呼びつけることもどんどん増えた。その度に喜んでかけつけた。
20年前、Cと一緒にビーを引き取りにいったとき、ビーは自分からまっすぐ私の膝に来た。
その頃から、いつか訪れる別れは必然であると言葉にしなくても漂っていた、だからビーとの日々は、ことあるごとに特別な喜びで、ありがたかった。
避けられない時が来た今も、喜びの日々はどこにもいかない。私とTの間に、この部屋や庭に、世田谷観音の一角に、どかっと広がっている。
ビーは不意をついてぴょん!と飛び出した。ビー!と呼び続けるちもべを振り返って、今もフッフーンだ。素早いビーは私にはつかまえられないけど、いつだってビーは、自分で私のところに帰ってくる。
One love one heart,
let's get together and feel alright.
Give thanks and praise to the load,
and i & i will feel alright!