安倍官房長官が「3日午前、TBSなどのテレビ番組で、小泉首相の靖国神社参拝をめぐって首脳会談に応じない中国の姿勢に触れ、『いかにも居丈高な外交だ。問題を解決しなければ会わないという外交を許せば、別の問題でも「やりませんよ」ということになる。私たち自身で解決すべき話であり、そのアプローチはやめてもらいたい』と厳しく批判した」(「『中国の外交居丈高』安倍氏 靖国巡る対応批判」06.6.3『朝日』夕刊)
「応じない」理由として同記事は次のように伝えている。「反日教育をして国民の中にどんどんそういう機運が高まる。そういう中でこの問題について後ろに下がると、政権にとって大変厳しい状況になるかもしれないということなんだろう」
安倍氏のこの指摘は事実に相当することなのだろうか。
昨5年4月下旬の北京の日本大使館、上海の日本総領事館等への一部暴徒化した中国の反日デモの主体は子供の頃から徹底した反日教育を受けてきた20~30代の若者が中心で、彼らの反日感情からの抗議行動を政権批判のガス抜きに利用すると同時に中国政府が日本の歴史認識や安保入り、小泉首相の靖国参拝に如何に中国国民が反対しているかを世界にアピールする狙いがあったが、計算していたのと異なって若者たちの反日感情が統制の効かない状況に陥り、規制した場合の政府批判への方向転換を恐れて放任するに至ったためにデモの暴徒化を許し、被害を拡大させたといった見方が日本ではなされた。
安倍官房長官の言う「この問題について後ろに下がると、政権にとって大変厳しい状況になるかもしれないということなんだろう」は、デモに対する日本の見方から導き出した解釈としてあるものだろう。と言うよりも、見方そのものの何ら変わらない反映と言った方がいいかもしれない。
しかし反日デモに対す国際世論の批判が中国に向けられると、中国は規制に動いたが、〝反日〟が政府批判に方向転換することはなかった。安倍官房長官の表現で言えば、「後ろに下が」ったが、「政権にとって大変厳しい状況になる」ことはなかった。まるで激しい反日デモなどなかったかのように収束してしまった。
その年の10月に小泉首相が靖国参拝を行ったあと、再び同じような激しい反日デモが展開されるのではないかと予測されたが、中国政府が前以て各種規制に動いた結果、予想されたような抗議デモは起きなかったし、規制が政府当局に反政府感情となって向けられることもなかった。
いわば日本の解釈に反して中国政府は子供の頃から徹底した反日教育を施し植えつけてきた20~30代の若者の激しいとされている反日感情をデモ化も政権批判化もさせないだけの十分にコントロールできる統治能力を保持していたということになる。
例え中国が靖国問題で譲歩したとしても、反日感情をコントロールできるだろう。なぜなら中国は既に経済大国化している上に、米日とも経済的のみならず、政治的にも運命共同体の状況にあるのである。日本と違って、その外交にしたたかな戦略性を備えてもいる。日本からのどのような恩恵も、例え相手が恵んでやるといった恩着せがましい態度を取ったとしても、その不快を我慢し、頭を下げ、両手を差し出して頂戴しなければならない状況にはない。譲歩するなら、それなりの見返りを求める。見返りのない譲歩はしないと言うことである。その見返りは国民の反日感情を納得させる内容を備えていなければならないのは言うまでもない。見返りがない以上、譲歩しない。日本に対して譲歩しなければならない弱さなど抱えていないからだ。靖国参拝は日本国内問題だと言うが、だからこそ安倍氏自身も「私たち自身で解決すべき話」だと言っているのだろうが、中国をも戦争相手国とした戦没者を祀った神社であって、日本だけで済む問題ではない。
次期総理・総裁候補人気ナンバーワンの安倍氏の言うことだから、多くの日本人が単純・短絡的、瞬時に信じるだろうが、05年3~4月の最初の反日デモの結末と10月の小泉首相の靖国参拝後の中国の国内状況から、その時点で既に国内の反日感情に対する政府の〝譲歩〟カードが「政権にとって大変厳しい状況になる」危険要素となるといった予測は誤った解釈に過ぎないことを示していたのである。そのことに気づかずに、馬鹿の一つ覚えのように、あるいは一年百日の如くに、多分期待もあるのだろうが、譲歩できない理由を国民の反日感情が政権批判へと転ずる恐れにあるとしている。
まあ、その程度の頭の人間を日本の次の首相に戴こうとしているのだから、ニッポン、バンザイではある。
多くの日本人が中国では学校教育を通して激しい「反日教育」が行われていると言っているが、そのことも事実に相当することなのだろうか。カネがあれば中国まで出かけて調べるヒマをつくるのだが、如何せんカネがないから、インターネット等で事実かどうか確証を得ることにしてみた。
大阪府門真市にある門真高校の生徒が2000年8月5日から9日までの5日間中国を訪問した記録を綴った「中国方正県訪問記」なるHPに遭遇した。方正県に帰った元門真高校の生徒たちと会うための訪問の予定が、せっかくの中国訪問だということで、門真市在住の中国帰国者の計らいを受けて、方正県の中学(高級中学、日本の高校に相当)や小学校を訪問して教師や生徒から話を伺うこととしたその報告である。帰国者は強制送還された中国人の家族であったり、中国残留日本人孤児の家族として日本に帰国しながら、中国に戻った家族の一員を指す。
まず方正県唯一の後期中等教育機関(日本の高校に相当)の「第一中学」での12名の生徒が出席した【生徒との交流】を見てみる。
*生徒たちから出た質問は次のようなものであった。
・日本の学生の勉強の目標は?
・国を作る条件として教育は大切だが、最近の教育改革に
ついて?
・子どもの教育問題について話し合う保護者の集まりはあ
るか?
・日本は地震が多いがその心理的影響はどのようなものが
あるか?
・中国語は複雑であるが、日本ではどのように中国語を勉
強しているのか?
・バスケットやサッカーなどの課外活動もあるので、ぜひ
一緒に試合をしましょう。
・就学援助はあるのか?
・日本の歴史上の有名な人物は誰か?
・日本の有名な大学は?
・保護者は子どもの将来についてどの程度かかわっている
のか?
・中国史の勉強はどこを重視するのか?
・文系と理系について、中国では文系に女性が多いが日本
はどうか?
・日本では中国の地理をどのように教えているか?方正県
は稲作で有名であるが知っているか?
・日本の学生は余暇をどのように過ごしているか?
戦争とか歴史認識に関係する質問も政治的な質問も、日本の首相の靖国神社参拝の正当性に関する質問も、一切ない。学校教育で激しい反日教育が行われていたとしたら、そのことに関係する質問が出てきたとしても不思議ではないにも関わらずである。
このことは彼らの意識が日本で言われている20~30代の中国の若者の反日感情と断絶していると見ることができるが、学校当局がそういった質問を一切禁止し、学校が用意した質問を行ったに過ぎないと見ることもできる。
但し、次のようにも言える。中国の反日分子のメインの活躍場所はインターネットだと言われている。昨年の反日デモでもインターネットで呼びかけ合い、携帯で連絡を取って群衆化したと言われている。そして日本にもインターネット上に激しい反中・反韓の主張を展開している、いわゆる〝ネット右翼〟と称される若者が多く存在する。日本では学校で反中・反韓の教育が行われているわけでなないから、親や友達から、あるいはマンガとかの影響を受けて素地としては持っていたとしても、学校卒業後、ある年齢に達した時点で突然変異のように突如として激しい形で反中・反韓感情が噴き出したとしか思えない。
と言うことは、中国のインターネット上で活躍する反日中国人にしても、学校教育で反日教育が行われていなくても現れた可能性を指摘できる。
門真高校の生徒からの「日本の学校と交流する場合、どのようなことができると思うか」との質問に対する答として、
・文書を通して交流する。
・98年に東北では大きな洪水があったが、その援助など
のボランティアを通して交流する。
・日本人のホームスティ。
・文通活動(英語で)。
・お互いの学校の周辺を写真に撮って送りあう。
日本の中高生にも見られるごく普通の関心を示しているに過ぎない。学校の指示で答えているとは思えない。特に「日本人のホームスティ」の場合は、学校で反日教育を行っていたなら、反日感情を持っているだろうから、日本人の家庭に入ることも自分の家庭に受け入れるということも考えもしないはずである。
次に「日本から帰国した生徒のほとんどは第三中学におり、現在女子6名、男子1名が在籍している」という「第三中学」での【生徒との交流】を見てみる。
*日本から帰国した4名の生徒が出席。
生徒1 1995年5月に渡日、2000年3月に帰国。福島県に居
住後、千葉県に引っ越した。2年生を終わって帰って
きたが、中国では勉強していないことを教えていた。
帰国当初の1ヶ月は先生の家で指導してもらった。初
めは授業が早いのでついていけなかったが、だんだん
慣れてきた。
日本は広い範囲の勉強であるが、中国は深く勉強す
る。機会があれば日本へ留学したい。
生徒2 1996年5月29日に渡日、1999年6月に帰国。東大阪
市のK中学に転入し、その後枚方市に移住した。学齢
より上で入ったので、17歳であったが中国でも中学2
年に入った。日本では妹と日本語で会話をしていたの
で、中国へ帰った頃は中国語がよくわからなかった。
勉強は中国の方が難しいが、友達とは仲良くなった。
留学の機会があれば日本に行ってみたい。
生徒3 1994年6月12日に渡日、1998年9月に帰国。東京に
居住後、埼玉県に引っ越した。小学校は日本で通った
。日本では勉強がつらかった。去年、日本へ遊びに行
ったが日本語を忘れていた。日本にいたときも家では
中国語で話をしていたので、帰国後も半年ぐらいで慣
れた。機会があれば日本へ行きたい。
生徒4 1997年7月に渡日、1999年11月に帰国。山形県に居
住後、千葉県に引っ越した。日本へ行ったとき、日本
語が分からなかったが、みんな優しくしてくれた。家
では中国語で話をしていた。中国へ戻ってからは日本
語を話していない。日本の友達は好きなので、機会が
あれば日本へ行きたい。
日本からの帰国だからと言って差別を受けていないと見て取れる状況は、学校で激しい反日教育が行われているとする解釈に反する状況を示している。このことは門真高校生自身が証明している。
【雑感】
強制送還を含めて、日本から中国方正県に帰った人たちは不利益な扱いを受けている様子はなかった。
第三中学と第二小学校で集まってくれた子どもたちの表情からも、それは感じられなかったし、それぞれの学校の教員と子どもたちの関係も悪くはなかった。学校訪問以外の場所で会った子どもたちからも、中国での扱いについての不満は聞こえてこなかった。
ただ、保護者の人たちの仕事に関して言えば、ほとんど見つからない状態である。方正県は小さな町であるので、就職先はそう多くはないようだ。日本から帰国された方の多くは、日本で働いてためた貯金で暮らしているようである。住居は、マンション(3LDK程度)に住んでいる家族が多い。これも日本で貯めたお金で購入したようで、3LDKのマンションが日本円で120~130万円で購入できる。
高校段階で帰国した子どもたちは方正県で高校に入学することはほぼ不可能であり、高校での教育は中断してしまう。第一中学でお聞きした話では、以前、日本から帰国した高校生が第一中学で「試験的」に勉強してみたが、結局授業についていけず、第一中学での勉強をあきらめたという。
次に作家の村上龍が編集のメールマガジンJMM [Japan Mail Media]のうちの、『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』第44回・「拝啓、ぽんぽこ山のタヌキさん」(ふるまいよしこ:香港在住・フリーランスライター/2005年4月28日発行)から一部抜粋して「反日教育」なるものを見てみる。
「4月8日の夜、つまり北京で日本大使館に向けた2万人のデモが行われる前夜」に「ついでに今度はわたしから尋ねてみた。『中国の教育現場では反日的な教育がなされていると思う?』」
「友人(30代前半)は『教育で「反日」そのものが語られることはない」と言った。『ただ戦時中のことは授業でしっかりと教わった。今の中国の建国はあの戦争と切っても切れない関係にあるから、それを基準にした価値判断というのは、共産党の正統性とともに繰り返し語られるね』ということであった。
そして、アメリカで10年余り暮らした経験を持つ友人はさらに、『ただし、あの戦争で日本と闘ったのはほとんどが国民党軍だったと知ったのは、アメリカに行ってからだけど。毛沢東だって実際にはあの戦争のおかげで生き残れたようなもんだよ。だって、あの戦争がなかったら、絶対に国民党が風上に立ってたんだから』と付け加えた。
日本で語られている『中国の教育現場における反日教育』とは、どこから確固とした事実として伝わるようになったのだろう。今回、歴史教科書問題をきっかけに『日本』を対象に過激なデモが行われたことで、『目には目を』と言わんばかりに町村外相が『中国の教科書を調べる』と言い出したのはいかがなものか。外国の日本に対する国民感情の調査は外務省の各担当部署が当然その仕事の一貫としてやるべきはずであるし、中国に対しても然りだろう。ただ、それをデモがくすぶり、まだ日中政府関係者のみならず、現地関係者が対応に慎重になっている時に、わざわざ外相自らがまるで『売り言葉に買い言葉』で脅しをかけるのもどうかしている。脅し、脅されの先に何があるのか。そこを一国を代表する人間としてわきまえてから発言していただきたいものである」
少ない資料からの判断になるが、こう見てくると日本で言われているような「反日教育」は眉唾に思えてくる。もし実際に日本で言われているような「反日教育」が中国の学校で行われているとしたら、中国政府は将来的には人材育成に損失を招くととなる、偏った主義主張を盲目的に信じるだけの客観的認識能力を欠いた国民を生産し続ける愚を犯していることになる。確かに政治に対する不満は無視しがたく存在するだろう。だが、その不満を〝反日〟に向けることでガス抜きを図っているとするのは中国の政治性を一段低く見る皮相的な観察に過ぎないのではないだろうか。〝反日〟が日本商品不買運動や日本企業排斥へと発展したら、中国社会にとっても政権にとってもメリットはない。首相の靖国参拝や歴史認識が直接的キッカケとなると見る方がより正確な解釈となるのではないだろうか。
06年6月11日の『朝日』朝刊は中国側の日中首脳会談に対する対応に関して次のように伝えている。
「中国の胡錦涛(フー・チンタオ)・国家主席は10日午後、北京の人民大会堂で大使着任に伴う信任状を手渡すために訪れた宮本雄二・中国大使と会見し、『条件が整い、適当な機会に貴国を訪問することを願っている』と述べた」(「日中改善、ポスト小泉に秋波 胡主席『条件整えば訪日』」)
「条件が整い」とは、ことさら説明するまでもなく、日本の次期首相が靖国参拝を行わない姿勢への見極めができたらということだろう。安倍氏の「そういう中でこの問題について後ろに下がると、政権にとって大変厳しい状況になる」云々は中国側は首相が誰になっても、その者が靖国参拝を行わない場合を除いて後ろに下がれない状況にあることを指摘したことになる。
日本側にしても靖国参拝は「心の問題」であり、「日本自身が解決する問題」であり、この問題で中国に譲歩するようなことをしたら、「別の問題でも『やりませんよ』」ということになるから、絶対に譲歩するわけにはいかない。譲歩しないと言うことは、靖国参拝は続行すると言うことだろう。中止するつもりなら、「居丈高」などと言う必要はなくなる。
日本側が首相の靖国参拝を中止しなければ、当然永遠に平行線を辿ることになる。いわば首相の靖国参拝が日中首脳会談=日中関係改善の踏み絵となっている。
安倍官房長官は自分が首相になった場合、自分自身が靖国参拝をする予定でいるから、その場合中国が首脳会談に応じてくれなければ困る立場に立たされる。靖国参拝するまでの猶予期間内に中国の態度を改めさせたいがために強行姿勢を見せたといった側面はないだろうか。それとも中国側の要求からではない中止のための着地点を探っていると言うことだろうか。
そういった中止を行ったとしても、国内の参拝支持派は黙っていないだろう。「この問題について後ろに下がると、政権にとって大変厳しい状況になる」のは日本にとっても同じことだろう。
それにしても「反日教育をして国民の中にどんどんそういう機運が高まる」中国内の反日状況に反して、中国からの留学生が日本では一番多いということはどう説明すればいいのだろうか。反日教育が功を奏して中国人が反日意識に凝り固まっているとしたら、日本に留学生としてこないのが人間の自然な感情だろうからである。
戦前日本人は「鬼畜米英」の合言葉で戦争相手の米英を憎むように仕向けられ、英米人を鬼畜生並みの残忍な生きものだと信じ込まされた。戦争の勝敗に関してはその憎悪は何ら役に立たなかったが、戦後の米英人に対する感情に関してはその成果があって、米英軍が駐留する段になると日本の女たちは彼らに強姦されるとの風評が流れ、それを信じて田舎に引っ越す者も出たと言うから、そのことから判断したら、中国人にしても反日教育の成果として、日本人を激しく憎悪、もしくは嫌悪しているはずであるが、そのことに反する留学人気となっている。
06年5月18日の朝日新聞夕刊は『中国の留学生「熱烈歓迎」』と題して、「07年度にも受験生と募集定員が並ぶ『全入時代』を迎える日本の大学は、競争力の強化と中国からの留学生の確保を急ぐ」として、「大連で17日から2日間、国際協力銀行などが主催する日中の約70大学による交流会が開かれた」、安倍晋三が「反日教育をして国民の中にどんどんそういう機運が高ま」っているとする状況に反したこの友好関係は、どう説明したらいいのだろうか。
安倍氏の言っている「政権にとって大変厳しい状況になるかもしれない」が例え事実を言い当てていたとしても、単なる状況の解説でしかなく、問題解決の糸口の提供とはなっていない。次期首相ポストを狙っているのである、少しは利口になって問題解決に向けた一歩となるような提案を創造すべきではないだろうか。吠えれば片付くという問題ではない。