安倍晋三の靖国参拝論に見る〝事実提示〟

2006-06-24 06:02:17 | Weblog

 自民党の偉大な政治家・安倍晋三は常々こう公言していた。

 「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝すべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」

 これは自分が「次の首相」になった場合は公約となるものであろう。

 最近言わなくなったのは、次期総裁選の争点とされた場合、自分に不利になるという計算があってのことだというから、なかなか巧妙・したたかである。だとしても、安倍晋三が「次の首相」となった場合、公約となる性質上からも、当然「リーダーの責務」を果たすために「靖国神社に参拝すべき」として実行することは、国民の前に信念の政治家を演ずる必要上からも間違いないはずである。靖国参拝の実行如何が安倍晋三が公約を守る政治家かどうかの試金石となって立ちはだかるであろうし、なるかどうかの象徴的行為にもなるだろう。

 我々は〝歴史〟の中に生きている。過去の歴史を受け継ぎ、歴史の現在を生き、そのありようを未来の歴史へと受け渡す。

 当然、そのように生きる〝歴史〟は正確に記録されなければならない。不正確であったら、間違った情報を未来に伝えることになる。

 安倍晋三の「小泉首相の次の首相も」云々が示す事実関係を正確な〝歴史〟として未来に向けて伝えていくためには、実際の歴史(=実際の過去)に即したより普遍性を持った事実の提示に務めなければならない。

 正しい内容に改めよということではない。なぜなら、事実は解釈次第でその正当性を変え得る部分を含むからである。

 より普遍的な事実の提示と言うことなら、こう翻訳されるべきだろう。

 「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝すべきだ。日本という国のためにアメリカ・中国・朝鮮、及びその他のアジアの国々に向けて侵略戦争を戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」と。

 安倍晋三が未来の歴史への受け渡しとなる歴史の現時点での自らがそうあるべきとする姿をこのような事実の提示で示さないのは、彼の事実解釈に於いて日本の戦争を〝侵略戦争〟だとしていないからだろう。事実は自らが正しいとする解釈によって、正しい事実となる。いわば本人の判断次第だが、「アメリカ・中国・朝鮮、及びその他のアジアの国々」と戦った戦争であることの事実は解釈によって変えようがない、あるいは解釈の余地を与えない絶対性を抱えているはずである。

 となれば、少なくとも次のようには改めなければならない。

 「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝すべきだ。日本という国のためにアメリカ・中国・朝鮮、及びその他のアジアの国々と戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」

 それでも〝正しい戦争〟だったと事実解釈するなら、そのことを付け加えて、「国のために正しい戦争を戦った方に」とすべきだろう。

コメント (1)
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