NHKニュース「飲酒運転 1126件を検挙――この一斉取締りは、全国の警察が『飲酒運転取締強化週間』の一環として、先週の木曜日と金曜日の2日間(06.9.14~15)、警察官1万8000人余りの態勢でおよそ3100カ所で行ったものです。その結果、酒酔い運転や酒気帯び運転で検挙された件数はあわせて1126件に上り、このうち27人が逮捕されました。この中には▽松山市で酒を飲んで軽乗用車を運転していた土木作業員がお年寄りをはねて逮捕されたケースや▽愛知県で酒気帯び運転で検挙された建設作業員が2時間後に再び車を運転しているところを検問で見つかり逮捕されたケースなどがありました。警察庁は『世の中の目が厳しい中で、依然としてこれだけの違反があるのは飲酒運転に対する意識の低さがある』として、21日から始まる秋の全国交通安全運動でも飲酒運転の根絶を重点に取締りを進める方針です」
『飲酒運転取締強化週間』は断るまでもなく福岡市東区の一家5人が乗ったRV(レジャー用多目的車)が乗用車に追突され海中に転落・幼児3人が死亡した事故を受けてのものであろう。
一方こういった記事もある。「飲酒運転を厳罰化した改正道交法が施行された昨2002年6月からの1年間で飲酒運転による死亡事故が前年同期より3割減ったことが19日、警察庁のまとめでわかった。人身事故も大幅に減っており、同庁は『厳罰化が効果を上げている。今後も厳しく取り締まりたい』としている。
同庁によると、この1年間の飲酒運転による死亡事故は830件で、前年同期より357件減った。月別でみると、昨年8月だけは3件増えたが、ほかの月は16~45件減った。死者数は894人で、386人減った。人身事故も4月までの集計で月に308~757件減った。また、この1年間の飲酒運転による摘発人数は20万2985人で、前年同期より1万5000人余減った。・・・・」(「法改正:厳罰化から1年、飲酒運転による死亡事故が3割減」『朝日』03.6.19)。
「3割減った」と言っても、「1年間の飲酒運転による死亡事故は830件」もある。それが「前年同期より357件減った」数字だったとしても、飲酒運転事故で死亡させられた被害者の遺族には何の意味もない数字だろう。
「前年同期より1万5000人余減った」ということに関しても、「1年間の飲酒運転による摘発人数は20万2985人」もいる。摘発されない飲酒運転者を含めたらどれくらいの人数になるのだろうか。死亡事故を起こした加害者はすべて摘発されない飲酒運転者である。摘発を免れたがために結果として死亡事故を起こしてしまったとも言える。
ということは、当然のことながらすべての飲酒運転を摘発できないということを証明している。このことはどう法改正を試みたとしても、絶対的事実として今後とも推移する。
実際には法の厳罰化がさして効果を上げていないということではないか。そのためか、2001年11月に刑法を改正して同年12月25日より施行した新設の「危険運転致死傷罪」をさらに2004年に改正して、〝致死〟の場合、それまで1年以上15年以下の懲役だった罰則を20年以下の懲役刑とする厳罰化に踏み切っている。このことは厳罰化の効果がなかったことの証明であろう。効果があったなら、厳罰化する必要は生じないからである。
但し、血中内のアルコール濃度を薄めて「危険運転致死罪」を逃れようと〝ひき逃げ〟が増えたという。酒酔いをなるべく覚ましてから自首する、あるいは逮捕まで待つ。
警察は酒酔い運転だと判明した時点でなぜ現場検証をしないのだろうか。事故現場だけの検証ではなく、飲食店等で飲酒したなら目撃者がいるだろうから、目撃者立会の下、同じ時間で同じ量を飲ませ、クルマに乗ったところで呼気を検査する。例え一人で飲んでいたとしても、自己申告で同じ量を飲ませる。飲ませている過程でウソをついているような様子だったら、事実かどうか追及し、実際に飲んだ量を飲ませて、呼気を計るといったことをすれば、例え轢き逃げでも事故時の血中アルコール濃度を推測できるのではないだろうか。
欧米では飲酒したものが運転席に座ると呼気中のアルコール濃度を検知してエンジンがかからない仕組みのクルマが開発されていて、法律で義務づけている国もあるそうだが、日本でそのようなクルマが開発・普及されたとしてもすべての運転者に行き渡るまでには相当時間がかかるだろう。その間飲酒運転を中止してくれるなら、事故は起こらないのだが。
もっと確かと思われる(あくまでも〝思われる〟)飲酒事故防止の方法がある。厳罰化しても効果がないことの逆の発想である。それは一切の飲酒運転を許可する、解禁と言ってもいい。好きなように飲んで、好きなように車を運転してくださいとする。
飲酒運転解禁といっても、事故を起こすことまで解禁するわけではない。飲酒運転で人1人死亡させることがあったら、確実に死刑と決め、厳密に実行する。死亡させなくても、過度に重い傷害を与えた場合も、被害者の人間としての存在性を重大なまでに傷つけたとして、やはり死刑とすべきだろう。
どの程度までを死刑とするか、それ以下は無期とするか、懲役刑とするか、与えた被害に応じた罰則を事細かに法令化して、被害の規模に従って速やかに処罰する。
つまり、加害者の呼気中のアルコール濃度が問題ではなく、被害者の被害の程度を問題とし、その程度に応じて罰則を加える方法である。これは飲酒運転ではなくても、青信号で横断歩道を渡っている歩行者を信号を無視して突っ込み多数死傷させたといった場合にも当てはめなければならない。
人1人殺したら死刑、重大な障害を与えても死刑ということになったら、飲んでいようといまいと、当たり前の感覚を持っている人間なら下手な運転はできないぞと自覚するのではないだろうか。また飲食店内のイヤでも目につく要所要所に罰則を箇条書きした札を貼っておいて貰えば、飲酒運転して事故を起こしたた場合の自分が置かれれる状況を理解しない者がいるだろうか。効果はないだろうか。
飲酒運転を含めた無謀な運転で死亡させられた被害者の家族に対しては死刑が罰則ということなら、少しは納得のいく気持を持たせることができるという点では効果はあるだろう。