戦後生まれの戦前派というパラドックス
戦後当時は、確かに食糧難の飢えと闘わなければならなかった苦しい時代ではあったが、戦争から解放された時代として〝戦後〟という言葉はある種の輝きを持って語られたはずである。自由のなかった暗い苦しい戦前に対する自由と平等を保障する新生民主主義国家日本の出発点であり、その歩みを刻む道のりが戦後であった。
多くの日本人が例え微かにではあっても、〝希望〟という期待を塗り込めていた時代であったはずである。しかし戦後はもはや色褪せてしまった。
2006年9月20日、自由民主党に新総裁が選出された。初の戦後生まれだという。しかし新総裁は確かに時間的には戦後生まれだが、戦前の日本を自らの精神的バックボーンとした政治姿勢の持ち主である。多くの日本人が戦後を基点として未来に目を向けていた時代に生まれながら、自らの精神的基盤を戦前に置く、当時の日本人とは倒錯的な位置に姿している。A級戦犯を擁護し、侵略ではなく、自衛自存の戦争と規定すべく歴史を塗り替えたい欲求を抱え、日本の歴史・伝統・文化を絶対としたい国家主義の衝動を疼かせた戦後生まれとは、どのようなパラドックスを意味するのだろうか。
国家の基幹を規定する憲法と教育基本法を改正して国家主義をそれとなく植え込み、愛国心を基盤に日本を戦前の日本へと〝再チャレンジ〟させようとしているのだろうか。