――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
《民主党に夏の参院選挙で勝利させて、衆・参両院とも過半数のチャンスを与え、民主党政治を存分に発揮できる活躍の場を提供してみてはどうだろうか――
民主党は民主党政治を存分に発揮できる衆・参両院の過半数を求めて、国民に夏の参院選での勝利を訴えるべきではないだろうか――》
自民党は1989年の参院選で社会党に大敗、プラス連合の会を向こうにまわして参議員過半数割れ、それ以後、自民党分裂を受けた1993年の第40回総選挙でも過半数割れ、9カ月足らず野党に転落の歴史を抱えているが、2007年7月の参院選で民主党に敗れるまで戦後ほぼ一貫して、衆・参とも過半数を維持、自民党政治を恣(ほしいまま)とするチャンスを独占してきた。
次は民主党にも衆・参過半数のチャンスを与えて、衆・参過半数下の民主党政治がどう展開されるか、じっくりと眺めてみるのもアリではないだろうか。 1月21日に衆議院予算委員会がスタートした。国民新党の下地幹郎議員が北沢防衛大臣と岡田外務大臣にハイチ地震の対応について質問している。
下地議員「あのー、1月の13日に、ハイチで発生した大地震について、我が国の対応について、お聞かせを頂きたいと思いますけど。岡田外務大臣の方でも、早々に援助金を決めたり、昨日は防衛省の方でも、緊急援助隊を決めたり、オー、100名規模、医官を中心にして、支援すると、いうようなことをお決めになったようでありますけども、防衛省について、今日も、あのー、朝のニュースを見ますと、また、震度6の地震があったと、いうことでありますから、継続的に支援をしていかなければ、なかなか経済的に厳しいところなんで、難しいんではないかと思いますけど、ま、今回もおやりになりましたけど、今後どうするつもりなのか、北沢大臣に一つ、ご答弁お願いいたします」
北沢防衛大臣「お答えいたします。あの、ご案内のように13日の大地震がありまして、エー、翌日、外務省、JICA、防衛省と、あのー、それぞれ2名ずつの、オー、調査隊員を派遣いたしました。たまたま、アー、防衛省のC130が、アー、米国本土で訓練をいたしておりまして、あのー、帰国寸前でありましたんで、ええー、タイミングよく、ウー、この、ウー、帰国を中止させて、エー、マイアミへ、エー、回送させて、エー、そしてたまたまそこで、エー、援助物資を、あのー、経由させてあります、タイミングよく。ウー、そこから、アー、輸送させていただきました。
また、アー、外務大臣から、米国の、あの、オー、から、米国人の避難民と、その、運んだ飛行機がカラで帰るんでは、なくて、エー、米国へ送って欲しいと、こういうことで、調整をいたしまして、エー、34名を、オー、米国本土へ、あの、送ったと、こういうことをいたしまして。
まあ、あのオ、そののち、マイアミから、あのー、ハイチ間へ25名の第一隊を、あの、差し向けまして、既にご案内のとおり、医療活動をいたしております。そして今、お話がありましたように、昨日防衛会議を防衛省で行いまして、エー、ほぼ100名のオー、部隊を、オー、小牧を、オー、離陸して、成田から出発すると、いうことでありまして、ご質問のさらなる事態については、アー、先遣隊が行っておりますんで、あの、情勢報告を聞きながら、あの、対応をしていきたいと、このように思っております」
答弁書か何か用紙を手に持って見ながらのこの流暢な発言だが、日本政府の迅速なハイチ対応に即した迅速テキパキとした答弁は管轄大臣の一人として流石である。
下地「外務大臣も何かありますか?」
岡田外務大臣「今回のハイチの、地震ですけれども、色々ご意見も頂いております。ウー、もっと早くできなかったかとー、ォ、調査隊を出す、のではなくて、最初から緊急支援隊を送るべきではなかったかと。こういうご意見もございます。その辺りについて、十分ー、これから検証しなければならないと、いうふうに思いますが、ただ一つ申し上げておきたいことは、ま、ハイチの現状であります。つまりPKO部隊が大量に派遣をされて、そして、エ、平和維持活動を行っているという、そういう状況にある。ま、そこに、日本のですね、緊急支援隊を送り出す。エー、ご存知のように緊急支援隊、閣議決定によって武器の帯行(たいこう)、あの、スイコウ(携行の間違いか)は認めないと、おりません(「認めておりません」と言いたかったのだろう)。
エー、丸腰の緊急支援隊を出すときに、いきなり送って、エー、大丈夫かと、当然そういうご心配は、アー、あると、いうふうに思います。従って、ま、最初、調査隊を出しまして状況をよく把握した上で、出させていただいたと、そういうことでございます。
ま、この辺りについて、え、ほかに、イー遣り方がなかったのかと、いうことについて、よく検証する必要があると思いますが、しかし、緊急支援隊の安全ということも同時に、考えなければいけない。これ閣議決定されていることですし、付帯決議もあることですから、あー、そういうことも含みながらですね、エー、今回のことを、まあ、一つ、ウー、よく検証してみたいと考えているところであります。
政府としては、アー、でき得る限り迅速に送らせていただいたと、いうふうに考えているところでございます」
下地「まあ、ニーズをね、よく見極めて、相手の国が何を必要としているのか、いうことをよく見つめて、頑張っていただきたい。まあ、あの、エー、早いか遅いかよりも、効果が出るようなことをですね、きちっとやってもらいたいというふうに思いますね。(鳩山首相への政府予算の特長を問う質問に移る。)」――(以上)――
下地議員の「早いか遅いかよりも、効果が出るようなことをですね、きちっとやってもらいたいというふうに思いますね」は同じ与党の立場から政府の対応の遅れを擁護し、免罪符を与えようとする意図を持たせた発言であろう。
擁護し、免罪符を与える代償に大災害発生の際の医療や行方不明者の捜索を通した人命救助に関わる「時間との戦い」という大事な認識を犠牲にし、自らを非情な人間に貶めることとなった。
阪神大震災では県知事の自衛隊出動要請が遅れ、自衛隊も偵察飛行機を飛ばして被害の甚大さを把握し、部隊に出動命令を出していながら、規則に杓子定規に従って県知事の出動要請がくるのを待ち続けて人命救助に遅滞を来たした。その結果、救える命の多くを失うことになったはずだ。
災害発生の初期に於いては、「早いか遅いか」が何よりも重要な人命救助要素となり得ることを特に国民の生命を預かる国会議員が誰よりも自らの認識としなければならないはずだが、それを捨てて、「早いか遅いかよりも、効果が出るようなことを」と相反する結果となる矛盾したことを平気で口にしている。
また、「相手の国が何を必要としているのか、いうことをよく見つめて」と言っているが、「よく見つめ」なくても、災害発生時に初期的には何を必要としているのかのパターンは大体決まっていて、人命救助、医療支援、食料や水の確保等々を既定事実としていると前のブログで書いた。
岡田大臣は、ハイチは平和活動のPKO部隊が派遣されている危険地帯だから、武器の携行を許されていない医療チームを丸腰で出すわけにいかないから、最初に調査隊を出した、最初から医療チームを派遣しなかった決定は間違いではなかったと言っている。
これは図々しい詭弁というものだろう。
では、医療チーム派遣に先立って派遣した緊急調査隊は武器を携行しての派遣だったのだろうか。どの記事にも武器を携行しての調査だと書いてはいないし、調査チームの四宮信隆団長がテント村を視察し、その様子をビデオカメラに収めたというNHKの動画にも武器携行の様子は見えないし、他国PKO部隊員の護衛を受けて調査している様子も窺うことができなかった。
調査チームが武器を携行した派遣でないなら、医療チームの武器を携行しない派遣にしても、ハイチの活動条件は同じとなる。生まれて初めて飛行機に乗って、それが墜落して死亡してしまう人間もいれば、何十回となく乗って、一度も墜落しない人間もいるように、長期滞在と短期滞在の違いの危険は判定困難ということからすると、医療チームの丸腰だけが危険で、調査チームの丸腰は危険でないとすることはできないはずだ。それをさも医療チームの丸腰のみを危険だとしている。詭弁でなくて、何と言ったらいいのだろうか。
大体が調査チームの派遣が日本時間の1月13日午前7時前マグニチュード7.0の地震発生と同時に準備、準備が出来次第の出発なら迅速な対応と言えるが、地震発生から1日半以上経過した14日夜の成田発となっている。
医療チームはさらに2日遅れて、1月16日夜9時の成田出発。
もしも最初に調査チームを派遣して、安全に医療活動できるかどうかを調査してから医療チームを派遣することを予定していて、そういった趣旨の調査チームの先遣であったなら、政府が緊急調査チームの派遣の発表を行った1月14日の時点でそういた予定を説明すべきだったろう。
何も説明しなかったことは、武器携行不可の医療チームを危険なハイチに丸腰で派遣することはできない云々は詭弁となる後付の弁解に過ぎないことの証明となる。
岡田外務大臣は緊急調査チームが首都ポルトープランスで被災状況の調査開始した1月16日より1日前の、何も調査に着手していないはずの1月15日に国際援助隊医療チームの派遣を発表しているが、1月15日の国際援助隊医療チーム派遣発表時に記者の、「アメリカやフランスや中国から較べると、若干遅れたかなと思いますが?」の質問に答えて、「現地はかなり混乱している。具体的ニーズは何処にあるかという事を踏まえて出すというのは必ずしも間違った対応ではない」と十分な事前調査の必要性を説いていたことと矛盾する医療チーム派遣の発表となっていたのではないだろうか。いわば調査チームがハイチの安全確認調査を行わないうちに医療チーム派遣の発表を行っている。
勿論、調査チームから安全確認の報告を受けた場合、直ちに出発できるように派遣の発表を前倒しする例はあるだろうが、何の説明もなかったのだから、発表は調査結果に左右される内容ではなく、決定を前提としていたことになる。いわば調査内容に関係なく、医療チームの派遣は決定されていた。
調査チームのハイチでの調査は何のためだったのだろうか。緊急調査チームが首都ポルトープランスで被災状況の調査を開始したのは1月16日。同じ1月16日午後9時頃に国際緊急援助隊・医療チームは成田を出発している。
医療チーム派遣が前倒しの発表だったとしても、医療チームが日本を発つまでに調査チームが調査に丸々1日かける時間はなかったはずで、このことも岡田大臣の十分な事前調査の必要性に反する。
十分な事前調査を待ってからの医療チームの派遣では他国の医療チームや救援チームが地震発生から早い時間に既に活動している手前もあり、遅い印象を与えるといった理由で、調査を待たずに日本を出発させ、丸腰だからとハイチの安全な場所で待機させるという手もある。なるべく近場に待機させて、報告があり次第活動させれば、日本で待機して出発するよりは実際の活動までの時間が短縮できる。
毎日jp記事が、〈機能が低下している首都ポルトープランスの国際空港を米国管理下で運用することでハイチ政府と合意〉したと伝えているのは「2010年1月16日 19時53分」、現地時間に直して16日午前6時前後には既に米国管理下にあったことになる。
医療チームがハイチ首都ポルトープランスの空港に到着したのは1月18日午前3時(現地時間17日午後1時過ぎ)だから、空港は安全が保障される。
だが、そういう方法を採用するなら、医療チームは調査チームが出立した1月14日夜に調査チームと共に成田を発ち、調査チームが行ったと同じ1月15日午後ハイチ隣国ドミニカ共和国首都サントドミンゴ到着を共に行い、そこを調査チームの安全確認の調査が完了するまでの医療チームの近場の待機場所としてもよかったはずだ。
だとしても、調査チームの医療チームと同じ条件下にある丸腰の問題が解決するわけではない。そもそもからして岡田外相の国会答弁が詭弁だから、解決しないことになる。
医療チームの安全は他国PKO部隊に依頼してもよかったはずなのだから、丸腰論は通用しない。依頼を断られた時点で、丸腰論は通用する。だが、そういった手続きを取った様子はない。
時事ドットコム記事――(《重傷者の処置に追われる=日本の医療チーム-ハイチ大地震》が、現地時間か日本時間なのか書いていないが、レオガンでの医療チームの治療開始を「18日から」と伝え、〈前日に現地入りした際、医療チームを出迎えた避難所の人たちの笑顔と歓声とは打って変わり、この日、テント張りの診療所からは絶え間なく処置の痛みに耐える患者の悲鳴が響いた。〉(2010/01/19-11:55)と書いているから、兎に角現地入りから治療開始まで1日経過していたことになる。
記事は治療開始18日の医療チーム二石昌人団長の言葉を伝えている。
「負傷者が多いが、(治療を)引き継いでくれる地元の病院が機能していない。(日本の)長期的な関与が必要だ。・・・・自衛隊には物資調達や災害地で活動するノウハウがあり、数カ月にわたり安定した医療支援ができる」
そして記事は。〈この考えは同日、医療チームの診療所を訪れた防衛省の調査団に伝えられた。〉と書いている。
この調査団というのは1月18日に防衛省が現地や周辺国のドミニカ共和国、米国に派遣した自衛隊員12人の調査チームのことを指すのだろう。
そして約2日後の1月20日午後、北沢防衛大臣が100名の医官・看護師からなる自衛隊医療部隊の派遣命令を出した。
この派遣命令は北沢防衛相が先に書いた国会答弁で流暢に、「昨日(20日のこと)防衛会議を防衛省で行いまして、エー、ほぼ100名のオー、部隊を、オー、小牧を、オー、離陸して、成田から出発すると、いうことでありまして」と言っているから、医療チーム二石昌人団長が医療チームの診療所を訪れた防衛省の調査団に18日に伝えたという、いわば自衛隊医療チーム派遣要請を受けた措置であろう。
1月18日の当ブログ《ハイチ地震、緊急調査チームを送ったのは日本だけではないのか》に、〈緊急調査チームの調査と医療チームなり、救助チームなりが派遣された現場の状況と違いがあったなら、緊急調査チームの調査は形式で終わる。実際の状況を知るのはそれぞれの現場に派遣されてその現場の状況に直面した者たちであろう。
そういうことなら、既に訓練を受け、災害現場を踏んで各種情報・知識を身体に叩き込んでいるはずである。先ず災害現場に飛び込んで、直面した現場の状況に応じてどうしたらいいか、どうすべきか自身の知識情報と経験と技術を駆使・応用させながら事に当たると同時に仲間とも議論して、その現場にふさわしい行動のルールを自らも学び、相互に助け合って組み立てていく臨機応変の応用力さえあれば、災害現場が異なっても、格好はついていくものではないだろうか。
なぜそういった直接行動が取れないのだろうか。〉と書いたが、調査チームの調査によってではなく、現場に派遣されてその現場の状況に直面した医療チームが実際の状況を知って得た情報からの自衛隊派遣要請に日本政府が跡付けに従ったことになる。
地震発生1月13日午前7時前から約9日前後経過したのちの初めての満足しうる人員と医療設備を伴ったまともな緊急医療チームの派遣となった。
しかし先遣の医療チームにしても地震発生から約5日遅れの現地入りで、政府の対応の遅れが救い得た命の多くを救い得ない場所に追いやったことは間違いない。