――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
鳩山総理大臣所信表明演説(1)
各項目ごとに纏めてみた。「 一 はじめに」で、
「いのちを、守りたい。
いのちを守りたいと、願うのです。
生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。」と言い、続けて――
「働くいのちを守りたい」をテーマとして、雇用の確保と求職活動中の失業者が「いついかなるときでも人間を孤立させない、人との接点を失わさない、共同体の一員として活動していける社会、経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持つ、そんな居場所と出番のある新しい共同体のあり方」を提起している。
次に「世界のいのちを守りたい」をテーマとして、「生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います」という言い回しで、核廃絶の未来を提起している。
さらに国際社会の責任として、「世界中の子どもたちが飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会」、「誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らし」の保障の提起。
「今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークのアジア、そして世界全体」への構築の提起。
このような思いがハイチ地震発生と同時の即座な医療支援チームの派遣となったのだろう。
次に「地球のいのちを守りたい」をテーマとして、人間活動に於ける「現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で」、この地球が資源の浪費、地球環境の破壊、生態系の激変、生物種の多くの絶滅等によって、「確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる『残り時間』を短くしている」。「今を生きる私たちの未来への責任として」、「私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した『人間圏』はいかにあるべきか、具体策を講じていく」と提起している。
「このような思いから、平成22年度予算を『いのちを守る予算」と名付け、これを日本の新しいあり方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたい」と提起している。
次に「二 目指すべき日本のあり方」に移る。
昨年末、インドを訪問して訪れたマハトマ・ガンジー師の慰霊碑に80数年前に刻まれたという「七つの社会的大罪」、「理念なき政治」、「労働なき富」、「良心なき快楽」、「人格なき教育」、「道徳なき商業」、「人間性なき科学」、「犠牲なき宗教」を取り上げる。
「今の日本と世界が抱える諸問題を、鋭く言い当てているのではないでしょうか」と言い、「二十世紀の物質的な豊かさを支えてきた経済が、本当の意味で人を豊かにし、幸せをもたらしてきたのか」と言って、本人も資本主義社会を維持しつつ、行き過ぎた「道徳なき商業」、「労働なき富」を、どのように制御していくべきなのかと提起しているのだから、「七つの社会的大罪」の克服こそが「本当の意味で人を豊かにし、幸せをもたらし」、「いのちを守る」人間社会をつくる契機として、そういった国の形を取って日本は歩んでいくべきだと提起しているのだろう。
次に「人間のための経済」を提起している。
こう言っている。「経済のグローバル化や情報通信の高度化とともに、私たちの生活は日々便利になり、物質的には驚くほど豊かになりました。一方、一昨年の金融危機で直面したように、私たちが自らつくり出した経済システムを制御できない事態が発生しています」――
だが、物質的豊かさが恩恵として世界のすべての人間にもたらされているわけではないこと、そのことの影響から、周囲の物質的な豊かさに反して逆にそれを手に入れることができないために物質的な豊かさへの欲求から基本の生活が苦しめられている人間の存在、いわば貧富の格差が存在することをここで取り上げるべきを、取り上げていない。
但し、言っていることは素晴らしい。「経済のしもべとして人間が存在するのではなく、人間の幸福を実現するための経済をつくり上げるのがこの内閣の使命です」云々。
そして続けて言う。「かつて、日本の企業風土には、社会への貢献を重視する伝統が色濃くありました。働く人々、得意先や取引先、地域との長期的な信頼関係に支えられ、百年以上の歴史を誇る『長寿企業』が約2万社を数えるのは、日本の企業が社会の中の『共同体』として確固たる地位を占めてきたことの証しです。今こそ、国際競争を生き抜きつつも、社会的存在として地域社会にも貢献する日本型企業モデルを提案していかなければなりません。ガンジー師の言葉を借りれば、『商業の道徳』を育み、『労働をともなう富』を取り戻すための挑戦です」――
客観的認識能力を欠いたたわいもないことを言っている。「かつて、日本の企業風土には、社会への貢献を重視する伝統が色濃くありました」は日本に一度も飢餓も餓死も貧困も経済格差も存在しないと言っていることと同じである。江戸時代に引き続いて、明治、大正、昭和、戦後昭和初期にも貧しい地方では娘を身売りに出し、生まれてくる子どもを飯を食わせることができないからと間引きする風習を残していた。地方が貧しかったからこそ、大人の出稼ぎ、金の卵と称する集団就職列車が成り立つこととなった。
基本の客観的認識能力を欠いていたなら、言っていることの素晴らしさは単なる言葉の素晴らしさで終わる。間違った認識の上には間違った問題解決の道しか見い出すことができないからだ。
大体が「かつて、日本の企業風土には、社会への貢献を重視する伝統が色濃くありました」なら、ガンジーの「七つの社会的大罪」を取り上げる必要はない。取り上げたこと自体が日本の企業風土に対する侮辱に相当する矛盾行為となる。
企業利益を優先し、ときには結果的に社会貢献しただけのことだろう。
次に 「『新しい公共』によって支えられる日本」を提起している。
「人の幸福や地域の豊かさは、企業による社会的な貢献や政治の力だけで実現できるものではありません」と、市民同士やNPOが共に力を携え、「教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決」していく「新しい公共」としての「自立と共生を基本とする人間らしい社会」の構築を提起し、そのことによって「肥大化した『官』」のスリム化を提起している。
そして、「一昨日、『新しい公共』円卓会議の初会合を開催」したこと、「これまで『官』が独占してきた領域を『公(おおやけ)』に開き、『新しい公共』の担い手を拡大する社会制度のあり方について、5月を目途に具体的な提案」を纏めること、この活動支援を目的として「寄付税制の拡充」を適している。
市民同士やNPO等が担う「新しい公共」もいいいが、企業の経済活動、政治の影響の大枠から出るものではない。景気の低迷が企業の社会活動や寄付行為を抑える要因となり、景気の低迷による企業の減益が政府税収に影響し、国民生活の行方の大部分を決定することになるからだ。
次のテーマは「文化立国としての日本」
「日本を世界に誇る文化の国にしていきたい」と提案している。「ここで言う文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのではなく、国民の生活・行動様式や経済のあり方、さらには価値観を含む概念」だと。
「厳しい環境・エネルギー・食料制約、人類史上例のない少子高齢化などの問題に直面する中で、様々な文化の架け橋として、また、唯一の被爆国として、さらには、伝統文化と現代文明の融和を最も進めている国のひとつとして、日本は、世界に対して、この困難な課題が山積する時代に適合した、独自の生活・行動様式や経済制度を提示していくべきだと」提起している。
「多くの国の人々が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいと憧れる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化を育んでいきたいのです」――
「伝統文化と現代文明の融和を最も進めている国のひとつ」だと言っているが、本質的な生活の精神は利害・利益を基本としているのだから、例え「融和」されていたとしても、利害・利益の色彩を纏った「融和」ににとどまっているはずだ。だから、各種社会の矛盾を引きずることになる。
次に「人材と知恵で世界に貢献する日本」
「新しい未来を切り拓くとき、基本となるのは、人を育てる教育であり、人間の可能性を創造する科学です」――
「文化の国、人間のための経済にとって必要なのは、単に数字で評価される『人格なき教育』や、結果的に人類の生存を脅かすような『人間性なき科学』」ではなく、「一人ひとりが地域という共同体、日本という国家、地球という生命体の一員として、より大きなものに貢献する、そんな『人格』を養う教育」と「『人間性』ある科学」の提起を行っている。
「科学もまた、人間の叡智を結集し、人類の生存にかかわる深刻な問題の解決や、人間のための経済に大きく貢献する、そんな『人間性』ある科学でなければなりません。疾病、環境・エネルギー、食料、水といった分野では、かつての産業革命にも匹敵する、しかし全く位相の異なる革新的な技術が必要です。その母となるのが科学です」
このように「社会全体として教育と科学に大きな資源を振り向けて」いくことが「私が申し上げ続けてきた『コンクリートから人へ』という言葉の意味するところ」だと言っている。
「三 のいのちを守るために」
「公共事業予算を18・3パーセント削減すると同時に、社会保障費は9・8パーセント増、文教科学費は5・2パーセント増と大きくメリハリをつけた予算編成」を行って、「来年度予算を『いのちを守る予算』に転換」した。これが「国民の皆さまが選択された政権交代の成果です」と言っている。
次にテーマとして「子どものいのちを守る」政策を提起している。「子ども手当」の創設、「すべての意志ある若者が教育を受けられる」ための高校の実質無償化。さらに「子ども・子育てビジョン」に基づいた「待機児童の解消」、「幼保一体化による保育サービスの充実」、「放課後児童対策の拡充」等を推し進めて、「子どもの成長を担うご家族の負担を、社会全体で分かち合う環境づくり」を提起している。
「いのちを守る医療と年金の再生」
社会保障費の抑制や地域の医療現場の軽視によって崩壊寸前となっている「国民医療」 の建て直しの提起。「健康な暮らしを支える医療へと再生」することの提起。「医師養成数」の増加、10年ぶりの「診療報酬プラス改定」、「救急・産科・小児科などの充実」、「重い肝炎治療」に対する助成対象の拡大と自己負担限度額引き下げのの提起。「健康寿命を伸ばすとの観点から、統合医療の積極的な推進」の提起。年金記録問題を「国家プロジェクト」ととして取り組む提案。
すべては財政再建及び財政健全化と両輪で推し進めなければならない。財政再建を進め、健全化することができなければ、国民負担のみの方向に進むこととなって、差引きマイナスとなった場合、絵に描いた餅で終わる。
次は「働くいのちを守り、人間を孤立させない」がテーマ――
働く人々のいのちを守り、人間を孤立させないための雇用確保の提起。雇用調整助成金支給要件の大幅緩和、非正規雇用のセーフティネットの強化、雇用保険の対象の抜本的拡充、「労働をコストや効率で、あるいは生産過程の歯車としか捉えず、日本の高い技術力の伝承をも損ないかねない」「登録型派遣や製造業への派遣を原則禁止」とする抜本的見直し。「生活費支援を含む恒久的な求職者支援制度」の平成23度の創設。
「若者、女性、高齢者、チャレンジドの方々など、すべての人が、孤立することなく、能力を活かし、生きがいや誇りを持って社会に参加できる環境を整えるため、就業の実態を丁寧に把握し、妨げとなっている制度や慣行の是正」への取り組み。「社会のあらゆる面で男女共同参画を推進し、チャレンジドの方々が、共同体の一員として生き生きと暮らせるよう、障害者自立支援法の廃止や障害者権利条約の批准などに向けた、改革の基本方針」の策定の提起。さらに自殺対策の強化、「消防と医療の連携」による救急救命体制の充実、「犯罪が起こりにくい社会つくり」、「犯罪捜査の高度化」といった具合に盛りだくさん提起している。
「四 危機を好機に--フロンティアを切り拓く--」として、「いのちのための成長を担う新産業の創造」を提起している。
「人間は、成人して身体の成長が止まっても、様々な苦難や逆境を乗り越えながら、人格的に成長を遂げていきます。私たちが目指す新たな『成長』も、日本経済の質的脱皮による、人間のための、いのちのための成長でなくてはなりません。この成長を誘発する原動力が、環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野における『危機』なのです」と「環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野」の成長を具体的な提起目標に掲げている。
「温室効果ガスの1990年比2020年25パーセント削減」を「日本の経済の体質を変え、新しい需要を生み出すチャンス」だと提起し、「日本の誇る世界最高水準の環境技術を最大限に活用した『グリーン・イノベーション』」の推進と「『チャレンジ25』によって、低炭素型社会の実現」を提起している。
さらに「医療・介護・健康産業の質的充実」による「いのちを守る社会」の構築と同時に「新たな雇用の創造」、「医療・介護技術の研究開発や事業創造を『ライフ・イノベーション』として促進」した「健康長寿社会の実現」を提起している。
次に「成長のフロンティアとしてのアジア」をテーマとして、アジアを据えた政策を提起している。
「日本と共通の深刻な課題を抱えるアジア諸国と、日本の知識や経験を共有し、ともに成長することを目指」すと提起している。
「アジアを単なる製品の輸出先と捉えるのではありません。環境を守り、安全を担保しつつ、高度な技術やサービスをパッケージにした新たなシステム、例えば、スマートグリッド(人工知能や通信機能を搭載した計測機器等を設置して電力需給を自動的に調整する機能を持たせる事により、電力供給を人の手を介さず最適化できるようにした電力網)や大量輸送、高度情報通信システムを共有し、地域全体で繁栄を分かち合います。それが、この地域に新たな需要を創出し、自律的な経済成長に貢献する」ことの提起を行っている。
だが、アジアの国々が日本取り残して経済成長を続けている以上、アジアの経済が吐き出すカネを頼りにするということであって、そのカネを日本自身に引き寄せよて潤うということであろう。また、例え日本の技術を必要としたとしても、アジアの経済が吐き出すカネを頼りにする以上、アジア主導の日本の成長となる。戦後から現在までの日本対アジアの関係が逆転したことによって生じた日本主導からアジア主導への変化であろう。
次に「経済成長のみならず、幅広い文化交流や友好関係の土台を築く」ことを目標とした「訪日外国人を2020年までに2500万人、3000万人まで増やすことを目標」とした「総合的な観光政推進」の提起。
次に「地域経済を成長の源に」をテーマとしての提起を掲げている。
11年ぶりの「地方交付税1・1兆円増」、「地域経済の活性化や雇用機会の創出などを目的とした2兆円規模の景気対策枠」の新設を掲げている。
さらに「地域における成長のフロンティア(最前線、新天地)拡大に向けた支援」として、「農林水産業を、生産から加工、流通まで一体的に捉え、新たな価値を創出する『六次産業化』」の推進、「戸別所得補償制度による農業の再生」、「世界に冠たる日本の食文化と高度な農林水産技術を組み合わせ、森林や農山漁村の魅力を活かした新たな観光資源・産業資源」の創出、「食料自給率の50パーセントまでの引上げ」の推進等々の提起。
「中小企業憲章」の策定による意欲ある中小企業が日本経済の成長を支える展望を切り拓く政策の提起。
「高速道路の無料化」の社会実験を経た上での段階的実施、日本郵政の「持株会社・四分社化体制の経営形態」の再編と「郵政事業の抜本的な見直し」の提起。
次に「地域主権の確立」をテーマとした提起。
「地域のことは、その地域に住む住民が責任をもって決める」、単なる制度の改革で終わらない「地域主権の実現」の提起についてこう言っている。
「今日の中央集権的な体質は、明治の富国強兵の国是のもとに導入され、戦時体制の中で盤石に強化され、戦後の復興と高度成長期において因習化されたものです。地域主権の実現は、この中央政府と関連公的法人のピラミッド体系を、自律的でフラットな地域主権型の構造に変革する、国のかたちの一大改革であり、鳩山内閣の改革の一丁目一番地です」――
「中央集権的な体質」は「明治の富国強兵の国是」から始まった因習ではなく、日本人が民族性としている権威主義性からきている因習であろう。江戸時代も幕藩体制と言いながら、藩制度は幕府を中央に据えて下に位置した、幕府制度が担った中央集権体制の引き写しに過ぎなかった。いわば幕府を頂点に据えた中央集権体制であると同時に地方に於いても各藩を頂点に据えた中央集権体制を採っていた。明治となって、それを引き継ぎつつ、天皇という一つの存在を頂点とするための天皇制の確立と歩調を合わせて各地方の中央集権体制を弱めて、天皇をバックとして日本政府を絶対的中央とした中央集権体制を確立していったに過ぎない。民族性としている権威主義性からきている因習であるからこそ、戦後も引き継ぐこととなった。
基本の認識を誤ると、目指すべき結果さえ誤る。日本人は組織を以って行動するとき、権威主義の行動性に災いされて上下関係、縦割りをつくりたがるからだ。「地域主権」が県を頂点として市町村を下に従えた中央集権体制として引き継ぐことにならない保証はない。
「地方に対する不必要な義務付けや枠付けを、地方分権改革推進計画に沿って一切廃止する」こと、「道路や河川等の維持管理費に係る直轄事業負担金制度」」の廃止、「国と地方の関係を上下関係ではなく対等なものとするため、国と地方との協議の場を新たな法律によって設置」すること、「ひも付き補助金の一括交付金化」、「出先機関の抜本的な改革」等々を目標とした「地域主権戦略大綱」策定の提起。
さらに「緑の分権改革」の推進、「情報通信技術の徹底的な利活用による「コンクリートの道」から「光の道」への発想転換」の提起、「地域の絆の再生や成長の基盤づくり」の取り組みへの提起。そしてこれらを以って「本年を地域主権革命元年」とすると提起している。
鳩山総理大臣所信表明演説に続く
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
鳩山総理大臣所信表明演説(2)
次のテーマとして「責任ある経済財政運営」の提起――
先ず最初に「日本経済を確かな回復軌道に乗せる」、そのために「当初予算としては過去最大規模となる平成22年度予算を編成」したことを謳っている。
その上で政治が果たすべき重要な責任として「財政の規律」を取り上げている。「新規国債発行額約44兆円以下」に抑えたこと、「事業仕分けと公益法人の基金返納等により政権政策を実行するために必要な約三兆円の財源を確保」できたこと、「将来を見据え、本年前半には、複数年度を視野に入れた中期財政フレームを策定するとともに、中長期的な財政規律のあり方を含む財政運営戦略を策定し、財政健全化に向けた長く大きな道筋」を提起、これらを以って「財政の規律」に向けた取り組みだとしている。
次は「五 題解決に向けた責任ある政治」がテーマ。
従来型の「旧態依然たる分配型の政治を行う限り、ガンジー師のいう『理念なき政治』」を引きずることになる。それを打破するのは「『責任ある政治』を実践」だと提起している。
そのための政策として先ず第一に「『戦後行政の大掃除』の本格実施」を提起している。
事業仕分けによって。官僚たちの「上から目線の発想で、つい身内をかばいがちだった従来型の予算編成を、国民の主体的参加と監視のもとで抜本的に変更できた」ことは「ひとえに政権交代のたまものです」と自画自賛。
予算編成は最終結果ではない。配分した予算という名のカネを如何に有効活用して、如何に国民生活に恩恵をもたらすかを最終結果としなければならないはずである。現在家を造り替えている段階に過ぎない。中で生活する国民の生活がそれによって向上するか否かが問題となる。
それを抜きに家の造り替えについて述べる。
「『戦後行政の大掃除』は、しかし、まだ始まったばかりです」と前置きして、「『中抜き』の構造で無駄遣いの温床となってい」る疑いの濃い「独立行政法人や公益法人」の改革、「監視が行き届かないまま垂れ流されてきた特別会計の整理統合」と特別会計に対する事業仕分け、「行政刷新会議の法定化」等を提起、「より強固な権限と組織によって改革を断行」するとしている。
次に行政組織や国家公務員のあり方を見直す「政治主導による行政体制の見直し」をテーマに据えている。
「省庁の縦割りの排除」、「国家的な視点から予算や税制の骨格などを編成する国家戦略局の設置」、「幹部人事の内閣一元管理を実現するための内閣人事局の設置」、「官邸主導による適材適所の人材登用」、こうした改革を断行するための「関連法案の今国会への提出」、「国民の視点に立った府省編成」、「『裏下り』と揶揄される事実上の天下りあっせん慣行」を含めた「税金の無駄遣いの最大の要因である天下りあっせんの根絶」、「国家公務員の労働基本権のあり方」の模索、同じく国家公務員の「定年まで勤務できる環境の整備」と「給与体系を含めた人件費の見直し」等の「新たな国家公務員制度改革」を提起している。
次のテーマとして「こうした改革を行う上で、まず国会議員が自ら範を垂れる必要があります」からと、「政治家自ら襟を正す」ことを提起している。
但し、「国会における議員定数や歳費のあり方」についての見直しの議論の提起と、「政治資金の問題」と「企業・団体献金の取扱い」の議論の提起のみで「政治家自ら襟を正す」についての言及を終えている。あまり触れたくなかったからなのか、230文字かそこらしかない短い切り上げとなっている。
次に「六 世界に新たな価値を発信する日本」という大きなテーマを提起している。
「文化融合の国、日本」と題して――
「日本は四方を豊かな実りの海に囲まれた海洋国家です。
古来より、日本は、大陸や朝鮮半島からこの海を渡った人々を通じて多様な文化や技術を吸収し、独自の文化と融合させて豊かな文化を育んできました。漢字と仮名、公家と武家、神道と仏教、あるいは江戸と上方、東国の金貨制と西国の銀貨制というように、複合的な伝統と慣習、経済社会制度を併存させてきたことは日本の文化の一つの特長です。近現代の日本も和魂洋才という言葉のとおり、東洋と西洋の文化を融合させ、欧米先進諸国へのキャッチアップ(追いつくこと。特に、発展途上国が先進国に追いつこうと努力すること)を実現しました。こうした文化の共存と融合こそが、新たな価値を生み出す源泉であり、それを可能にする柔軟性こそが日本の強さです。自然環境との共生の思想や、木石にも魂が宿るといった伝統的な価値観は大切にしつつも、新たな文化交流、その根幹となる人的交流に積極的に取り組み、架け橋としての日本、新しい価値や文化を生み出し、世界に発信する日本を目指していこうではありませんか」と格調高く提起している。
「文化融合の国、日本」と言えば聞こえはいいが、より強い文化、より上位の文化に従う権威主義性を伴った節操のない「文化融合」の一面はなかっただろうか。戦後簡単に戦勝国アメリカの文化にどっぷりと染まるアメリカナイズを可能としたにも関わらず、中央集権という権威主義性を残して真の民主主義を確立できなかったことは「文化融合」が節操のない性格のもので終わったことの証明でもあろう。
次も大きなテーマが続いて、「東アジア共同体のあり方」への提起。
「アジアにおいて、数千年にわたる文化交流の歴史を発展させ、いのちを守るための協力を深化させる、『いのちと文化』の共同体を築き上げたい思いで提案した」という、鳩山首相の昨年の所信表明演説で言及した「東アジア共同体構想」の提唱。「一部の国だけが集まった排他的な共同体や、他の地域と対抗するための経済圏」となってはならない「様々な分野での国と国との信頼関係の積み重ね」と、「東アジア共同体の形成の前提条件として欠くことができない」「日米同盟」及び「多角的な自由貿易体制」の確立と強化を提起している。
だが、日本の存在感を高めるには「東アジア共同体」に対する経済的な恩恵に如何に寄与できるかどうかに偏にかかっている。先に首相が言っていたアジアに「新たな需要を創出し、自律的な経済成長に貢献する」とした日本の主体的な経済的貢献意志とは裏腹に景気回復が先行しているアジアの経済が吐き出すカネを頼りにした場合、その可能性が高いのだが、日本の外交・政治力から言って「東アジア共同体」の取り巻きの位置に甘んじることを強いられはしないだろうか。
次に「東アジア共同体の実現に向けての具体策として」、「いのちと文化の共同体」をテーマに掲げている。
それは「いのちを守るための協力、そして、文化面での交流の強化」だと提起している。多分主体的な経済的貢献に自信がないからではないだろうか。
第一番に地震、台風、津波国日本が培った防災文化をアジア全域に普及させると同時にその方面に関わる人材育成に力を入れることと、「人道支援のため米国が中心となって実施している『パシフィック・パートナーシップ』に今年から海上自衛隊の輸送艦を派遣し、太平洋・東南アジア地域における医療支援や人材交流に貢献」することを提起している。
このこととの関連から、次は「人的交流の飛躍的充実」をテーマに掲げている。
「次世代を担う若者が、国境を越えて、教育・文化、ボランティアなどの面で交流を深める』ことを目的に「今後5年間でアジア各国を中心に10万人を超える青少年を日本」へ招待する「アジアにおける人的交流の大幅な拡充」、「域内の各国言語・文化の専門家を、相互に飛躍的に増加させることにより、東アジア共同体の中核を担える人材の育成」を提起している。
そして、「経済発展を基盤として、文化・社会の面でもお互いを尊重できる関係を築いていくため、新たな成長戦略の策定に向けて積極的な議論を導きます」と訴えている。
「経済発展を基盤として」というこの言葉を裏返すと、経済発展への寄与度なくして「文化・社会の面でもお互いを尊重できる関係」は築けないということであろう。
戦後の日本の経済復興は殆んどアメリカ経済の恩恵によってもたらされた。その経済的な寄与度に応じて、アメリカ文化・アメリカ社会の影響を受けてアメリカナイズされていった。いわば経済と文化・社会面に於ける尊重関係は一体のものとして存在している。
となると、日本が経済・文化・社会面、すべてに亘ってアジアと尊重できる関係を築くには、あるいはアジアに存在感を示すには日本経済の影響力にかかっているということである。
勿論、中国もインドも韓国も同じ条件下にあるならいい。だが、中国、インドの経済的な存在感は日本を遥かに上回り、韓国も力をつけつつある。経済の面で取り残された日本のアジアに対する影響力は果して期待できるのだろうか。
オバマ米大統領が〈27日の一般教書演説で、大型景気対策の一環として進められている高速鉄道網計画に言及した際、「欧州や中国が最速の列車を持たなければいけない理由はない」と指摘。同計画には日本も新幹線やリニアの売り込みを続けているが、競争相手のドイツやフランス、中国については触れたが、日本への言及はなかった。〉(SankeiBiz)と伝えているが、単に言い忘れたに過ぎないにしても、頭の中の記憶が言葉として訴える程の存在感が希薄だったことにならないだろうか。
最近のアメリカは日本よりも中国に顔が向いていると言われているが、次に「日米同盟の深化」をテーマとしている。
今年が「日米安保条約の改定から50年の節目」に当たるが、「冷戦による東西の対立とその終焉、テロや地域紛争といった新たな脅威の顕在化など大きく変化」した、「今後もその重要性が変わることは」ないとして、「重層的な同盟関係へと深化・発展」を提起。オバマのアメリカと共に「『核のない世界』の実現」への取り組み、「米国との同盟関係を基軸として、わが国、そしてアジアの平和を確保しながら、沖縄に暮らす方々の長年にわたる大変なご負担を少しでも軽くしていくため」の一環としての「普天間基地移設問題」の解決、そして最後に「気候変動の問題」の解決を提起している。
次に「アジア太平洋地域における二国間関係」をテーマとしている。
「日中間の戦略的互恵関係の充実化」、「過去の負の歴史に目を背けることなく、これからの百年を見据え、真に未来志向の友好関係を強化」した「日韓関係」の構築、「北方領土問題を解決すべく取り組むとともに、アジア太平洋地域におけるパートナー」として「ロシア」との関係強化を提起している。
北朝鮮に関しては、「アジア太平洋地域の平和と安定のためにも重要な課題」として「拉致、核、ミサイルといった諸問題の包括的な解決」、「不幸な過去を清算」した「日朝国交正常化の実現」、「すべての拉致被害者の一日も早い帰国の実現」の提起。
次のテーマは発展途上国に於ける「貧困や紛争、災害からいのちを救う支援」の提起。
「発展途上国で飢餓や貧困」、イラクやアフガニスタンの紛争から逃れて国外に出て不安な生活を送る難民の問題、国際テロ犠牲者、自然災害で住む家を失った人々等に対する支援、ハイチ地震に対して、「国連ハイチ安定化ミッションへの自衛隊の派遣と約7千万ドルにのぼる緊急・復興支援」(国連から少ないと言われて増額した7千万ドルだが)を行ったように、「国際社会の声なき声にも耳を澄まし、国連をはじめとする国際機関や主要国と密接に連携した困難の克服と復興の支援」を表明している。
カネを出す、あるいは軍隊(自衛隊)を派遣することはどこの国でもできる。だが、支援対象国の独裁政治や政治の欠陥・矛盾といった障害を前にしてそれぞれの国の飢餓や貧困を解決して「命を守る」知恵、政策の創造こそがより困難な課題であることに留意しなければならない。ハイチにしても、黒人奴隷が蜂起し革命フランスから独立した世界最初の黒人共和国でありながら、独立を承認する国が存在しなかったためにフランスからの独立の承認を得る代償として多額の賠償金の支払いに応じたものの、この賠償金が長年借金としてハイチを苦しめることとなったことと、国内の混乱、クーデーター、独裁政治、混乱収拾を名目としたアメリカの占領等々(Wikipediaから)、民主国家として自律(自立)できなかたために世界の最貧国の一つとなったこと、極端な貧富の格差と一部富裕層の富の独占等が地震被害からの復興を妨げる大きな要因となるだろうから、単に経済的・物理的に復興を支援したからと言って、簡単には解決はしないことを肝に銘じなければならない。
最後に「 七 むすび」――
「いのちを守りたい。
私の友愛政治の中核をなす理念として、政権を担ってから、かたときも忘れることなく思い、益々強くしている決意です。
今月十七日、私は、阪神・淡路大震災の追悼式典に参列いたしました。十五年前の同じ日にこの地域を襲った地震は、尊いいのち、平穏な暮らし、美しい街並みを一瞬のうちに奪いました。」
そして昨年総選挙の二番煎じなのか、「式典で、16歳の息子さんを亡くされたお父様のお話を伺いました」とその話を持ち出す。
「地震で、家が倒壊し、二階に寝ていた息子が瓦礫の下敷きになった。
積み重なった瓦礫の下から、息子の足だけが見えていて、助けてくれというように、ベッドの横板をとん、とん、とんと叩く音がする。
何度も何度も助け出そうと両足を引っ張るが、瓦礫の重さに動かせない。やがて、三十分ほどすると、音が聞こえなくなり、次第に足も冷たくなっていくわが子をどうすることもできなかった。
『ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな。』
これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこにも持って行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。
息子さんが目の前で息絶えていくのを、ただ見ていることしかできない無念さや悲しみ。人の親なら、いや、人間なら、誰でも分かります。災害列島といわれる日本の安全を確保する責任を負う者として、防災、そして少しでも被害を減らしていく「減災」に万全を期さねばならないとあらためて痛感しました。
今、神戸の街には、あの悲しみ、苦しみを懸命に乗り越えて取り戻した活気が溢れています。大惨事を克服するための活動は地震の直後から始められました。警察、消防、自衛隊による救助・救援活動に加え、家族や隣人と励ましあい、困難な避難生活を送りながら復興に取り組む住民の姿がありました。全国から多くのボランティアがリュックサックを背負って駆け付けました。復旧に向けた機材や義捐金が寄せられました。慈善のための文化活動が人々を勇気づけました。混乱した状況にあっても、略奪行為といったものは殆どなかったと伺います。みんなで力を合わせ、人のため、社会のために努力したのです。
あの15年前の、不幸な震災が、しかし、日本の『新しい公共』の出発点だったのかもしれません。
今、災害の中心地であった長田の街の一画には、地域のNPO法人の尽力で建てられた『鉄人28号』のモニュメントが、その勇姿を見せ、観光名所、集客の拠点にさえなっています。
いのちを守るための『新しい公共』は、この国だからこそ、世界に向けて、誇りを持って発信できる。私はそう確信しています。
人のいのちを守る政治、この理念を実行に移すときです。子どもたちに幸福な社会を、未来にかけがえのない地球を引き継いでいかねばなりません。
国民の皆さま、議員の皆さん、輝く日本を取り戻すため、ともに努力してまいりましょう。
この平成22年を、日本の再出発の年にしていこうではありませんか」(以上)――
この所信表明演説のすべてが鳩山首相の思いであろう。思いを現実の形とすることが最大の課題となる。
ガンジーは世界が彼が理想とする世界とは真逆の状況にあったから、「7つの社会的大罪」を持ち出すこととなった。それを「80数年前に記した」。いわば80年経過しても、人類は自らの世界の矛盾を何ら是正できずに真逆の状況を引きずっている。人類が80年是正できなかったことが日本の一政権が例え世界の協力を得るからと言っても、実現できるとは思えない。今後とも「7つの社会的大罪」の世界を延々と引きずることになるに違いない。
もっと単純に考えて、国の経済の回復と維持、国民の生活を守る各種セーフティネット、国の財政再建と健全化の維持、対外的には平和外交、相互主義を掲げるだけで実現可能性の点からも十分ではなかったか。
何よりも初めに景気回復アリである。景気回復なくして財政再建と健全化の維持もない。支持率の回復もない。国民のいのちを守るとする社会保障政策も絵に書いた餅と終わる。断るまでもなく、国の巨額の借金を国民の将来へのツケとして残すことになるからだ。