自民党はすべての人に公正ではなかった政府経営をしてきたと自ら暴露している

2010-01-24 07:06:10 | Weblog

  ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 《民主党に夏の参院選挙で勝利させて、衆・参両院とも過半数のチャンスを与え、民主党政治を存分に発揮できる活躍の場を提供してみてはどうだろうか――

 民主党は民主党政治を存分に発揮できる衆・参両院の過半数を求めて、国民に夏の参院選での勝利を訴えるべきではないだろうか――》


 自民党は1989年の参院選で社会党に大敗、プラス連合の会を向こうにまわして参議員過半数割れ、それ以後、自民党分裂を受けた1993年の第40回総選挙でも過半数割れ、9カ月足らず野党に転落の歴史を抱えているが、2007年7月の参院選で民主党に敗れるまで戦後ほぼ一貫して、衆・参とも過半数を維持、自民党政治を恣(ほしいまま)とするチャンスを独占してきた。

 次は民主党にも衆・参過半数のチャンスを与えて、衆・参過半数下の民主党政治がどう展開されるか、じっくりと眺めてみるのもアリではないだろうか。

 
 1月22日の「NHK」記事――《自民 綱領案は小さな政府転換》

 今日24日の自民党党大会で、2005年の小泉政権の際に改定した綱領で掲げた「小さな政府」を転換して「すべての人に公正な政策を実行する政府」を目指すとする綱領案を採択の予定だそうだ。

 その他の骨子は、鳩山政権が進める子ども手当などの政策を念頭に、「国民の自立心を損なう社会主義的政策はとらない」

 「政治主導という言葉で、反対意見を無視して、判断を独裁的に押しつける国家社会主義的統治と断固、対峙する」

 「常に進歩を目指す保守政党」として、「誇りと活力ある日本像」を実現する。――

 確かに素晴らしい言葉を連ねてはいるが、あくまでも言葉であって、実行可能な政策へと反映させることができ、国民生活に恩恵を与える形で実現可能とすることができるかどうかが常に問題となる。果してこういった政策経緯を取ることができるのだろうか。

 鳩山政権が進める子ども手当が「国民の自立心を損なう社会主義的政策」だと言うなら、麻生政権が始めたエコカー減税や家電エコポイント制度は企業の自立心を損ねかねない、困ったときの政府頼りの社会主義的政策と言えないことはない。

 また民主党の政治手法が「政治主導という言葉で、反対意見を無視して、判断を独裁的に押しつける国家社会主義的統治」だとするなら、かつての与党自民党が数の驕りで野党の反対意見を無視して自分たちの判断を独裁的に押しつけきた国家主義的統治の歴史からすると、謂れのない矛盾した批判とならないだろうか。

 だからこその野党転落を契機として「小さな政府」から「すべての人に公正な政策を実行する政府」へと転換せざるを得なくなったということではないのか。野党になったからと言って、与党時代の負の体質が綺麗さっぱりなくなるわけではあるまい。

 「小さな政府」への転換については「47NEWS」記事――《自民新綱領「小さな政府」を修正 24日の党大会で承認へ》(2010/01/20 19:01 【共同通信】)からも知ることができる。

 〈自民党は20日、従来の「小さな政府」路線を軌道修正する新綱領の執行部原案について、所属議員らから意見を聞く会合を党本部で開き、大筋で了承を得た。24日の党大会で承認する見通し。〉と書いている。

 この記事では〈目指すべき国家像として1995年の改定以来掲げてきた〉としていて、その「小さな政府」という表現が格差社会を生んだ市場原理主義の負のイメージを招くとの観点から「すべての人に平等な政策を実行する政府」と改めたと、「NHK」記事が「公正な政策」としているところを「平等な政策」と表現している。

 その他の骨子として「次世代の意思決定を損なわぬよう国債残高の減額に努める」と財政再建重視の立場を掲げているということだが、これも無規律・無軌道に散々に赤字国債を発行して財政規律を粗略に扱ってきた自民党の過去の歴史から生じた問題なのだから、自分たちの杜撰な財政運営の尻拭いだと位置づけなければならないはずで、と同時に民主党にも協力を求めるとしなければ、責任のない人間が責任を果たしますと言うような滑稽な矛盾を曝すことになる。

 この「小さな政府」から「すべての人に平等な政策を実行する政府」への転換に関して出席者から、〈「平等という言葉には違和感がある」(柴山昌彦衆院議員)、「民主党の子ども手当のようなばらまきを認めるのか、との誤解を与える」(増原義剛元衆院議員)と疑問の声も相次いだが、取りまとめ役の伊吹文明元幹事長が「さらに良い言葉があったら変えたい」と再修正を約束して引き取った。〉という。

 安倍元首相がかつて掲げた「再チャレンジ政策」は美しい言葉で終わった「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」をテーマとしていたが、厳密に言うと、「機会の平等」も「結果の平等」もこの世に存在しない。だから、美しい言葉で終わった。

 となると、「平等という言葉には違和感がある」は正しい見方となるが、だからと言って、国民の負託を受けた国会議員が格差の形成要素ともなる不平等を是としていいわけがなく、より平等であることを求め、格差を小さくし、決してなくなることはないにしても社会の矛盾を少しでも是正していく闘いを担うことが政治家の務めなのだから、「平等という言葉には違和感」を持たれたのではかなわない。

 「47NEWS」記事は最後に自民党谷垣総裁の言葉を伝えている。

 「昨年の(衆院選)大敗を受け、党が国民のために何をやるのか、ようやく整理できてきた」

 そう、「整理できてきた」。どのような整理か改めて問うと、自由民主党は今までは「すべての人に平等(公正)」ではなかった「政策を実行する政府」だった、自民党政治はそういった歴史を過去に於いて担ってきた。今後は「すべての人に平等(公正)」ではなかった「小さな政府」を転換して「すべての人に平等(公正)な政策を実行する政府」を目指すとする「整理」である。

 いわば自民党がすべての人に平等(公正)ではなかった政策を実行してきた政府を経営してきたと自ら暴露する「整理」でもある。野党に転落して、そこから転換せざるを得なくなった。

 自民党政治がすべての人に平等(公正)ではなかった政策を実行してきた政府であることは“政・官・財癒着”なる自民党政治の本質的な実態そのものが象徴的に証明している。富の配分を“政”と癒着した“官・財”と“政”自身に重点的に行ってきた。すべての人に「平等(公正)」な配分ではなかった。

 その典型的な例が天下り、渡りに見る“政・官・財癒着”であり、財も巻き込んだ族益・省益政治に見る“政・官・財癒着”であろう。

 だが、自民党は戦後60年近くもほぼ政権を担当してすべての人に平等(公正)ではなかった“政・官・財癒着”の政策を実行してきたのだから、当然、そういった“政・官・財癒着”は構造的体質となっていると疑ってかからざるを得ない。“政・官・財癒着”から離れて「すべての人に平等(公正)な政策を実行する政府」には簡単には体質変換は難しいと見なければならない。

 野党に転落した自民党は“みんなでやろうぜ全員野球”を党運営の柱と主張した谷垣新総裁を選出して“新生自民党”を誓った。そしてここにきて「小さな政府」から「すべての人に平等(公正)な政策を実行する政府」への転換を図ることにした。

 ここでの“新生”とは今までの命が新しく生まれ変わることを言う。河野太郎が総裁選で、「古い政治の手法を引きずった人を再びベンチに入れることはない。森元首相や比例復活の派閥の領袖は退場して、若い世代に議席を譲るべきだ」と主張したが、それが正しい主張か否かは受け止める者によって違いは生じるだろうが、少なくとも新旧交代の命の生まれ変わりを求めたもので、“新生”の意図を担っていた。

 だが。谷垣が“みんなでやろうぜ全員野球”を宣言して自民党新総裁に当選した時点で、河野太郎の言葉を借りると、新も旧も「ベンチに入れる」、“新生”とは相反する党運営を決定したことになる。

 にも関わらず、“新生自民党”を看板としている。政・官・財癒着”をリードし、古い政治の手法を引きずった森、古賀、青木、利権顔と言われた二階等々を野党転落後も今までどおりにベンチに温存する、どこが“新生”か分からない谷垣新総裁の“みんなでやろうぜ全員野球”だったわけである。

 “みんなでやろうぜ全員野球”という組立てで森、古賀、青木、二階等々が今以て自民党を支配する陰の君臨者を構成している限り、“新生自民党”の“新生”は見せ掛けであり続けるだろう。

 自由民主党が“政・官・財癒着”を旨としてすべての人に公正ではなかった政策を実行してきた政府経営が自民党の構造的体質となっているだろうということ、“みんなでやろうぜ全員野球”とすることで古い政治の手法を引きずった政治家を従来どおりにベンチに温存していること、これらのことによって“新生自民党”の“新生”が見せ掛けとなっていて、いわば全然新しく生まれ変わっていないことから、いくら「小さな政府」から「すべての人に平等(公正)な政策を実行する政府」への転換を掲げようとも、生まれ変わってもいない旧体質に新しく生まれ変わる要素をいくら注入しても、受けつけるとは到底思えない。

 自民党が“政・官・財癒着”の不公正な利益配分を政府経営の構造的な体質としてきた古い政治手法から真に“新生自民党”を果たすには河野太郎が言うように「古い政治の手法を引きずった人を再びベンチに入れることはない。森元首相や比例復活の派閥の領袖は退場して、若い世代に議席を譲るべきだ」の劇薬を以ってして荒療治に出るべきだったが、谷垣総裁はそれを否定、“みんなでやろうぜ全員野球”でもって政・官・財癒着”をリードし、自民党支配の陰の実力者として君臨してきたおどろおどろしい政治屋までも温存することとなった。

 いくら新綱領で「すべての人に公正な政策を実行する政府」を目指すと美しい言葉を連ねたとしても、すべての人に公正ではなかった政策を実行する政府経営をしてきたことの裏返しでしかなく、“政・官・財癒着”をリードし、古い政治の手法を引きずった面々を排除しているというならまだしも、温存したままではその転換を実現可能とし、国民生活に恩恵を与える期待は限りなく低いと言わざるを得ない。

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