辺野古移設調査費が13億円も超過したとして検査院が軽い処分で済ませた防衛省に責任者に対する懲戒処分を求めたと09年12月23日付「asahi.com」記事――《辺野古調査費13億円超過 検査院、防衛省に懲戒要求へ》が報道している。
当時の那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)が02年合意の普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古沖への移設に向けた海底地質のボーリング調査に04年に着手、反対住民による調査阻止活動等により調査業務が停滞、05年に建設予定地が沿岸部に変更、業務は一時中断、都内の請負業者4社との契約を解除、契約額計8億5千万円を上限に支払うことを決定。
2006年3月17日の「琉球新報」記事――《辺野古調査費 超過20億円払わず》によると、〈受注業者3社との契約額約8億4千万円〉となっている。
上記支払い決定に対して4社は阻止活動への対応で監視船を大量に導入したことや追加調査などで費用がかさんだことを理由に上限付きの支払いを拒否、06年に超過分の支払いを求める損害賠償訴訟を起こした。08年に和解が成立、同局が4社に対して和解金として計約22億円を支払った。
この超過支払いの経緯に関して検査院は、同局の職員が反対運動に対処するため契約に無い業務を業者に次々発注、予算オーバーを来たしていたにも関わらず予算の執行状況を確認しなければならない当時の局長2人の職務怠慢責任を軽い処分で済ませた点などを問題視、2局長に対して「債務を負わす原因となった重過失行為」に当たると判断して懲戒処分にする要求を出すことを決めた。
同省人事教育局の担当者「過去の処分状況などを総合的に勘案して『注意』などの処分を出しており、今回だけ処分が軽い、という認識は全くない」――
記事は〈会計検査院の懲戒処分要求〉について解説している。
〈検査院は、国の会計事務を処理する職員が故意または重大な過失によって国に著しい損害を与えたと認める場合や、予算執行職員が法令または予算に違反した支出などをして国に損害を与えた場合などに、各省大臣に対し、職員の懲戒処分を要求することができる。今回の要求は、57年前の1952年に電気通信省(当時)の建設部の工事費の経理について不当事項があった4件について、検査院がは電気通信大臣に対し懲戒処分を要求して以来となる。〉――
参考までに2006年3月17日付の「琉球新報」記事を全文参考引用しておく。
《辺野古調査費 超過20億円払わず》(琉球新報/2006年3月17日)
米軍普天間飛行場の移設先の変更に伴う、従来の辺野古沖計画の関連事業の契約解除問題で、海底の地質を調べるボーリング調査費が約28億円に上り、受注業者3社との契約額約8億4千万円の3倍以上に上っていることが17日までに分かった。関係者が明らかにした。
防衛施設庁は超過分の約20億円を、契約書にない作業と位置付け、支払わない方針を固めた。同庁は、反対派の根強い抵抗運動で停滞していたにもかかわらず、作業続行を認めていた疑いのある那覇防衛施設局の職員らを処分する方針だ。
ボーリング調査業務は2004年4月から着手され、今月までの契約で東京の3社に委託されていた。作業開始後、反対派住民の強い抵抗と台風の影響などで中止に追い込まれた。移設計画自体がキャンプ・シュワブ沿岸案に変更になり、施設局は16日に関係事業の契約を解除した。
関係者によると、業者は社員を作業船に乗せて海上や辺野古漁港などで待機。夜間作業を強いられたり、1日数百万円以上のスパット台船のチャーター料などがかさみ、経費は大幅に膨らんだ。
業者側は「施設局職員からの要請を受け、作業船を出していた」と主張し、全額の支払いを求めている。施設局建設部幹部が防衛施設庁建設部と連絡を取り、契約額を超える分の作業続行を認めていた疑いが出ている。
昨年11月1日の作業の一時中止後、建設部からかさんだ作業費の報告を受けた那覇防衛施設局幹部はがく然としていたという。 |
予算オーバーを問題とせずに契約に無い業務を業者に次々発注したコスト意識=税金意識も見事だが、自らの判断で8億5千万円上限を相当とした契約金額相当の支払い予定が、このときだけはコスト意識=税金意識を働かせたのか、損害賠償裁判の末13億円も超過して約22億円もの金額で和解金を支払うこととなった損失に対するコスト意識=税金意識をまるきり作動させることはなかったからだろう、責任意識に結びつける気持はきれいさっぱりさらさらなく、痛くも痒くもない13億円超過だから、「過去の処分状況などを総合的に勘案して『注意』などの処分を出しており、今回だけ処分が軽い、という認識は全くない」責任意識を答としたのだろう。
こういったコスト意識=税金意識のない、当然責任意識もない役人にムダのない予算の編成が期待できるだろうか。至る所にムダを忍ばせた予算編成になるに違いない。
普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古沖への移設が02年合意。04年に移設に向けた海底地質のボーリング調査に着手。作業開始後、反対派住民の強い抵抗と台風の影響などで中止に追い込まれ、05年に建設予定地が沿岸部に変更。
では、2002年7月に政府と県、名護市が名護市辺野古沖を埋立てて軍民共用空港を建設するとした計画に合意は中止に追い込まれる程に反対闘争は激しく、計画を断念したことから見ると、政府は勿論、沖縄県も名護市も県民・市民の意向を無視して上が勝手に強行した見せ掛けの合意だったということになる。
ということなら、04年の海底地質のボーリング調査自体が上が勝手に強行した見せ掛けの合意に従った無用な調査であり、そもそもの8億5千万円の契約自体が不必要な支出だったことになる。当然、裁判沙汰による契約額から13億円も超過した和解金の約22億円自体もそこまで進むことはなかったムダな支払いとなる。
そして名護市辺野古沖埋め立て移設を中止、国のためにも県のためにも、県民・市民のためにも何ら役に立てることができなかった約22億円の税金をドブに捨てることになり、05年に名護市辺野古沿岸部(V字形滑走路)に移設先を変更。
ところがここに来て、1月6日首相官邸で行われた米軍普天間飛行場の新たな移設先を検討する政府・与党3党の「沖縄基地問題検討委員会」第2回会合で、2006年5月に稲嶺恵一知事(当時)と額賀福志郎防衛庁長官(同)が交わし、県が名護市辺野古沿岸部建設現行案(V字形滑走路)を事実上容認したとする根拠としてきた「在沖米軍再編に係る基本確認書」に関して防衛省が当時の政府と県が合意したとは言い切れないとの認識を初めて示したと《県、受け入れ合意なし 普天間移設》(沖縄タイムズ/2010年1月7日 09時55分)が報道している。
防衛省側の説明は次のようになっている。
「当時の政府としては(両氏が)サインしたから合意と思っている。しかし稲嶺前知事は違うと言っているので、100%合意とは言えないと思う」
防衛省は持ち帰って、12日予定の次回会合までに正式に報告するそうだ。
記事はこのことに関する稲嶺前知事の1月6日の発言を載せている。
「(当時)県は、政府案には合意してはいないとの県民向けのメッセージを発表するなどして、県の立場を一貫して主張してきた。・・・・行政の立場は、オールオアナッシングでは物事を進めていくことはできない。米軍再編の協議が進む当時の状況の中で、(基本確認書への合意は)ギリギリでベターな選択だった」
1月8日付の「琉球新報」記事――《普天間飛行場移設問題 普天間V字案 まやかしで禍根残すな》は稲嶺前知事の対応を次のように解説している。
稲嶺前知事は「基本確認書」に署名しながらも、基本確認書は合意書とは異なるとの認識を示し、「合意はしていない」と公式に否定してきたという。
一方の国は国と名護市がV字案で合意した基本確認書を「合意書」と同じとの認識から「県とも合意した」と主張してきたとしている。
記事は〈稲嶺前知事も「合意」したと誤解されかねない「基本確認書」に署名した責めは逃れられない。〉と稲嶺前知事を批判もしているが、双方の「基本確認書」の位置付けが異なっていた点を挙げている。
要するに合意決定権の主体はあくまでも沖縄県なのだから、沖縄県が「合意していない」としている以上、防衛省としても「100%合意とは言えないと思う」とするしかなかったのではないのか。
これがどう転ぶかは分からない。鳩山政権が現行案反対をアメリカに正当付けるために持ち出した防衛省の見解ということもあり得る。
こう見てくると、辺野古沖埋め立て案は県民・市民の反対を押し切って上が勝手に強行した見せ掛けの合意を推し進め、和解金約22億円のコスト意識=税金意識=責任意識なき膨大なムダを生む“合意”だったことになる。
そして辺野古沿岸部(V字案)は政府側が稲嶺前知事と交わした「基本確認書」を辺野古沿岸部(V字案)に県が合意した根拠としたことに反して稲嶺前知事が「合意していない」とする姿勢を無視して自民党政府は辺野古沿岸部に移設を推し進めるべくアメリカと交渉し予算まで組んできた、上から強引に推し進めた半ば強制的な“合意”だったことになる。
その結果、防衛省が「100%合意とは言えないと思う」と、ホンネはどこにあるのか分からないが、少なくとも表面上はその強制性に異を唱えるに至った。
例え現行案で決着することになったとしても、県民・市民の意向を無視して様々なムダを生む大騒ぎを演じることとなった曖昧、いい加減な“合意”の形を歴史とするに違いない |